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讃岐国一之宮・田村神社参道入り口の狛犬

20200729

所在地:香川県高松市一宮町字宮東286番地 田村神社参道入り口
参拝日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」の二日目、四国八十八ケ所第一番札所・霊山寺、阿波国一之宮・大麻比古神社に参拝後、この神社に参拝しました。

讃岐国一之宮・田村神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、参道入り口の鳥居前に居ます。
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年代:寛永元年(1624)
材質:石造
型式:付き尾型
右側に吽形と、阿吽の位置が逆。角あり。

右側に吽形獅子。角あり。
前足を直立。蹲踞。
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たてがみは、直毛がスッと流れて先端が巻き毛。一部は薄くスーッと胸に向かって流れる。
耳は大きく垂れている。
眉は巻き毛混ざりの直毛が横に並ぶ。頬髯、顎髭は目立たない。顎下に巻き毛。
目はドングリ眼、鼻が大きく張っている。
唇のたわみが少ない口を閉じ、牙を覗かせている。
表情は、丸っこい親しみやすい顔で、ジッとこちらを注視している感じ。
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左側に阿形獅子
前足を直立。蹲踞。
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たてがみは、直毛がスッと流れて先端が巻き毛。一部は薄くスーッと胸に向かって流れる。
耳は大きく垂れている。
眉は直毛が横に並び、吊り上がっている。頬髯、顎髭は目立たない。顎ヒゲは房状に広がっている。
目はドングリ眼、鼻が大きく張っていて、鼻の穴は丸く大きい。
唇のたわみが少ない口を開き、歯をむき出し、舌をのぞかせている。牙も鋭い。
丸っこい親しみやすい顔だが、目を吊り上げ、口をクワッと開き、威嚇している。
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前足の付け根の筋肉が強調され、爪も大きくて立派。
足首と付け根に、立派な巻き毛があり。
胴体に肋骨が表現され、精悍な感じが出ている。
後足の走り毛も立派。
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尾は付き尾型。
中央に幅広に直毛が立ち上がり、根元に中央の直毛と左右に巻き毛の三本が形づけられ、更にその下から左右に二本ずつ細い巻き毛が延びている。
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この狛犬は、阿吽の位置が逆だと云ったが、
阿吽の正しい位置というのは、狛犬を定義した最も基礎的な文献として平安末期の公事手引書『類聚雑要抄』 に拠っています。
そこには、「左獅子 於色黄 口開 右胡麻犬 於色白 不開口 在角」とあります。
「左が獅子であり色は黄色で口を開いている(阿形)、右が胡麻犬(高麗犬)で色は白く口は閉じている(吽形)、角がある」
この左右というのは、「天皇、祭神から見て」ということなので、私たちのような参拝者から見れば、祭神のいる社殿に向かって(参道なら社殿に進む方向で)右に阿形が在る、ということになります。
古代インドのサンスクリットでは、口を開いた「阿」の音で始まり、口を閉じた「吽」の音で終わるので、阿形・吽形と言いますが、左右の根拠は、天皇は常に南面して座りますが、天皇から見て左側から太陽が昇り右側に沈むことからきているみたいです。
なので、左大臣のほうが右大臣より偉い。

今回の狛犬は、身体と顔の向きから見て、最初から右が吽形だと作られている。
これには、何か意味があるのだろうか?
ちなみに、この神社の御祭神は、倭迹迹日百襲姫命、 五十狹芹彦命です。

私がこれまで経験した阿吽が逆な狛犬は、このブログで記事にした150例のうち3例ありました。
・島根県・日御崎神社楼門(主祭神:素盞鳴尊、相殿:宗像三女神)
・茨城県・阿彌神社拝殿前(ご祭神:普都大神、一説に、豊城入彦命、高来神)
・栃木県・太平山神社拝殿前(ご祭神:天照皇大御神、豊受姫大神、瓊瓊杵尊)

ネットで調べると地方の天満宮で、阿吽が逆だと書いているのが2例見つかりました。
しかし、私が行った太宰府天満宮では5組とも逆ではありませんでした。
天神さま系だからということではないようです。

どうも、祭神によるものではないようです。

方角はどうか?
日御崎神社楼門も、太平山神社拝殿も、南面しており、
この田村神社も南面しており、参道は、社殿に向かって北進の方向です。
いずれも、右側が東の方向となります。

ということで、阿吽を逆にすることの意味は、まだわかりません。


狛犬の記事一覧を見る


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長幡部(ながはたべ)神社(延喜式内社)/埼玉県児玉郡上里町

20200727

鎮座地:埼玉県児玉郡上里町長浜1370
参拝日:2020年6月29日
主祭神:天羽槌雄命、埴山姫命

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初に天神社に参拝し、その後にこの神社に来ました。
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社号標
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入口に当神社の由緒書きがある。
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(Wikipedia)
創祀年代は不詳。
高度な機織り技術を持った渡来系氏族が、神流川南岸の字宮の西的場西に機織りの神「天羽槌雄命」を守護神として祀ったことが起源とされている。「長幡」とは絹織物の一種「絁」(あしぎぬ)、社名の「長幡部」はそれを織る技術者集団「長幡部氏」を示す。 なお、「長幡部氏」の祖は、延暦4年(785年)6月に戦乱を避けるために朝鮮半島の帯方郡から阿智王と共に渡来してきた「七姓漢人」のうち皀(こう)姓とされている。
天永元年(1110年)に神流川の氾濫により社地が流されたため、字宮の西的場から現在の大字長浜に遷座した。
天正10年(1582年)6月には、武蔵国賀美郡が織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となった。兵火により社殿や古文書が焼失した。
江戸時代には、丹生神(埴山姫命)を土神・水神・火神・金神・木神に見立てたことから、「五所宮」と呼ばれていた。
明治5年には、社名を「長幡五社宮」から現在の「長幡部神社」へ復称した。

私の「武蔵国式内社めぐり」は、先輩がまとめてくれた式内社・式内論社のリストに基づき巡拝しているが、それによると当神社は式内社「今城青八坂稲実神社」「今城青坂稲実池上神社」「今城青坂稲実荒御魂神社」のすべての論社ともされている。
当神社の由緒書きにも、Wikipediaの説明にも、その説明は見えないが、調べて得られる情報のなかではすべての論社としている意見が多いので、記載をしておく。

入口の鳥居は両部鳥居。
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手水舎
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手水舎を過ぎると広場の奥まったところに、一対の石灯篭と社殿がある。
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社殿は、ずいぶんと高さを持った大きな覆殿一つである。
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覆殿正面の梁には彩色彫刻が施され、中央に注連縄が張られて、参拝出来るようになっている。
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中を覗くと中央に、長幡部神社の朱塗りの立派な本殿が鎮座している。
その左右に三つの社殿が配祀されている。
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長幡部神社の朱塗りの立派な本殿は、二間社平入り。
脇障子や彫刻などの装飾がほとんど無いことから、古い時代の形式のものである。
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この本殿は、それぞれ扉を設けた二つの部屋を備えている。
ということは、二柱の神が祀られていることになる。
当神社の由緒書きやWikipediaでは、ご祭神は天羽槌雄命となっているが、
Wikipediaには、「江戸時代には、丹生神を土神・水神・火神・金神・木神に見立てたことから、「五所宮」と呼ばれていた。」とある。
また、「内陣には男神と女神の二神像が祀られている」との記事も見受けられる。

よって、そうしている記事にならって、ここでは
ご祭神は、天羽槌雄命、埴山姫命としておく。

同じ覆殿のなかに、三社祀られている。
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まず考えられるのは、三つの式内社「今城青八坂稲実神社」「今城青坂稲実池上神社」「今城青坂稲実荒御魂神社」ではないかということ。
それから祀られている祭神としては、『巡礼旧神祠記』岡象女命、『武藏国式内四十四座神社命附』姫大神、『神社覈録』比咩大神、『地理志料』大根王の名前を挙げている記事があり、他にも、綺日女命(かむはたひめのみこと)・多弖命(たてのみこと)の名が挙がっている。
大根王は、『古事記』において、豪族として登場するが、関連ある人物として神大根王もいる。
神大根王は、第9代開化天皇の皇子である日子坐王の子で、長幡部連などの祖とされている。
綺日女命・多弖命は、茨城県常陸太田市にあり、常陸国久慈郡の式内社である当社と同名の神社でも祀られていることから、うなずける節もある。

境内社に参拝した。
稲荷社の覆殿と石祠が二つである。
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覆殿の中の稲荷社
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石祠は、久保・皇大神社(祭神:大日孁貴命)と、字宮・丹生社
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社殿の後ろは、遊園地となっていた。
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参拝を終え入り口に戻ると、目の前に田んぼと山なみ、それから気持ちのいい雲が広がっていた。
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続いて、七本木神社に向かった。

七本木神社の記事を見る


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ワクムスビ(和久産巣日神、稚産霊)/日本の神々の話

20200724

『古事記』では和久産巣日神、『日本書紀』では稚産霊と表記される。
神名の「ワク」は若々しい、「ムスビ」は生成の意味であり、穀物の生育を司る神である。
『古事記』では食物神のトヨウケヒメ(豊受比売神)を生み、『日本書紀』ではその体から蚕と五穀が生じている。
『古事記』では神産みの段に登場する。イザナミ(伊邪那美命)が火の神・カグツチ(火之迦具土神)を生んで火傷をし、病に伏せる。その尿(ゆまり)から、水の神・ミズハノメ(弥都波能売神)が生まれ、次にワクムスビが生まれたとしている。食物(ウケ)の神である、トヨウケヒメを娘とする。
『日本書紀』では第二の一書に登場する。イザナミが火の神・カグツチを生んで死ぬ間際に、土の神・ハニヤマヒメ(埴山姫)と水の神・ミズハノメを生む。そこでカグツチがハニヤマヒメを娶り、ワクムスビが生まれたとしている。そして、この神の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(へそ)の中に五穀が生じたとしている。

『古事記』
「伊邪那岐命と伊邪那美命」の巻、「二神の神生み」の段
(現代語訳)
 イザナキ・イザナミニ神は、国を生み終えて、さらに神を生み出した。そして生んだ神の名は、オホコトオシヲノ神、次にイハツチピコノ神を生み、次にイハスヒメノ神を生み、次にオホトヒワケノ神を生み、次にアメノフキヲノ神を生み、次にオホヤピコノ神を生み、次にカザモツワケノオシヲノ神を生み、次に海の神の、名はオホワタツミノ神を生み、次に水戸の神の、名はハヤアキツヒコノ神、次に女神のハヤアキツヒメノ神を生んだ。 オホコトオシヲノ神からアキッヒメノ神まで合わせて十神。
(途中略)
 次に生んだ神の名は、トリノイハクスフネノ神で、またの名はアメノトリフネという。次にオホゲツヒメノ神を生んだ。次にヒノヤギハヤヲノ神を生んだ。またの名はヒノカガピコノ神といい、またの名はヒノカグツチノ神という。この子を生んだために、イザナミノ命は、陰部が焼けて病の床に臥された。そのときの嘔吐から成った神の名は、カナヤマピコノ神とカナヤマビメノ神である。
 次に糞から成った神の名は、ハニヤスピコノ神とハニヤスビメノ神である。次に尿から成った神の名は、ミツハノメノ神とワクムスヒノ神である。このワクムスヒノ神の子は、トヨウケビメノ神という。そしてイザナミノ神は、火の神を生んだのが原因で、ついにお亡くなりになった。 

これは、『古事記』のオオゲツヒメ(大気都比売)や、『日本書紀』第十一の一書のウケモチ(保食神)のような、食物起源の神話となっている。しかし、この2柱の神の場合は、殺された死体から穀物が生じているのに対し、ワクムスビの場合は殺される話を伴なっていない。このため、かつてはワクムスビの単純な形が古いとされていたが、現在は、「ハイヌウェレ型神話」が簡略化され、結末の部分だけが残されたものといわれている。
五穀・養蚕の神として信仰されており、他の食物の神と一緒に祀られることが多い。

※ハイヌウェレ型神話とは (Wikipedia)
世界各地に見られる食物起源神話の型式の一つで、殺された神の死体から作物が生まれたとするものである。その名前は、ドイツの民俗学者であるアードルフ・イェンゼン(英語版)が、その典型例としたインドネシア・セラム島のヴェマーレ族(英語版)の神話に登場する女神の名前から命名したものである。
日本神話のオオゲツヒメや保食神(ウケモチ)・ワクムスビにもハイヌウェレ型の説話が見られ(日本神話における食物起源神話を参照)、東南アジアやオセアニアから伝わったものと考えられる。しかし、日本神話においては、発生したのは宝物や芋類ではなく五穀である。よって、日本神話に挿入されたのは、東南アジアから一旦中国南方部を経由して日本に伝わった話ではないかと考えられている。

和久産巣日神は、愛宕神社(京都市)、竹駒神社(宮城県)、安積国造神社(福島県)、麻賀多神社 (千葉県)などで祀られている。
私は、東京都・王子稲荷神社、千葉県・麻賀多神社、福岡県・宗像大社末社・室貴若宮神社、埼玉県上里町・天神社の祭神としてお参りした。


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青面金剛立像/埼玉県川越市

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所在地:埼玉県川越市鴨田1138先三叉路
撮影日:2017年10月27日

この庚申塔は、伊佐沼の近く田んぼの中の三叉路に、お地蔵さん二体と一緒に立っている。
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塔身は駒形。
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銘文は、
右側に「奉庚申待塔 武州入間郡」とあり、
左側に「延享二巳丑季三月大吉祥日 鴨田村」とある。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮き彫り
主尊の特徴:頭に蛇、邪鬼を踏んで立つ。
本手:合掌
他の手:法輪、弓、矢、三叉矛を持つ。
脇侍:二鶏、邪鬼、三猿
造立年代:延享2年(1745)

日月は瑞雲を浮き彫りにして、そこに日月を筋彫り。
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青面金剛は、邪鬼を踏んで立つ。
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高髻(こうけい)の頭に蛇が巻き付いている。
顔は、目が吊り上がり忿怒の表情。
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本手は合掌。
他の手は、法輪、弓、矢、三叉矛を持つ。
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踏んづけられた邪鬼の表情は、怒り顔で、まだ降参した感じではない。
青面金剛の足元、左右に鶏が筋彫りで刻まれている。
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その下の岩に刻まれたダイヤ型の三猿は、右から「言わざる、聞かざる、見ざる」となっている。
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この庚申塔の特徴は、像容がまだ明確に残っていてわかりやすい。
日月、二鶏、邪鬼、三猿と構成要素がきちんと揃っている、良い像だと思う。
頭の蛇も大きくてわかりやすい。
左右の鶏も、筋彫りなのにわかりやすい。
これは、定期的に洗われているのではないかと思う。
お地蔵さんとセットで、赤い前垂れも掛けられていて、大事にされているのが、嬉しかった。



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阿波国一之宮・大麻比古神社境内社西宮神社の瓦狛犬

20200720

所在地:徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13 大麻比古(おおあさひこ)神社境内社西宮神社
撮影日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」の二日目、四国八十八ケ所第一番札所・霊山寺に参拝後、この神社に参拝しました。

阿波国一之宮・大麻比古神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、境内社の西宮神社に居ます。
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年代:不明
材質:瓦製
型式:特殊型-背びれ尾

右側は阿形獅子。
たてがみが巻き毛なので獅子。
丸太みたいなものを抱えてお座りしている。
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たてがみには、フジツボみたいな巻き毛がある。
顔は、パグみたいなブサカワ顔。
耳は、魚のヒレみたいな形状で、横に開いている。
眉はフジツボみたいな巻き毛が横に並ぶ。
目は飛び出している。鼻スジがすごく高くて丸い鼻の穴が並ぶ。
鼻鬚は真ん中にチョボチョボ、太い八の字鬚があり。
大きな口は、唇は正面はまっすぐで、横をたわませて開いで歯をのぞかせている。
表情は、極めて愛嬌があり、人懐こく笑っている感じ。
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右側は吽形獅子。
たてがみが巻き毛なので獅子。
丸太みたいなものを抱えてお座りしている。
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たてがみには、フジツボみたいな巻き毛がある。
顔は、パグみたいなブサカワ顔。
耳は、魚のヒレみたいな形状で、横に開いている。片方の耳は失われている。
眉はフジツボみたいな巻き毛が横に並ぶ。
小さい丸い目と、ちょこんとした鼻。
鼻鬚は無くて、顎髭は小さい房状に並ぶ。
大きな口は、歯列を見せて閉じている。
表情は、極めて愛嬌があり、人懐こく笑っている感じ。
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尾は、これまで見たことが無い形状で、魚の背ビレそっくりである。
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この狛犬の特徴は、造形がいかにも特殊。
巻き毛があるので獅子と思いきや、顔はパグのようにブソカワである。
耳は魚のヒレみたいだし、尾も魚の背ビレそっくりだ。巻き毛もフジツボみたいな感じで、
海の中から現れた生物みたいな感じも強い。
体勢も、お座りして丸太のようなものを抱えている。
分類としては、たぶん他にはみられないものだと思うので、「特殊型-背ビレ尾」とした。


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天神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡上里町

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鎮座地:埼玉県児玉郡上里町五明871
参拝日:2020年6月29日
主祭神:稚産霊神(わくむすびのかみ)、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初に訪ねたのは、上里SA(下り)からスマートETCで外に出て3分ほどで到着の天神社。
五明集会所の駐車場が一の鳥居と社殿の間にある。
参道の途中に五明集会所と駐車場が出来ちゃったということなんだろう。

行くのは面倒なので、とりあえず一の鳥居は望遠で写真を撮った。
一の鳥居(神明鳥居)
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一の鳥居からの参道から駐車場を介して社叢を見る。
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神社入口、二の鳥居のところに、二つの説明板があった。
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武蔵国賀美郡の延喜式内「今城青八坂稲實神社」の論社で、旧社格は村社。旧五明村の鎮守。
由緒:
創祀年代は不詳。 社名の起源は、稲作信仰によるもので、渡来系氏族が高度な稲作技術を導入し、稲霊を祀ったことと伝えられている。なお、渡来系氏族とは、5世紀末から6世紀初めにかけて朝鮮半島の百済から渡来してきた今来漢人(いまきかんじん)のことで、当初の居住地「大和国今来郡」から移住してきたため、社名「今城」(いまき)の起源とされている。
渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し、「稲魂」を祀る神社を建立したのが、「稲実」だとされる。

現在の社殿は、江戸時代中期の享保7年(1722年)の再建で、江戸時代後期の天保年間(1830年-1844年)に書かれた中岩満次郎道純の祈願書が残されている。
中岩道純は江戸時代後期の交代寄合旗本。家紋である中黒紋の付いた幕と高張提灯を当社に寄進している。
江戸期から現社号で呼ばれてきた。
天正10年(1582年)6月、神流川の戦いにおいて、滝川一益が当地に陣を転じ、大いに勝利したと伝えられ、転陣林との名称が生まれた。ここから「天神さま」に。
村の鎮守として、別当寺は大輻寺。明治になり、寺の管理から離れた。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治10年(1877年)に白山神社を、明治42年(1909年)に丹生神社を若宮より遷し、合祀した。
大正8年(1919年)2月3日、神饌幣畠料供進社に指定された。
例祭は10月19日で秋祭り。当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。
境内社に、諏訪神社・稲荷神社・八坂神社・市杵島神社がある。

昭和42年に、境内から 「えむぎしきない」 「いまきあおやさかのかみ」 と刻まれた神代石の石棒が発見された。このことが根拠となり、式内社名の論社とされている。現在は、この石棒が御神体として祀られている。
つまり、「延喜式内」「今城青坂神」。これが式内社としての大きな根拠となっている。境内は古くから「今城林」と呼ばれていた。

二の鳥居(両部鳥居)
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神橋
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神橋のところには、かっては小川が流れていたと思う。
現在は、橋の桁柱が地中に深く埋まってしまっている。洪水の痕跡だろう。
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手水舎
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神仏ごっちゃになった石碑群がありました。
江戸時代の神仏習合のなごり。
石碑は一つ一つ撮ってきたが、神仏名だけ記載しておく。
薬師如来、素戔嗚尊、大巳貴命、国常立尊、中央大日不動明王、普賢大菩薩、貴船大明神、普嶽霊神、猿田彦大神、國嶽霊神、御岳山坐王大権現、御岳山大神、八海山大神、三笠山大神、千代松霊神
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神楽殿
当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。
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拝殿の前には、昭和2年(1927奉納の狛犬が居ます。
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拝殿
入母屋造り、瓦葺き。
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向拝部は、すっきりしたもの。
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拝殿内部は、このように不透明な厚いビニールで格子を覆われているため、覗くこともかなわず。
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本殿覆い屋はまったく隙間なく、本殿も拝むことはかなわず。
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主祭神:
稚産霊神(わくむすびのかみ)
豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)

「天神さま」というと菅原道真を祀ってあるのが普通だが、五穀・養蚕の神である祭神をみると、渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し、「稲魂」を祀る神社を建立した。その後、天正10年(1582年)6月、神流川の戦いにおいて、滝川一益が当地に陣を転じ、大いに勝利したと伝えられ、転陣林との名称が生まれた。ここから「天神さま」になったという話がうなずける。

本殿のすぐ後ろに、石祠がある。
これは、若宮・丹生社
ご祭神:月読命
明治42年(1909年)に合祀。社殿裏に鎮座。
『風土記稿』五明村の項には「丹生社・天神社以上二社を村の鎮守とす、大福寺持なり」とある。丹生社は、用水を隔てて当社の東、現在の集会所の建つ場所に鎮座していた。
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若宮・白山社
ご祭神:白山比咩大神(菊理媛尊)
本殿右側に接して鎮座
明治10年(1877年)に合祀。
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拝殿の正面に向かって右側の石祠群
諏訪神社(建御名方神)
稲荷神社(宇迦之御魂大神)
八坂神社(素戔嗚尊)
市杵島神社(市杵島姫神)
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拝殿の左に、「神宮 山稜 遥拝所」の石柱が置かれていた。
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南には田んぼがひろがり、その先に上越新幹線の線路が見渡せた。
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参拝が終わって駐車場に戻ると、この日は天気が良くて、空には白雲が広がって気持ちが良かったので、つい写真に収めた。
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続いて、長幡部神社に向かった。


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思金神(おもいかねのかみ)/日本の神々の話

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『古事記』では思金神、常世思金神、『日本書紀』では思兼神、『先代旧事本紀』では思金神、常世思金神、思兼神、八意思兼神、八意思金神と表記する。
高御産巣日神の子であり、天忍穂耳命の妻である万幡豊秋津師比売命の兄。

高皇産霊尊の子とされるが、常世の神とする記述もある。
高天原の知恵袋といっても良い存在である。
最も有名な話では、岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている。

『古事記』の「天照大御神と須佐之男命」の巻、「天の石屋戸」の段
(現代語文)
(二神の誓約生みの後、須佐之男命が高天原で乱暴狼藉を働き)
天照大御神は恐れて、天の石屋の戸を開いて中におこもりになった。そのために高天原はすっかり暗くなり、葦原中国もすべて暗闇となった。こうして永遠の暗闇がつづいた。そしてあらゆる邪神の騒ぐ声は、夏の蠅のように世界に満ち、あらゆる禍がいっせいに発生した。
 このような状態となったので、ありとあらゆる神々が、天の安河の河原に会合して、タカミムスヒノ神の子のオモヒカネノ神に、善後策を考えさせた。そしてまず常世国の長鳴き鳥を集めて鳴かせ、次に天の安河の川上の堅い岩を取り、天の金山の鉄を採って、鍛冶師のアマツマラを捜して、イシコリドメノ命に命じて鏡を作らせ、玉祖命に命じて、たくさんの勾玉を貫き通した長い玉の緒を作らせた。次にアメノコヤネノ命とフトダマノ命を呼んで、天の香具山の雄鹿の肩骨を抜き取り、天の香具山の朱桜を取り、鹿の骨を灼いて占い、神意を待ち伺わせた。そして天の香具山の枝葉の繁った賢木を、根ごと掘り起こして釆て、上の枝に勾玉を通した長い玉の緒を懸け、中の枝に八咫の鏡を懸け、下の枝に楮の白い布帛と麻の青い布帛を垂れかけて、これらの種々の品は、フトダマノ命が神聖な幣として捧げ持ち、アメノコヤネノ命が祝詞を唱えて祝福し、天手力男神が石戸の側に隠れて立ち、アメノウズメノ命が、天の香具山の日陰蔓を襷にかけ、眞拆鬘を髪に擬い、天の香具山の笹の葉を束ねて手に持ち、天の石屋戸の前に桶を伏せてこれを踏み鳴らし、神がかりして、胸乳をかき出だし裳の紐を陰部までおし下げた。すると、高天原が鳴りとどろくばかりに、八百万の神々がどっといっせいに笑った。
 そこで天照大御神はふしぎに思われて、天の石屋戸を細めに開けて、中から仰せられるには、「私がここにこもっているので、天上界は自然に暗闇となり、また葦原中国もすべて暗黒であろうと思うのに、どういうわけでアメノウズメは舞楽をし、また八百万の神々はみな笑っているのだろう」と仰せられた。そこでアメノウズメが申すには、「あなた様にもまさる貴い神がおいでになりますので、喜び笑って歌舞しております」と申しあげた。こう申す間に、アメノコヤネノ命とフトダマノ命が、その八咫鏡をさし出して、天照大御神にお見せ申しあげるとき、天照大御神がいよいよふしぎにお思いになって、そろそろと石屋戸から出て鏡の中をのぞかれるときに、戸の側に隠れ立っていた天手力男神が、大御神の御手を取って外に引き出し申した。ただちにフトダマノ命が、注連縄を大御神の後ろに引き渡して、「この縄から内にもどっておはいりになることはできません」と申しあげた。こうして天照大御神がお出ましになると、高天原も葦原中国も自然に太陽が照り、明るくなった。
 そこで八百万の神々が一同相談して、ハヤスサノヲノ命にたくさんの贖罪の品物を科し、また髭と手足の爪とを切って祓えを科して、高天原から追放してしまった。

(八意)思金神の「八」を「多い」、「意」を「思慮」と解し、「八意」は思金神への修飾語、「思」を「思慮」、「金」を「兼ね」と解し、名義は「多くの思慮を兼ね備えていること」と考えられる。

秩父神社(埼玉県秩父市)、阿智神社(長野県下伊那郡阿智村)などに阿智祝氏、知々夫国造などの祖神として祀られているほか、戸隠神社などでは知恵・学問の神として信仰されている。また、天気に関する唯一の神社、気象神社(東京都杉並区)にも祀られている。

思金の文字から曲尺が連想され、建築前に行われる手斧初の儀式の主神としても信仰されている。これは、建前にかかる初の日に正面を南向きにして頭柱を立て、柱の正面に天思兼命と書き、右左にそれぞれ建築の神である手置帆負神、彦狭知命の名を書き、さらに裏面に年月日・建主名を墨書するという儀式のことを指す。


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青面金剛立像/武蔵野市

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所在地:東京都武蔵野市吉祥寺東町1-1-21安養寺門前
撮影日:2018年1月5日

歴史クラブで毎年正月に開催している「七福神めぐり」で、「武蔵野吉祥七福神めぐり」をしたときに、布袋尊の安養寺の門前にあったものです。

門前にズラッと石仏が並んでいるうち、奥から二つ目に庚申塔がありました。
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塔身は舟形光背。
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銘文は、江戸時代のものと同様に、
右側に「奉供養二世安楽」、左側に「享保四巳亥年?月吉日」と刻まれている。
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塔身:舟形光背
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮き彫り
主尊の特徴:髪、顔は磨滅して不明。岩の上に立つ。
本手:合掌
他の手:法輪、弓、矢、鉾を持つ。
脇侍:三猿
造立年代:享保4年(1719)

日月は浮き彫りのみ。
青面金剛は、岩の上に立つ。
髪、顔は磨滅して不明。
本手は合掌。
他の手は、法輪、弓、矢、鉾を持つ。
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その下の岩に刻まれた三猿は、両側の猿が横向きで中央の猿に向いている。
中央の猿が「聞かざる」なのはわかるが、両側は「見ざる、言わざる」の区別がつかない。
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この庚申塔の特徴は、
合掌していることや、持ち物は明瞭だが、
青面金剛の顔や三猿の顔は、磨滅破損していてよくわからないのが残念。
造立の時期的には中期だが、日月は瑞雲が付いていないし、鶏も邪鬼も登場していない、あっさりした像容となっている。


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阿波国一之宮・大麻比古神社拝殿前の狛犬

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所在地:徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13 大麻比古(おおあさひこ)神社拝殿前
撮影日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」の二日目、四国八十八ケ所第一番札所・霊山寺に参拝後、この神社に参拝しました。

阿波国一之宮・大麻比古神社については、既に記事があります。

その記事を見る

今回の狛犬は、拝殿前に柵の中に保護されて居ます。
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年代:宝暦十二年(1762)
材質:石造
型式:はじめ型(禿型)

右側は阿形狛犬。角は無い。
たてがみがオカッパで直毛なので狛犬。
細い前足を直立させ、蹲踞している。
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顔は、東京都早稲田にある穴八幡宮の狛犬(宝暦五年)によく似ている。
たてがみが、おかっぱで直毛なので狛犬。
耳が大きく、顔より下に垂れている。
眉は目の真上に巻き毛が一つそこから横に毛が並ぶ。
目はドングリ眼で大きい。鼻はほどほどの大きさで鼻の穴が真ん中寄りに二つ。
口は大きく、唇にまったくたわみが無く、まっすぐ横に半開きで歯列をのぞかせている。
牙は口元にのぞかせている。
表情は、人懐こく笑っている感じ。
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左側は吽形狛犬。角がある。
たてがみがオカッパで直毛なので狛犬。
細い前足を直立させ、蹲踞している。
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顔は、東京都早稲田にある穴八幡宮の狛犬(宝暦五年)によく似ている。
二股の、小さめの角がある。
たてがみが、おかっぱで直毛なので狛犬。
耳が大きく、顔より下に垂れている。
眉は目の真上に巻き毛が一つそこから横に毛が並ぶ。
目はドングリ眼で大きい。鼻はほどほどの大きさで鼻の穴が真ん中寄りに二つ。
口は大きく、唇にまったくたわみが無く、まっすぐ横に歯を噛みしめて閉じている。
牙は口元にのぞかせている。
表情は、人懐こく笑っている感じ。
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顔に比べて、身体が小さい。
細い前足を直立させ、後足は蹲踞。
身体の筋肉の表現は無く、爪はほとんどわからない。
前足の根元に羽根のような毛が延びている。足の走り毛は無く、体毛の表現も無い。
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尾は付き尾。
背中に沿って帯状に延び、一度渦巻いて三本の帯に分かれる。
両側面に羽根のように毛が延びている。
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年代は、宝暦十二年(1762)。
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体型と、ほとんど体毛の表現が無いことや、付き尾であることから「はじめ型」とした。
また、たてがみがおかっぱなので、越前を中心にみられる禿型とした。
禿型は私が確認しているので一番古いのは、福井県気比神宮ので享保11年(1726)というのがあるので、禿型としておかしくはない。
どこかで会った顔だと調べたら、東京都早稲田にある穴八幡宮の狛犬(宝暦五年)によく似ているのが面白かった。


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楡山(にれやま)神社(延喜式内社)/埼玉県深谷市

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鎮座地:埼玉県深谷市原郷336
参拝日:2020年2月7日
ご祭神:伊邪那美命

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で熊谷市、深谷市などに存在する式内社三社(田中神社、知形神社、楡山神社)を巡拝しました。
田中神社、知形神社の順に参拝し、その後この神社に参拝しました。

入口に大鳥居と社号標が立つ。
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社号標
式内社:武蔵国幡羅郡 楡山神社、旧県社
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(楡山神社HPから)
 【社名の由来と御神木】
 御社名の由来は、御神域一帯に楡の木が多かったことによる。現在も多数の楡の古木があり、北参道入口のほか、正面大鳥居の脇の楡の古木一本は埼玉県の文化財(天然記念物)の指定あり、明治期の文書に樹齢一千年ともいはれた。

 【創立と沿革】
 五代孝昭天皇の御代の御鎮座といふ言ひ伝へがあった。
 大字原郷全域から東隣の大字東方の西部にかけて分布する木之本古墳群(木之本は小字名)は、奈良時代ごろのものといはれ、古くからひらけた土地であることをうかがはせる。現在の末社の天満天神社(富士浅間神社)や知知夫神社も、後世の創祀ではあるが、古墳の塚上に祀られてゐたものである。かっては境内の森の奥にも塚があり、「里人不入の地」といはれた。
 延喜年間(平安時代)、醍醐天皇の御代に朝廷の法規などをまとめた書「延喜式」の「神名帳」の巻に、「武蔵国幡羅郡四座」のうちの一社「楡山神社」とある。すなはち朝廷より幣帛を賜った古社であり、「延喜式内社」といはれる。
 旧原ノ郷村は、平安時代中期の北武蔵の武将・幡羅太郎道宗の再興になる地域である。神社の南西に史跡「幡羅太郎館趾」がある。当時から幡羅郡の総鎮守、幡羅郡總社といはれ、社名を幡羅大神ともいった。
 康平年間(1058~1065)、源義家の奥州征伐の時、幡羅太郎道宗の長男の成田助高は、当社に立ち寄って戦勝を祈願したといふ。成田家は後に行田の忍城主となっていったが、当社は成田家代々の崇敬が篤かったといふ。
 徳川時代には、旧社家の没落と共に別当天台宗東学院の管理する所となり、「熊野三社大権現」あるいは単に「熊野社」と呼ばれたこともあったが、「楡山熊野社」などとも言ひ、「楡山」の名も失はれてゐなかった。当時より節分の日の年越祭は盛大であり、「権現様の豆蒔」などともいはれた。
 明治五年、旧入間県八大区の郷社に制定される。大正一二年県社に昇格。
当神社ほか「明治期の建造物を訪ねる散歩コース」に指定されてゐる。

大鳥居に架かる社額には立派な屋根がついている。
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まっすぐ社殿まで参道が延びる。
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手水舎
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神楽殿
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二の鳥居のところで一段上がり、玉垣に囲まれている。
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拝殿
入母屋造り、明治43年再建
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拝殿の前に狛犬が居るが、実に面白い。
身体は狛犬が蹲踞した形だが、顔がどう見ても狸である。
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向拝部は、彫刻も無く、あっさりしたもの。
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拝殿内部
幣殿の前に、雅楽の鉦鼓が置かれている。
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拝殿からちょっと長い廊下で本殿に繋がっている。
春日造り、造営年不詳。明治以前は屋根は桧皮葺で千木と鰹木があり、柱などに葵の紋金具があったという。
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本殿の三面は、立派な彫刻で飾られている。
左側面は、唐子が凧あげをして遊んでいる図。
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背面は、唐子が獅子舞をしている図。
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右側面は、唐子が雪だるま作りをしている。
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ご御祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)の一柱である。
たいてい、伊邪那岐命とペアで祀られているのがほとんどであるが、どうしてだろうか?
気になった。
祭神は、古くは猿田彦命であったという情報もある。

神紋は「八咫鏡に八咫烏」
「八咫烏(やたがらす)」は、初代神武天皇の東征の際、南紀の熊野から、翼の大きさ八尺余りの八咫烏の道案内で、大和に入ったといふ故事から、当社が熊野権現といわれた時代に定まったものらしい。
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拝殿のまわりには、奉納額が多く、厚く信仰されていたことがわかる。
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拝殿の鬼瓦は、「楡山」の文字が入った立派なものだった。
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社殿の周りをぐるっと遠く囲むように末社が祀られている。
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末社を参拝していく。

〇荒神社(こうじんじゃ)
主祭神:火産霊命、奥津比古命、 奥津比売命
配祀:御穂須々美命、天津児屋根命、斎主命、武甕槌命、比売命
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火の神、かまどの神であり、火の災いを防ぎ、家を守護する神。
もと原郷東北部(字根岸)の田へ降りる手前に鎮座。年代不詳。配祀の神はその境内にあった諏訪神社、春日神社を合祀したもの。社殿の彫刻が美しい。

社殿の前に、享和3年(1803)奉納の御神燈があり。
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社殿の彫刻が美しい。
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〇天満天神社(てんまんてんじんじゃ)
主祭神:菅原道真公
配祀:市杵島毘売命、岩長比売命、木花佐久夜毘咩命
学問の神。和歌や書の神でもあり、雷除けの神でもある。配祀の市杵島毘売命(通称弁天様)は音楽や技芸の神。
もと原郷東部(字木之本)の仙元山古墳に鎮座。同所の富士浅間神社(浅間様)、小御嶽神社(以上は元Y家所有)、および字根岸の市杵島神社を合祀。さらに根岸の荒神社の末社の天神社を合祀。
根岸には根岸沼の地名あり。浅間様は養蚕守護などの神で、明治の中ごろまでは富士講が盛んだった。
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〇手長神社(てながじんじゃ)
御祭神*天手長男命(あめのてながをのみこと)
火防せの神。
原郷西部・字城西より移転。ほかに木之本の天満天神社の境内社、根岸の荒神社の境内社、新坪の大雷神社の境内社、の3つの同名神社を合祀。
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〇大雷神社(だいらいじんじゃ)
御祭神:大雷神、伊邪那岐命、伊邪那美命
原郷北部・字新坪(原新田)より移転。字根岸の三峯神社を合祀。
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〇八坂神社(やさかじんじゃ)
通称 天王様(疫病の神様)
御祭神:須佐之男命
字根岸の地より移転。
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〇知々夫神社(ちちぶじんじゃ)
通称 妙見様
御祭神:八意思兼神(やこころおもひかねのみこと)、知々夫彦命
幕末のころ字木之本と根岸の境の妙見山古墳に勧請。もと木之本のY家所有。
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「妙見星神」と書かれた石碑が「贔屓」の上に乗っている。
妙見とは金星のことで、日没後の西空に一番星として出る宵の明星,または日の出前の東空には明の明星として、密教系仏教で信仰されている。
贔屓は龍の子供で、このように重いものを担うといわれる。「贔屓の引き倒し」は、このような石碑から云われるようになった。
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まだ、下記の末社があったようだが、撮り損ねた。
◇伊奈利神社(豊受毘売命、大地主命・埴山毘ロ羊命)地神社を合祀。
◇大物主神社(三輪大物主命、少彦名命)金刀比羅神社、怡母神社を合祀。
◇招魂社

これで、この日予定した三社に参拝を終え、満足して帰途についた。


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建御雷神/日本の神々の話

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『古事記』、『日本書紀』に登場する神。
鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている。

『古事記』では建御雷之男神・建御雷神、『日本書紀』では、武甕槌、武甕雷男神などと表記される。単に建雷命と書かれることもある。別名 建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)。
また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。

『古事記』の「二神の神生み」の段で、
伊弉諾尊(伊邪那岐・いざなぎ)が火神軻遇突智(カグツチ)の首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である。
剣のまたの名は伊都尾羽張(イツノオハバリ)という。
『日本書紀』では、このとき甕速日神(ミカハヤヒノカミ)という建御雷の租が生まれたという伝承と、建御雷も生まれたという伝承を併記している。

『古事記』の、「出雲の国譲り」で有名な「葦原中国平定」の巻で、
アマテラスは、タケミカヅチかその父イツノオハバリを下界の平定に派遣したいと所望したが、建御雷が天鳥船(アメノトリフネ)とともに降臨する運びとなる。出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立ったタケミカヅチは、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、大国主(オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判をおこなった。大国主は、国を朝廷に譲るか否かを子らに託した。子のひとり事代主は、すんなり服従した。もう一人、建御名方神(タケミナカタ)(諏訪大社の祭神)は、建御雷に力比べをもちかけ、手づかみの試合で一捻りにされて恐懼して遁走し、国譲りがなった。このときの建御名方神との戦いは相撲の起源とされている。

『古事記』の、神武天皇の東征の段で、
熊野で、熊(土地の荒ぶる神)が出現したため、神武以下全軍が気を失うか、力が萎えきってしまったが、熊野の高倉下(たかくらじ)が献上した剣を持ち寄ると天皇は目をさまし、ふるうまでもなく自ずと熊野の悪神たちをことごとく切り伏せることができた。神武が事情をたずねると、高倉下の夢枕に神があらわれ、「倉に置いておいた剣を届けろ」と云われたという。
アマテラスやタカミムスビ(高木神)が、タケミカヅチにいまいちど降臨して手助けせよと命じると、建御雷は、かって使用した自分の剣をさずければ事は成ると言い、(高倉下の)倉に穴をあけてねじこみ、神武のところへ運んで貢がせたのだという。その剣は布都御魂(ふつのみたま)であり、石上神宮のご神体である。

名義は、
・「甕(ミカ)」、「津(ヅ)」、「霊(チ)」、つまり「カメの神霊」とする説、「甕」から卜占の神の性格を持つとする説。
・「建」は「勇猛な」、「御」は「神秘的な」、「雷」は「厳つ霊(雷)」の意で、名義は「勇猛な、神秘的な雷の男」とする説。
・雷神説

祭祀を司る中臣氏が倭建命の東国征伐と共に鹿島を含む常総地方に定着し、古くから鹿島神ことタケミカヅチを祖神として信奉していたことから、平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。

元々は常陸の多氏(おおうじ)が信仰していた鹿島の土着神(国津神)で、海上交通の神として信仰されていたとする説がある。
大和岩雄の考察によれば、もともと「大忌」つまり神事のうえで上位であるはずの多氏の祭神であったのだが、もとは「小忌」であった中臣氏にとってかわられ、氏神ごと乗っ取られてしまったのだという(『神社と古代王権祭祀』)。

鯰絵では、要石に抑え込まれた、日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている。
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鹿島神宮の要石
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鹿島神宮境内にある、建御雷神と鯰の石碑
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青面金剛立像②(新旧2基)/武蔵野市

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所在地:東京都武蔵野市八幡町1-1-2 延命寺境内
撮影日:2018年1月5日

歴史クラブで毎年正月に開催している「七福神めぐり」で、「武蔵野吉祥七福神めぐり」をしたときに、毘沙門天の延命寺の境内にあったものです。

ズラッと石仏が並んでいるうち、庚申塔は4基ありました。
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で、よく見ると江戸時代のものを昭和55年に再建しており、新旧二基のセット2組であることがわかりました。
というのは、どう見ても新しいのに江戸時代の年号が刻まれていたので、エッと思い調べたらそういうことが判明したというわけです。

前回、塔身が舟形のもの新旧二基を紹介しました。
今回は、塔身が唐破風笠付角柱型の新旧二基を紹介します。
並んで居る4基のうち、一番右が江戸時代のもので、右から三番目が昭和に再建されたもの。
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【江戸時代に建立されたもの】

塔身は唐破風笠付角柱。
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銘文:
右側面に 「奉供養庚申待爲講中二世安樂也」/「武刕多摩郡関前村」
左側面に 「 元文四己未十一月十七日」と彫られている。
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塔身:唐破風笠付角柱
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮き彫り瑞雲付き
主尊の特徴:髪、顔ほとんど不明。邪鬼を踏んで立つ。
本手:合掌
他の手:法輪。弓、矢、鉾。
脇侍:邪鬼、三猿
造立年代:元文四年(1739)

日月は浮き彫り瑞雲付き。辛うじてわかる。
青面金剛は一面六臂、邪鬼を踏んで立つ。
髪、顔は磨滅していてわからない。
本手は合掌。
他の手は法輪、弓、矢、鉾。欠落、磨滅しているが、辛うじてわかる。
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踏まれている邪鬼と、その下の岩に刻まれた三猿は磨滅しているが、かろうじて形はわかる。
右から「見ざる、聞かざる、言わざる」である。
両側の猿が中央の猿に対して背中を向けているのが珍しい。
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【昭和に再建されたもの】

塔身は唐破風笠付角柱。
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銘文は江戸時代のものと同様に、
右側面に 「奉供養庚申待爲講中二世安樂也」/「武刕多摩郡関前村」
左側面に 「 元文四己未十一月十七日」と彫られている。
200703enmei09.jpg


200703enmei10.jpg


塔身:唐破風笠付角柱
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:なし
主尊の特徴:螺髪、顔は仏のような柔和な表情。邪鬼を踏んで立つ。
本手:合掌
他の手:法輪。弓、矢、鉾。
脇侍:邪鬼、三猿
造立年代:再建塔(造立昭和55年)

日月は無し。
青面金剛は、邪鬼を踏んで立つ。
本手は合掌。
他の手は、法輪、弓、矢、鉾を持つ。
200703enmei11.jpg


200703enmei12.jpg


髪は螺髪、耳は大きい。
顔は仏のように柔和な表情。
200703enmei13.jpg


青面金剛に踏まれている邪鬼は、不貞腐れた表情。
その下の岩に刻まれた三猿は、
右から、「見ざる、聞かざる、言わざる」。
両側の猿が中央の猿に対して背中を向けているのが珍しい。
200703enmei14.jpg


この庚申塔の特徴は、
なんといっても、江戸時代の青面金剛が磨滅欠損してしまい、ほとんど像容がわからなくなってしまったのを惜しみ、昭和55年に再建されていること。
ということは、今ではたぶん庚申講の活動は無いにしても、その地域の人たちの連携がしっかりしていて、先祖たちの活動の証拠を大事にしているのではないかと思われる。
三猿のかたちが、両側の猿が中央の猿に背中を向けているのが珍しい。
両側の猿が横向きなのは割と多いが、ほとんどは中央の猿の方を向いている。


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梅雨の空

20200701

撮影場所:埼玉県川越市安比奈親水公園
撮影日時:2020年7月1日 8:30

朝起きたら、一面の雨雲と思いきや、灰色の雨雲が群雲となって浮かんでいたので、近くの公園で撮った。
雲にピントを合わせると、どうしても地上は暗く写ってしまう。

今日は一日雨模様という天気予報のとおり、西の空には大きな雨雲が。
あの下では雨が降っている事だろう。
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東の空は、まだ明るくて、灰色の雲はわずかだ。
200701tsuyu02.jpg


北の空は、ちょっと暗いかな。だが、下の方はまだ明るい。
200701tsuyu03.jpg


南の空も、灰色の雲は多いが、下はまだ明るい。
200701tsuyu04.jpg


雲の形を楽しんだ。
200701tsuyu05.jpg


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200701tsuyu07.jpg


この後、10時ころになると、雨が降りだして、時には横なぐりの雨になったりしていた。
お昼頃には、雨は止んだが、風が強くて不穏な感じが続いている。

(了)


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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