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高速バスで淡路島縦断「舞子⇒鳴門」

20200331

青春18キップの旅の初日、「ムーンライトナガラ」で大垣に朝5:45に到着、すぐに米原、三宮を経由して舞子駅に降りた。

今回は四国の旅である。
毎年、「青春18キップの旅」でどこに行こうかと考えるが、二年前に四国はどうかなと試しに大垣から徳島までを乗換案内で調べて見たら、高速バス代3000円くらいを追加すれば、初日の10時くらいには徳島に着くことがわかり、「四国も、ありだな」と思った。
それで今回実現させました。

初日最初の目的地は沼島である。
前から念願だった、淡路島のすぐ近く沼島にある、イザナギ・イザナミ神婚伝説の舞台である「上立神岩」に行くため、まず高速バスで舞子から鳴門まで行き、そこでレンタカーを借りて沼島に向かうことにした。

JR舞子駅に降り、高速バスのバス停「高速舞子」に向かう。
バス会社のサイトに、親切にも、経路を写真で案内してくれていたので助かった。
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JR舞子駅から徒歩5分でバス停の下に着くが、バス停ははるか上、4階である。
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エスカレーターで上に上がる。
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まだ少し時間があるので、3階の展望デッキから眺める。
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淡路島が見える。
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バス停にはひっきりなしにバスが来る。行き先が徳島、高松、高知など色々だ。
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乗るバスがやってきて、乗り込む。
ネットで予約したとき、既に一番前は予約が入っていて、私は左側の前から二列目の窓側。
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走り出してすぐに、明石海峡大橋にかかる。
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明石海峡大橋は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊り橋。全長3,911 m、中央支間1,991 mである。本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの一つ「神戸淡路鳴門自動車道」の一部として供用されている。
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瀬戸内を行く船が見える。
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淡路島が見えた。
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あの先端には、岩屋神社があり、行きたかったが、残念ながら今回の予定には納まらなかった。
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淡路SAにある大観覧車だ。
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しばらく海沿いを走る。
あの二つの塔は、何だろう?
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内陸部を走っていく。
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大鳴門橋(おおなるときょう)にさしかかった。
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大鳴門橋は、兵庫県の南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県の鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋。1985年(昭和60年)6月8日に開通した。
橋長は1,629 メートル (m)、中央径間は876 m、幅は25 m、主塔の高さは144.3 m。鳴門海峡の渦潮に影響を及ぼさないようにするため、多柱基礎工法とよばれる特殊な工法が採用されている[2]。橋は上下2層式となっており、上部は片側3車線の道路(現在は計6車線の内、中央4車線を使用)、下部は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっている。
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車窓から目を凝らしていたら、渦潮が見えた(嬉)
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観潮船だろうか。
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四国に上陸である(嬉)
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バス停「高速鳴門」に到着。
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55分のバス旅だったが、前後に大きな橋を渡り、淡路島を縦断するという、ドラマチックな時間だったので、本当に楽しかった。

55分のバス旅の、ポイント、ポイントを動画に撮っておいたので、それを10分弱に編集してユーチューブにアップしましたので、見てください。

その動画を見る


バス停「高速鳴門」から歩いて10分ほどのところでレンタカーを借り、また淡路島に戻って、沼島の「上立神岩」に向かった。


「上立神岩」の記事を見る



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青春18キップの旅・2020春

20200329

今年も「青春18キップの旅」を楽しもうと、21日の夜に東京駅23:10発の快速普通列車「ムーンライトながら」に乗り込みました。
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全車指定席で、リクライニングシートです。
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「ムーンライトながら」は、車両が老朽化のため今年いっぱいなのではないかとウワサされている。
この車両とは、もしかしたら今回で乗り納めなのかも。

いつも「青春18キップの旅」では、「ムーンライトながら」を利用して関西方面を旅するようにしています。
今回は、四国に足を踏み入れることにしました。
・「全国一之宮めぐり」を基本に計画を立てた。淡路国一之宮も入れて5社の一之宮が対象となるが、高知県の土佐国一之宮だけ飛び離れているので、今回は割愛した。
・以前から念願の夢だった、淡路島にある沼島の、イザナギ・イザナミの神婚伝説の舞台「上立神岩」に行く。沼島は中央構造線上の島であり、ジオサイト的にも有名で、最近地球の歴史にも関心が強くなっているので、その意味でもぜひ行きたい場所だった。
・伊予国一之宮が「しまなみ海道」の大三島にあるので、「村上海賊の娘」を読んで以来関心を持っている村上海賊ゆかりのところを見る。
・淡路島と「しまなみ海道」の間を移動することになり、しかも帰途は「瀬戸大橋」を鉄道で渡ったので、四国といっても「瀬戸内」の四国側といった感じになった。
「青春18キップの旅」は前後夜行ではさみ三日と決めているので、二日目は21:30にホテルに到着など、非常にタイトな日程となった。

〇行程実績

3/21(土) 東京23:10発「ムーンライトながら」⇒大垣5:45着
【1日目】 3/22(日)  
大垣5:53⇒東海道本線米原行き⇒米原6:27、6:29⇒東海道山陽本線新快速播州赤穂行き⇒三宮8:22、8:26⇒東海道山陽本線新各停西明石行き⇒舞子8:49⇒徒歩5分⇒「高速舞子」9:25⇒高速バスハーバーライナー⇒明石海峡大橋⇒【淡路島縦断】⇒大鳴門橋⇒「高速鳴門」下車10:20⇒トヨタレンタカー鳴門店出発10:40⇒鳴門IC⇒淡路島南IC⇒一般道⇒沼島汽船㈱土生待合所11:55⇒渡船10分⇒沼島【上立神岩】、【自凝(おのころ)神社】(12:05~14:40)⇒渡船⇒沼島汽船㈱土生待合所に戻ってから1時間休憩
※両足が攣ったため、以後の予定あきらめ鳴門に戻る。
(【淡路国一之宮・伊弉諾神宮】、【鳴門公園・千畳敷展望台】は未消化)
⇒トヨタレンタ鳴門店17:20⇒鳴門駅18:07⇒鳴門線徳島行⇒池谷18:24、18:53⇒高徳線引田行⇒坂東駅18:56
※宿泊:徳島県鳴門市板東
①~:行程ポイント、Ⓐ~:立ち寄り地
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・舞子でレンタカーを借り、淡路島を縦断して鳴門で返却することで最初は計画した。そうなると「ワンウェイ料金」が11000円発生する。もったいないので高速バス(2550円)で鳴門まで行き、そこから車で淡路島に入ることにした。
・高速バスの車窓から、鳴門の「渦潮」を見ることが出来たので、これはラッキーだった。
・当初の計画なら、【伊弉諾神宮】⇒【沼島】だったので、日本最古の神社である伊弉諾神宮に確実に参拝できたので、ここは悔いが残った。

【2日目】 3/23(月)
【四国八十八ケ所第一番・霊山寺】(6:30~7:00)⇒【阿波国一之宮・大麻比古神社】(7:10~8:40)⇒高徳線・坂東駅9:05⇒高徳線板野行⇒9:11、9:39⇒高徳線特急うずしお8号高松行⇒志度10:15、10:29⇒栗林10:48⇒徒歩9分⇒ことでん琴平線・栗林公園駅11:08発⇒ことでん琴平行⇒一宮11:25⇒徒歩15分⇒【讃岐国一之宮・田村神社】(11:40~12:30)⇒徒歩15分⇒琴平線一宮12:52⇒琴平駅13:38⇒歩15分⇒【金刀比羅宮】(昼食含め13:25~17:00)⇒徒歩15分⇒JR琴平駅17:25⇒土讃線高松行⇒多度津17:38、17:51⇒サンポート南風リレー号観音寺行⇒観音寺18:28、18:51⇒予讃線伊予西条行⇒伊予西条20:00、20:43⇒予讃線松山行⇒今治21:27
※宿泊:愛媛県今治市
①~:行程ポイント、Ⓐ~:立ち寄り地
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・私は神社参拝に軸足を置いているので、当初は四国八十八ケ所霊場を一切計画に入れていなかったので、ちょっと忸怩たる思いがあった。一日目の宿のすぐ近くに「四国八十八ケ所霊場」のよりによって「第一番・霊山寺」があることがわかり、どうしようと思っていたら、朝5:30に目が覚めたので、宿を7時に出発する予定だったが6:15に出て、霊山寺に参拝することができた。
・「阿波国一之宮」、「讃岐国一之宮」に加え「こんぴらさん」を計画したが、785段の階段が心配だったので、特急を使うという反則技で時間をかせぎ、「こんぴらさん」参詣に昼食と合せて3時間半の時間を確保した。おかげで、余裕な気持ちでゆったりと参拝することができた。

【3日目】 3/24(火)
トヨタレンタカー今治8:20⇒今治北IC⇒【しまなみ海道】⇒大三島IC⇒【伊予国一之宮・大山祇神社】(9:10~11:00)⇒【道の駅・多々羅しまなみ公園・昼食(11:30~12:15)大三島IC⇒大島北IC⇒【村上水軍博物館】(12:45~13:45)⇒大島南IC⇒今治IC⇒【今治城】(14:15~15:15)⇒トヨタレンタ今治返却15:30
今治16:30⇒予讃線観音寺行⇒観音寺18:30、18:42⇒⇒予讃線高松行き⇒坂出19:25、19:54⇒予讃線快速マリンライナー⇒【瀬戸大橋】⇒岡山20:35
岡山21:13⇒のぞみ96号⇒名古屋22:50
①~:行程ポイント、Ⓐ~:立ち寄り地
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・当初は、今治でレンタカーを借りて「しまなみ海道」を走り尾道に抜けて、少し尾道で観光して名古屋に向かう計画をした。しかし「ワンウェイ料金」11000円がもったいなくて、今治と大三島を往復することにして、その代わり今治城を見ることにした。
・こちらでは、博物館も全部休館になっていたが、心配していた「村上水軍博物館」は開いていて、とても感謝だった。受付で何処から来たかアンケートしていたので見せてもらったら、この日も北海道をはじめ全国から沢山の人が訪れていた。「村上海賊」の人気の高さはすごい。

岡山から名古屋までは新幹線を使用して、名古屋23:20の「ムーンライトながら」で、3/25(水) 5:05に東京駅に無事帰って来た。

旅に出ると、いつも思うのは、旅先でいろいろと触れ合った人の心の温かさである。
八十八ケ所巡礼ではないので、「お接待」には会わなかったが、歩いていてそれに近い感覚を何度も味わうことがあった。

次回から、それぞれでの収穫を記事にしていきます。


まだ「青春18キップ」が1日分余っている。
期限の4月10日までに、日帰りで適当な場所に行こうと思います。
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桜のトンネル/狭山市柏原

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所在地:埼玉県狭山市柏原
撮影日:2020年3月28日

外出自粛要請のなか、どうしようかなとちょっと悩んだが、新聞に「散歩」はOKとあったので、ちょうど見ごろになっている入間川沿いのサイクリングロードに植えられている桜の下を散歩することにした。

ちょうど満開であった。
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動画でも撮って、ユーチューブにアップしたので、見てください。
下の「その動画を見る」をクリックすれば、見ることが出来ます。
ユーチューブ画面右下の「□」のマークをクリックすれば画面が大きくなります。

その動画を見る



まだ、3、4日は大丈夫と思うので、お近くの方はどうぞ楽しんでください。


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川口市立文化財センター分館郷土資料館(鳩ヶ谷)

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所在地:埼玉県川口市鳩ヶ谷本町2丁目1番22号
訪問日:2020年2月28日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
この日は、川口市立文化財センター⇒旧田中家住宅⇒川口元郷から鳩ヶ谷に電車移動⇒日光御成道⇒川口市立文化財センター分館郷土資料館⇒市神社⇒鳩ヶ谷氷川神社を訪ねた。

今回は郷土資料館についてです。

前回の記事のとおり、鳩ヶ谷駅から少し歩くと日光御成道跡がバス通りになっていて、それを少し歩くと郷土資料館に到着する。
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ここでは様々な展示があったが、その中から私が強く関心を持っているもの、持ったものについて記事にした。

〇市内の城館跡と戦国武将の家臣たち
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〇鎌倉街道中道と川口
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〇近世
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〇日光御成道
日光御成道と鳩ヶ谷宿については、前回の記事で記した。

その記事を見る


日光御成道復元模型
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将軍ゆかりの休憩地
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川口錫杖寺で出したお昼御弁当
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〇慶応4年(1868)に出された、太政官の高札
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〇埼玉高速鉄道と武州鉄道
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〇川口の蛇信仰
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蓮上弁財天(安行領家)
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弁財天(上青木)
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井水弁財天(本蓮)
文字碑の左右に蛇体像がある。
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巳待供養(江戸袋)
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大弁財天女・巳待碑(東内野)
人頭蛇体の像と文字碑
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〇小谷三志と不二道
小谷三志は、富士山信仰の「富士講」を更に発展させた「不二道」の開祖。行者名を「禄行三志」という。
三志は明和2年(1765)、鳩ヶ谷宿で麹屋の長男として生まれた。
やがて富士講に入り30歳代半ばには丸鳩講の先達となる。
しかし当時の富士講に心が満たされなかったため信仰を模索するなか、江戸山谷の「参行禄王」に出合う。
当時の富士講は、加持祈祷を中心とした現世利益的なもので、その他力本願の姿勢に三志は疑問を持った。
開祖「各行藤仏」及び中興の祖「食行身禄」の富士講経典の中身を追求し、富士山信仰と実践道徳を結び付けた教えに深く共鳴した。
経典の中身を更に発展深化させた教えを確立、「不二道」とした。
「不二道」の思想:
・富士山の神霊を万物の創造主とする
・「天の三光」(日・月・星、天子天下、天皇と徳川将軍)が一体となって人々に対して「恩」を及ぼしている
・その「恩」に報いるため、家業精励、質素勤倹、勤労奉仕、夫婦和合などの「行」に勤めなければならない
・世界全体が、相反する性質を持つ陰と陽から構成されるが、それを「和合」させるために実践道徳をする
・陰と陽の立場を逆転させる「振り替わり」により、男女平等を実現させる

小谷三志胸像
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五行御身抜き
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小谷三志肖像
仁孝天皇から賜った御衣を着用した三志の肖像。
上記の漢文は、天保3年(1832)に長崎で知り合った中国人・沈萍香が三志を讃えて作った詩文で、左端には右大臣九条尚忠の名の下に不二道を讃えた和歌が記してあります。
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小谷三志の旅の道具(負い櫃、笠、杖)
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二宮尊徳と小谷三志の交流
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〇企画展「学校給食の変化」
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〇企画展「今、思い出す。懐かしいあの頃のくらし。~昭和の遊びを中心に~
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これで郷土資料館の見学を終え、市神社、鳩ヶ谷氷川神社を経由して鳩ヶ谷駅に戻り、帰宅した。
この日は、かなり収穫が多くて充実した一日だった。

(了)


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日光御成道鳩ヶ谷宿

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撮影日:2020年2月28日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
この日は、川口市立文化財センター⇒旧田中家住宅⇒川口元郷から鳩ヶ谷に電車移動⇒日光御成道鳩ヶ谷宿⇒川口市立文化財センター分館資料館⇒市神社⇒鳩ヶ谷氷川神社を訪ねた。

旧田中家住宅を見たあと、近くのレストランで昼食を取り、川口元郷か電車に乗り、鳩ヶ谷駅に降りました。

日光御成道について、予習です。
日光御成道は日光道中の脇街道(付属街道)で本郷追分(文京区)から中山道と分かれ、岩淵宿・川口宿・鳩ケ谷宿・大門宿の5宿を経て幸手追分で日光道中と合流する約12里(約48キロメートル)の街道をいいます。
 道筋は中世の鎌倉街道中道を基に整備されたといわれています。
 近世に入り日光御成道は、日光東照宮を参詣するために通行する将軍専用の街道であったところに特徴があります。将軍の日光社参に利用されるほか、東照大権現(家康)・大献院(家光)の特別回忌法要の代参通行、日光門主の通行、日光東照宮の修復などの御用通行、大名では岩槻藩(享和2年以降の大岡家)が利用しているほか、地方御用の代官所役人や普請役人の通行に利用されましたが、通常は、中山道や日光道中に比へ交通量は多くなかったようです。
 また、日光御成道の整備は、寛永13年(1636)の日光東照宮大造替後には、かなり進んでいたと考えられます。「正保国絵図」「武蔵田園簿」には御成道の道筋と馬継場が記されています。
 延宝8年(1680)の幕府「覚書」によると 「日光海道」(享保元年以降「日光道中」の名称は「宇都宮道」「壬生道」「岩付道」往還と「日光御神領街道」 すべての総称でありましたが、その後、道筋は独立し、日光道中の脇筋道(付属街道)とされ「日光道中岩槻通り」「岩槻道」と幕府通達で記され「日光御成道」の呼称か使用されるのは天明5年(1785)以降になってからです。

川口市周辺の近世街道図
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日光道中と日光御成道
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日光御成道
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下図で、鳩ヶ谷駅から「とんぼ橋」に出てそこから歩こうと思っていたのですが、日光御成道に出たのは、「とんほ橋」と「一里塚」の中間くらいの位置だった。
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見沼代用水にかかる「ふきあげばし」
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見沼用水の下流と上流
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一里塚跡の標識
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氷川神社に通じる「宮道」
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昔の宮道
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現在の宮道
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「御成坂公園」というのが出来ていた。
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行列のタイル絵
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からくり時計があり。
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一日に5回ならしているそうだが、残念時間が合わなかった(泣)
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レトロな良い建物あり。
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「千手院跡」の説明。
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昔の商家らしい建物
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今はバス通りで、広い道になっている。
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本陣跡は、注意して歩いていたのだが見落とした(汗)

川口市立文化財センター分館資料館に到着。
ここの記事は別途。
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資料館を見終わって、もうちょっと日光御成道を「市神社」まで歩いた。

市神社
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そこから、少し戻って「市場杭跡」から氷川神社に入った。
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氷川神社の二の鳥居
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石段の上左右には、とても良い感じの狛犬があり。
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神門
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拝殿
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立派な木彫りの賽銭箱
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たくさんの境内社があったが、「古峯社」には、小ぶりながら、良い感じの狛犬が居た。
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猿田彦を祀る庚申塔
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夫婦樟は、今様にハートの花壇が作られていた。
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これで氷川神社の参拝を終え、一の鳥居からまっすぐ鳩ヶ谷駅に戻った。
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この日は、川口市立文化財センター⇒旧田中家住宅⇒川口元郷から鳩ヶ谷に電車移動⇒日光御成道鳩ヶ谷宿⇒川口市立文化財センター分館資料館⇒市神社⇒鳩ヶ谷氷川神社を訪ねたが、それぞれの場所でたくさんの収穫物があり、充実した一日だった。


川口市立文化財センター分館郷土資料館の記事を見る



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旧田中家住宅(川口市)

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所在地:埼玉県川口市末広1丁目7番2号
撮影日;2020年2月28日

川口市文化財センターを見た後、徒歩15分ほどでここに到着しました。
「旧田中家住宅」は国指定重要文化財となっています。

まず、田中家についてですが、代々嫡男が家督を相続し「徳兵衛」を襲名してきました。農家であった初代の跡を継いだ2代目徳兵衛(文政11年~明治3畔)は、当時、大麦と豊かな地下水を利用した麦麹味噌の醸造業と材木商を始め、その後の田中家発展の基礎を築きました。
現代に残る邸宅は、4代目徳兵衛(明治8年~昭和22年)が築きました。彼は、19歳で家督を相続した後、家業の発展に力をいれるとともに、大正2年(1913)に埼玉味噌醸造組合の組合長に就任の後、南平柳村々会議員、県議会議員、貴族院議員を歴任しました。
5代目徳兵衛(徳太動は、昭和24年(1949)2月から28年2月までの4年間、第9代川口市長として、地域の発展に尽力しました。

次に、旧田中家住宅は、大正10年(1921)に上棟し、大正12(1923)に完成した煉瓦造3階の洋館と、昭和9年(1934)に増築された和館の他、茶室、文庫蔵、煉瓦塀、池泉回遊式庭園により構成されています。
洋館は、県下有数の本格的洋風建築です。デザイン性に優れた優美な外観は、イギリス式に煉瓦を積んだ壁に化粧用煉瓦を貼って仕上げられています。
和館は、木造一部2階建ての寄棟屋根をのせた数寄屋造りの建物です。この和舘が建設された時期は、4代目徳兵衛が貴族院議員として政界に進出していた時期と同じであり、大勢の来賓を迎えて行事を行うため、洋館に増築して建設したものと考えられます。
 学術的・文化財的価値については、専門家より以下のような高い評価を得ています。
①住宅としては県下唯一の木造煉瓦造3階建の建築物です。
⑨本市の素封豪の繁栄を極めた生活ぶりを象徴する建物です。
⑨旧芝川沿いに位置しており、街区のランドマークを形成しています。
㊥質の高いデザインを備えています。
⑨地元職人たちの高い建築技術を表現した建物です。
⑥味噌醸造業との関係から、近代産業遺産としての個値を有しています。

正面外観
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洋館の後ろの和館
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たまたま、「桃の節句」展をしていた。
館内の至る所にお雛さまが置かれていて、建物を見る上にはちょっと邪魔な場面もあったが、面白い人形もあったので良しとした。
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〇玄関・帳場
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神棚と折り上げ格天井
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帳場の後ろの金庫
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帳場と食堂の間には、手動シャッターがある。
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〇応接室
来客が玄関から直接入室できるように、専用ドアが南東側に設けられている。
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玄関からのアプローチ
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応接室入り口のステンドグラス
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応接室
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〇2階展示室
蔵になっていた部分。
「上田一味噌」の醸造の展示をしていた。
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貯蔵場だったので、天井は梁がむき出し。
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味噌醸造の行程などの展示があった。
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〇2階書斎
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バルコニー
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〇吹き抜けの階段
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踊り場の上に見張り場みたいなコーナーが設けられている。
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〇3階控えの間
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この雛人形が、館内に飾られている中で。一番古いなのだとか。
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〇大広間
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広い部屋がお雛さまに埋め尽くされていた(苦笑)
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しかし、「お祝人形」で面白いものもあった。

浦島太郎のお祝い人形
大正末~昭和初期購入
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山吹伝説のお祝い人形
太田道灌の話である。
大正末~昭和初期購入
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〇二階座敷・次の間
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〇二階客間
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天井板は屋久杉。
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細かいスリットの入った欄間
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和室部分の二階と一階をつなぐ階段。
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一階の和室部分の、外に面した縁側
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〇座敷・次の間・仏間
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仏間から次の間
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座敷
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付け書院は、ちゃんと外に張り出させている。
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最後に庭に出ました。
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さすが、国の十分に指定されているだけあって、素晴らしかった。
洋館のほうが、当時の新進気鋭な気分が充満している、エネルギーにあふれた感じで、とても良かった。

この後、すぐ近くのレストランで昼食後、川口元郷駅から鳩ヶ谷駅まで電車で移動し、日光御成道を歩いて川口文化財センター分館資料室に向かいました。


「日光御成道鳩ヶ谷宿」の記事を見る


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川口市立文化財センター

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所在地:埼玉県川口市本町一丁目17番1号
訪問日:2020年2月28日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
この日は、川口市立文化財センター⇒旧田中家住宅⇒川口元郷から鳩ヶ谷に電車移動⇒日光御成道⇒川口市立文化財センター分館資料館⇒市神社⇒鳩ヶ谷氷川神社を訪ねた。

埼玉高速鉄道線「川口元郷」駅から歩いて10分ほどで、川口市立文化財センターに着きました。
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入った一回のエントランスに、川口らしく鋳物工場の壁画の前に道具を展示してあった。
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小型のキューポラ
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溶けた鉄を運ぶ取り鍋など
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鋳型や砂型などは展示室にベーゴマ鋳造の説明がしてあったので、そこで紹介します。

二階の展示室に上がる階段に面白い表示があった。

荒川の洪水で、ここまで水が来た。
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縄文時代の海水面。
このセンターがある場所は、当時は海だった。
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【展示室1】
入口にはドーンと安行原の藁蛇が置かれ、原始・古代から近代までの文化財を左周りに展示してある。
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以下は、私が関心を持ったもののみ、紹介しておきます。

〇石器時代の展示では、「石核」の展示が良かった。
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石器
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〇縄文海進の説明
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〇トチの実加工場の復元図
縄文時代後期に訪れた気候の寒冷化は、森がそれまでと違う変化をし、トチノキが繁茂し、低地に広がっていた沼は湿地へと姿を変えた。
赤山陣屋跡西側低湿地から、トチノ実加工場跡が発見された。
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〇縄文時代の漆利用
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〇遮光器土偶
遮光器とはイヌイットの使用しているサングラスであり、その姿に似ていることから名づけられた。東北地方の影響が見られ、内部は空洞に作られている。表面にはベンガラが塗られている。
前面
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横から
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後面
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〇伊奈氏と赤山陣屋
伊奈氏は地方巧者として、赤山陣屋を拠点に江戸の穀倉地帯開発のための様々な施策を講じた。
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伊奈忠治が元和7年(1621)に行った、利根川が大きく湾曲する佐波村地先から渡良瀬川の新栗橋までの約8Kmの水路の開削の様子を描いたもの。
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日光御成道の説明は、分館資料館の説明の際に。

〇富士信仰のところで「木花開耶姫」像
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〇安行原の蛇造り
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【展示室2】
鋳物ストーブやベーゴマをはじめ、近代・現代の文化財を展示。
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川口らしく、鋳物製品が並ぶ。
懐かしいダルマストーブが一番前に。
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〇ベーゴマが出来るまで。
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金型
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金型の形を写した砂型の上下
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上と下の砂型を合わせて、中央の湯口から溶かした鉄を流し込む。
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鉄が固まったら、砂型を壊すと出てくるのが、このように鋳あがったベーゴマ。
中央の太い柱は湯口。
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ベーゴマ完成品
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前回東京オリンピックのときの聖火台レプリカ。
川口内燃機鋳造株式会社が製作。
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当時、私は毎日電車の中からこの聖火台の火を眺めながら大学に通った。
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以上で、川口市立文化財センターの見学を終えた私たちは、続いて「旧田中家住宅」に向かった。

(続く)


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季節の花/木瓜、ムスカリ、諸葛采

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この日のウォーキングは、柏原のサイクリングロードで桜のトンネル付近。桜はまだまだだが、少しは花の写真が撮れた。

【木瓜】
学名: Chaenomeles speciosa)は、バラ科ボケ属の落葉低木。
果実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したとも言われる。『本草和名』(918年)には、果実の漢名を木瓜(もくか)、和名を毛介(もけ)として登場する。
学名のspeciosaは、「美しい」「華やか」、Chaenomelesは「chaino(大きく裂けた)+melon(リンゴ)」が語源だが、現実に実は裂けないので、勘違いしてつけられた属名だと思われる[要出典]。中国植物名(漢名)は、貼梗海堂(ちょうきょうかいどう)。
花言葉は「先駆者」「指導者」「妖精の輝き」「平凡」。
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【ムスカリ】
学名:Muscari
科名:キジカクシ科
原産地:地中海沿岸~西アジア
穂状につぼ形の花をたくさん咲かせます。花色は紫が強いものと青が強いもの、白色があります。葉は細長く少し肉厚です。植えっぱなしにすると暖かい時期に葉がだらしなく伸びてしまいます。性質は大変丈夫で、花つきは悪くなりますが半日陰でも育つ。
花言葉:「絶望」「失望」「失意」
ムスカリは、世界最古の埋葬花としても有名です。6万年前から埋葬花として、人を送り出す役割を担っていたことが分かっています。
花言葉:「明るい未来」「通じ合う心」「寛大な愛」
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【諸葛采、オオアラセイトウ(大紫羅欄花)】
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アブラナ科オオアラセイトウ属の越年草。別名にショカツサイ(諸葛菜:諸葛孔明が広めたとの伝説から)、ムラサキハナナ(紫花菜)。
原産地は中国で、東部に分布し、東北および華北地区では普通に見られる。ヨーロッパ南部に帰化しているほか、日本では江戸時代に輸入されて栽培されたものが野生化し、全土で見られる。
2月頃から成長を始め、3月から5月にかけて開花する。最盛期には50cmくらいまで直立する茎を伸ばす。5月から6月頃に種子が熟し、自然に、散布される。一年草だが繁殖力は強く、花が咲いて種が散布されると、翌年からは定着しやすい。
花言葉:「知恵の泉」「優秀」
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千歳烏山寺町散歩(後半)

20200310

2月20日(木)に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの企画に参加しました。

26 の寺院が連なる趣き深い寺町のうち10の、次のお寺を訪ねました。
①常福寺⇒②玄照寺⇒③源良院⇒④妙裕寺⇒⑤専光寺⇒⑥高源院⇒⑦妙寿寺⇒⑧稱往院⇒⑨源正寺⇒⑩多門院

千回の記事で、専光寺までを紹介しましたが、今回はそれに続く後半の5寺です。

【高源院】創建は元禄16年(1703)。開山の怡渓宗悦は近江国小谷城主浅井長政の後裔とされる人物。開基は久留米藩主有馬頼元で、仏門に帰依して品川に創立。昭和11年(1936)に復興のため北烏山に土地を購入して移転した。敷地内の弁天池にはカモが飛来し、訪ねる人々を楽しませてくれる。

入口
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弁天池に浮かぶ浮御堂
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鴨池の説明
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浮御堂にお参り。
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浮御堂に祀られている弁天さまは、琵琶を持って立っている。
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浮御堂と白梅のツーショット。
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【妙壽寺】
寛永8年(1631)江戸谷中に創建。その後深川猿江に移り、震災により昭和2年(1927)烏山に移転した。震災で破損した名工藤原正次作の梵鐘がある。客殿は、現在ロシア大使館のある麻布狸穴にあった蓮池鍋島家の邸宅を移築したもので、世田谷区有形文化財の指定を受けている。

山門
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山門を入ると、広い境内が広がっている。
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宮沢賢治の「雨にも負けず」の碑があり、賢治の手帳に書かれたのを忠実に写したとある。
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この中の、「北にケンカやソショウがあれば つまらいからやめろといひ」
の部分の「北」という字に、参加者の皆が飛びついた。
「この字は北という字なのか?」、「賢治が本当にこの字を書いたのか?」
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一時期、賢治のことを調べて歩いた私は、帰ってから持っていた資料で調べた。

この有名な「雨にもまけず」は、賢治が生前発表したものではなく、賢治の死後発見された彼の手帳に書き込まれていたものである。

賢治の手帳
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手帳の、「北にケンカやソショウがあれば」の部分。
たしかに、賢治はこの字で書いている。
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「雨にも負けず」を書いたころの賢治をおさらいする。

・昭和3年6月初 農産製造、水産製造の研究のため上京、心象スケッチ「丸善階上喫煙室小景」が残る。
    6月末 東京から帰京
    8月  稲作不良を心配し、風雨の中奔走し病に倒れる
・昭和4年、5年は病床
・昭和6年3月 全快を機に、東北砕石工場の技師として就職 宣伝販売を担当
※給料の代わりに貨車3台の石灰を受け取り、農家に配った。当時、賢治は土壌改良を農家に指導していたが、冷害に苦しむ農家は、石灰を買う金が無かった。賢治が就職したのは、土壌を少しでも改善して死んでいこうと考えたから。
   8月頃 「風の又三郎」の執筆進む
 9月20日 石灰宣伝で上京中に発熱。遺書を書く
 9月28日 帰郷 自宅で病臥

 11月3日 手帳に「雨にも負けず」を書き留める 

病状悪化にもかかわらず、農民の肥料相談に応じ続ける
・昭和8年9月21日 死去
・死後、彼のトランクから昭和6年の手帳と遺書が見つかる

賢治の「雨にも負けず」なかの「北」の字が特殊なので、用例が他にもあるか調べてみた。
くずし字を調べるのに利用しているサイト「東京大学資料編纂所」の203例から。
下の横棒が無くても「北」と読んでくれるらしい。
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203例の中から賢治の「北」に似た字を選ぶと、この字が一番近い。
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東大の「くずし字」サイトは、あくまで古文書が対象だということがありますが、
賢治の字は、かなり独創的と言えるかもしれません。

名工藤原正次作の梵鐘
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堂々たる本堂
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境内は、竹の林があったりして広大なものでした。
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蓮池鍋島家の邸宅だったという客殿と本堂に上がらせていただきました。
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大きな柱時計
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室内は、古雅な雰囲気に包まれている。
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二階の外廊下
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渡り廊下と本堂が見える。
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入口と賢治の碑が見える。
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中に貼られているポスターや写真を見ると、この客殿は色々なイベントに使用されているようで、客殿から本堂に向かう渡り廊下に、竹にロウソクを並べてあった。
灯した風景を想像すると、なかなか良い感じだと思う。
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外には、素心蝋梅が咲き誇っていた。
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山茶花も咲いている。
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本当内陣
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本尊の日蓮ご真筆
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【称往院】
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本堂
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そば禁制の碑
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境内の置き石とプリムラ
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【源正寺】
昭和7年(1932)に築地からこの地に移転。本堂の左右に江戸時代の鋳物師、釜六(太田六右衛門)と釜七(太田七右衛門)作の天水桶が置かれている。
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本堂
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片方しか撮らなかった(汗)
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その中には、メダカが泳いでいた。
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【多聞院】
開山は述誉法印。新宿角筈村に元和元年(1615)に創建。昭和20年(1945)の戦火により堂宇のすべてを焼失。昭和24年に現在地に墓地を改葬移転。同29年の末には本堂・庫裡を再建した。天保の大飢饉による落命者568人の墓がある。

入口
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本堂までの境内には色々なものが置かれていた。
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石仏群
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私の好きな、獅子に乗っている文殊菩薩
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石造浮彫涅槃図
奈良の壺坂寺より寄贈されたもの。
多聞院の先々代住職が壺坂寺の住職をしていた縁によるもの。
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568人無縁墓
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これで、予定していた10のお寺の参拝を終え、帰途につきました。

(了)


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千歳烏山寺町散歩(前半)

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2月20日(木)に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの企画に参加しました。

1923 年の関東大震災により未曾有の被害を受けた浅草・築地・麻布のお寺は、当時畑地や雑木林の一帯であった烏山に新しい土地を求め、次々移転してきました。その後区画整理や戦火焼失のお寺も加わり、現在では 26 の寺院が連なる趣き深い寺町となりました。 今回はそのうち10の、次のお寺を訪ねました。
①常福寺⇒②玄照寺⇒③源良院⇒④妙裕寺⇒⑤専光寺⇒⑥高源院⇒⑦妙寿寺⇒⑧稱往院⇒⑨源正寺⇒⑩多門院

千歳烏山寺町のマップ。
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少しゆるりと最寄りの駅を出発して、京王線千歳烏山の駅を降りたのが11時をちょっと過ぎていた。これから回るコースの途中には食べるところが無いので、その前に参加者思い思いのお店でお昼を食べました。

昼食後集合場所は区民センター。
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壁には、しゃれた壁画が(笑)
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参加者が揃ったところで、スタート。

【常福寺】
顕本法華宗の常福寺は、法立山と号し、天文20年(1551)浄徳院日立上人が浅草鳥越に創建しました。浅草吉野町への移転を経て、昭和3年に当地へ移転しました。
本尊は、十界曼荼羅。
タヌキ寺として親しまれている。

入口
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入口から本堂までの間に、無数のタヌキの置物と藤棚がある。
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タヌキの集団
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可愛いタヌキで一杯である。
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石灯篭にも、よく見るとタヌキが居る(笑)
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地蔵尊像
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白梅と地蔵尊のお顔
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【玄照寺】
慶長19年(1614年)、開山は小湊誕生寺第18世忠禅院日延上人、開基は覚隆院日諦上人によって広宣流布、万民教化のために東京都芝区白金三光町105番地に開かれた。関東大震災後の区画整理のため、第25世伊丹霊瑞(瑞牙院日光上人)の代の昭和2年(1927年)、芝白金の地より、現在地に移転した。
当山の日蓮大菩薩は、雨乞い(女乞い)の祖師として知られ、農家の人や女人の信仰が厚い。墓所には帯江戸川家代々の墓、堂内には子育鬼子母神像、大黒尊天像、清正公像などが勧請安置されている。

朝鮮より捕虜として来日し加藤清正により育てられた、朝鮮王子の臨海君の二子のうち弟のほうが開山上人となっている。本堂には清正公像が安置されている。

入口
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入り口には「中国獅子」がお出迎え。
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入口から、真っ直ぐに参道が延びる。
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本堂の前にも、中国獅子が。
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両方とも口を開く阿形なのが中国獅子の特徴。
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枝垂れ梅が咲きかかっていた。
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【源良院】
浄土宗寺院の源良院は、向旭山と号し、延宝4年(1676)、浅草西福寺末として神田に開基されました。その後湯島・浅草への移転を経て、関東大震災後当地へ移転しました。当地へ共に移転してきた向旭院と合併、向旭山源良院と称しています
本尊:阿弥陀如来像
火事を防いだと逸話の残る火伏観世音菩薩がある。

入口
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入ってすぐ左手に観音堂があり、その中に三体の観音様が安置されている。
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聖観世音菩薩
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楊柳観世音菩薩
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十一面観世音菩薩
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本堂は、見上げる高みにあり。
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庫裡の前にも、とても良いお姿の石仏が二体あり。
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庫裡の玄関の前に、立派な岩苔が。
今は冬なので元気が無いが、良い季節には素晴らしいことだろう。
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次の妙裕寺の門前に、立派な枝垂れ梅があった。
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【妙裕寺】
嘉永2年(1625)、土中から発見された阿弥陀仏像を本尊とし、京都の公卿の宮仕えを嫌って出家した了頓法師が渋谷村宮益坂に廃寺となっていたものを再建。昭和24年に烏山に移転した。
築地本願寺の流れを汲む古代インド様式の本堂は昭和37年に建立された。
本尊:阿弥陀如来

本堂
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広い境内には、咲き始めた木も多かった。

枝垂れ梅
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寒桜
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【専光寺】
浄土宗単立寺院で、創建は慶長9年(1604)、貞蓮社穏誉上人が馬喰町に新たな堂宇を建立。のちに浅草新寺町へ移転し、関東大震災後に烏山へ。
本尊:阿弥陀如来
喜多川歌麿の墓がある。

入口
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本堂
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喜多川歌麿の墓
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近くに、紅梅、白梅があり。
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青面金剛立像/八王子市

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所在地:東京都八王子市下恩方町川原宿路傍
撮影日:2016年2月13日

この庚申塔は、陣馬街道沿い川原宿の路傍、三叉路に位置している。

陣馬街道から見た図
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ここには二基の庚申塔があり、右側が青面金剛立像のもの、左側は「庚申供養」と刻む文字塔である。
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今回は青面金剛立像のものを紹介する。
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銘文は:
右側面に「寛政二年」
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左側面に「(庚)戌十一月吉日」
と彫られている。
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塔身:唐破風笠付き角柱
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:なし
主尊の特徴:一面六臂、邪鬼を踏んで立つ。
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、鉾
脇侍:邪鬼、三猿(三番叟)
造立年代:寛政2年(1790)


立派な唐破風笠が載っている。
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青面金剛は一面六臂、邪鬼を踏んで立つ。
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青面金剛の顔は、風化が進んでまったくわからない。
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本手は合掌、他の手は法輪、弓、矢、鉾と推定した。
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踏まれている邪鬼も、風化が進んで、顔など細部がわからない。
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台座の三猿は、風化が進んでよくわからないが、輪郭から三猿がそれぞれ御幣、神楽鈴、扇を持って三番叟を踊っていると判断できる。
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この庚申塔は、風化が進んでしまい、よく姿がわからない。
台座の三猿がそれぞれ御幣、神楽鈴、扇を持って三番叟を踊っているのが珍しい。


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鳥の上遺跡発掘現場見学

20200303

所在地:埼玉県狭山市柏原鳥の上
見学日:2020年2月12日

この上に大規模な工場が建てられるため、市の社会教育課にて発掘調査中の遺跡を、私が所属している歴史クラブで見学を企画しました。
参加者は47名でした。

この調査は狭山工業団地拡張地区基盤整備事業の一環で、奈良平安時代(約1,300年前)の集落跡が多数検出されていて、狭山市の遺跡発掘規模としては最大規模となりました。
2018年5月から発掘調査が始まり、発掘調査は終盤にかかっているようです。

遺跡の場所
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発掘の担当者から、概略の説明があった。
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〇遺跡の時代:奈良・平安時代(8世紀から9世紀ごろ)
〇発掘された遺構
・竪穴住居跡・・・当時の東日本では一般的な住居。地面を掘り、茅葺き屋根などで覆った造りの住居。
・掘立柱建物跡・・・複数本の柱を建てて作られた建物。倉庫などに使用されていた。
・土壙(どこう)・・・方形または円形に掘られた穴。落とし穴や食料などの貯蔵、墓、トイレなど。
〇発掘された遺物
・須恵器すえき・・・現代で言うお茶碗。ロクロで作成され、窯で焼かれたものです。
・土師器はじき・・・現代で言うなべ。煮炊き用の器。ロクロを使わず、輪積みで器の形を作り、野焼きで焼いたもの。
・紡錘車(ぼうすいしゃ)・・・糸をつむぐために使用された器具。鉄製や石製のものがあります。
・刀子とうす・・・鉄製の小刀。現代で言うナイフ。

発掘されたものの一部を見せていただいた。
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内黒土器が出土しました。博物館に展示されている「群厨」と書かれた土器と同じように、内側が真っ黒に加工されている。
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出土した甕
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面白い形の器
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須恵器
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紡錘車(ぼうすいしゃ)の部品
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発掘調査は、関東ローム層(赤土)の上面まで剥いでいき、遺構を検出していきます。
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発掘調査の規模はすごく広いのに驚いた。この広い所に一つの工場が建つのだという。
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遺跡は、土が黒いところを探すわけですが、黒くても耕作土の場合があります。
これはゴボウトレンチの跡(笑)
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落とし穴
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立柱建物跡
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火事があった痕跡が残る住居跡
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燃えた柱が倒れて埋まっていた。
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床面が二段になった住居跡
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カマド跡
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発掘作業中
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見学会のために発掘された土器をまだ置いてくれていた。
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これもそう。
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大きな建物跡を発掘中
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ここが入り口らしい。
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周囲の溝が二重になっている住居跡
これは、住居を建て直して再利用している。
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左側にカマド跡
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この土塁みたいになっているのは、左右の場所で堀った土を積んだ結果。
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左右に発掘場所が広がっている。
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発掘後しばらくすると、風が土を運んで、このように埋まってしまう。
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この遺跡は、小屋、倉庫がく、何らかの作業集団が住んだ跡だということで、可能性の一つとして、近くの東金子窯など国分寺瓦を焼く窯に燃料を供給する基地だったのではないかとの推測のお話があった。
ここは、入間川の河岸段丘の上で、雑木林が生い茂っていたところなので、うなづけるお話だった。

今回の見学は、発掘途中の状態を見せていただくことで、非常に有意義なものだった。
この見学を踏まえて、3月11日の歴史クラブ定例会で、この発掘の担当者の方から講演をしていただける予定になっていた。
ところが、定例会にはいつも70名ほど出席するのだが、新型コロナウィルス蔓延防止対策で、いつも使用している会場が閉鎖されてしまっているのと、集会自体好ましくない状況なので、待ち望んでいた講演が開かれなくなってしまった(泣)
いずれ、機会が許すときに、講演をしていただくつもりであり、それが待ち遠しい。

(了)


「狭山市の歴史を訪ねる」記事一覧を見る



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穴澤天神社の狛犬

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所在地: 東京都稲城市矢野口3292 穴澤天神社参道
撮影日:2015年7月26日

延喜式内社の穴澤天神社は既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、拝殿近くの参道に居る。

年代:天保14年(1843)造立
材質:石造
型式:江戸流れ尾型

右側の阿形獅子。蹲踞している。
背中に生えた苔のせいで緑のマントを羽織っているかのようだ(笑)
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口を開いているので阿形。たてがみが巻き毛なので獅子。
たてがみは左右に分かれて巻き毛から肩から後ろと、胸の前に流れている。
耳を伏せ、頭髪と眉が鼻よりも大きく出て、目はドングリ眼。眉は大きな巻き毛が二つ並ぶ。頬髭は大きくカールしている。顎鬚は縦に直毛が並ぶ。
上唇が厚く、開けた口に舌をのぞかせ、歯は乱杭歯が少々、牙は見当たらない。
どこも丸っこい顔だが、表情は威嚇的。
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左側は吽形獅子。蹲踞している。
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口を半開きに閉じて吽形。たてがみが巻き毛なので獅子。
たてがみは左右に分かれて巻き毛から肩から後ろと、胸の前に流れている。
耳を伏せ、頭髪と眉が鼻よりも大きく出て、目はドングリ眼。眉は大きな巻き毛が二つ並ぶ。頬髭は大きくカールしている。顎鬚も大きな巻き毛が二つ並ぶ。
上唇が厚く、ちょっと開けた口に舌をのぞかせ、歯は乱杭歯が少々、牙はわかる。
どこも丸っこい顔だが、表情は威嚇的。
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太い前足を直立、後足は蹲踞。爪は強調され鋭い。体毛の表現は無い。前足の付け根に大きな巻き毛。
普通足から走り毛を張り出して表現しているが、この狛犬は足に彫り付けている。
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尾は、左右に大きな巻き毛で別れ、三本に分かれた毛が長く横に美しく流れている。
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年代は、天保14年(1843)造立。
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この狛犬の特徴は、江戸狛犬であるが、流れ尾型に多い、玉を持ったり小獅子を連れたりは無く、シンプルに作っている。
横顔が、頭髪と眉が出っ張って異様。
たてがみや顔の周囲のヒゲが、綺麗に流れて、カールの表現も豊富でとても美しい。
爪の強調も面白い。
尾は横に流れた毛が長く延びて美しい。


狛犬の記事一覧を見る



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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