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秋の空

20200930

撮影場所:埼玉県狭山市柏原入間川沿い
撮影日時:2020年9月30日 16:30ころ

いつものように散歩に出ると、秋らしい空になって気持ち良かった。
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曼珠沙華が咲いていたので、それを入れて撮った。
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入間川の上空
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安比奈親水公園
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夕焼けがはじまった。
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(了)


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一面六臂青面金剛立像/埼玉県川越市

20200923

所在地:埼玉県川越市中老袋高架橋下
撮影日:2020年7月24日

この庚申塔は、中老袋の県道51号(川越上尾線)の入間大橋に繋がる高架橋下にある。
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塔身は舟形光背。
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塔身:船形光背
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮き彫り瑞雲付き
主尊の特徴:かなり高い三角錐の高髷、岩の上に立つ。
本手:合掌
他の手:法輪、弓、矢、三叉矛。
脇侍:なし
造立年代:元禄6年(1693)

日月は軽い浮き彫り、かなり大きな瑞雲が付いている。
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青面金剛は、岩の上に立つ。
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髪は、かなり高い三角錐の高髷。
耳は見えない。
顔は、
風化が進んでいるが、吊り上がった眉、固く結んだ口はわかる。
表情は忿怒形だろう。
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手は六本で、本手は合掌。
他の手は、法輪、弓、矢、三叉矛であることが、なんとかわかる。
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三猿くらいあるだろうと、青面金剛の立つ岩、その下の台座を確認したが、無かった。
脇侍は何も無し。
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この庚申塔は、青々と茂った木の下に置かれていて、守られている感が強い。
庚申塔の特徴は、標準的な合掌型。
かなり高い三角錐の高髷が目を引いた。
脇侍は、三猿を含めて何も無かった。


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讃岐国一之宮・田村神社境内社・歳徳神社の狛犬

20200921

所在地:香川県高松市一宮町字宮東286番地 田村神社境内社・歳徳神社前
参拝日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」の二日目、四国八十八ケ所第一番札所・霊山寺、阿波国一之宮・大麻比古神社に参拝後、この神社に参拝しました。

讃岐国一之宮・田村神社については、既に記事があります。

その記事を見る


田村神社の5組目の狛犬ですが、今回の狛犬は境内社・歳徳神社の前に居ます。
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年代:不明
材質:青銅製
型式:神殿型


右側が阿形獅子。
長めの前足を真っ直ぐ立て、蹲踞している。
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たてがみは、流れて先端が渦を巻いている。
耳は聞き耳を立て水平。眉は中央の巻き毛から吊り上がり、横に連続している怒り眉。
眼は大きく開き睨んでいる。大きな鼻の横に頬が盛り上がっている。
鼻鬚は吊り上がり、顎髭も威勢がよい。
唇のたわみが強調され上下二本ずつの牙が鋭い。歯列は見られず。
表情は、怒り顔で、睨んでいる。
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左側が吽形獅子、角あり。
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角はけっこう寝ている。
たてがみは、流れて先端が渦を巻いている。
耳は聞き耳を立て水平。眉は中央の巻き毛から吊り上がり、横に連続している怒り眉。
眼は大きく開き睨んでいる。大きな鼻の横に頬が盛り上がっている。
鼻鬚は目立たない。顎髭は威勢がよい。
唇のたわみは控えめ。閉じた口から上の二本の牙が鋭い。
表情は、怒り顔で、しっと見つめている感じ。
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胸が前に張り出し、前足はしっかり直立している。
後足は蹲踞。付け根からの足の曲線が明確である。
筋肉が引き締まって、あばらもしっかり出ている。
爪はしっかり大地を捉え、走り毛の表現が綺麗。
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尾はうねって立ち上がり、背中に触れてから、3つの房となり直立。
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この狛犬は、本来神殿の中に置かれる木製の狛犬の形を青銅で作り、外に置かれたもの。
彫刻家が木に彫り、それを鋳込んだものなので、実に繊細で勢いがあり立派なもの。
神殿型は、阿形が獅子で吽形が狛犬となっているのが基本だが、この狛犬は両方とも獅子のかたちになっているので、製作年代は新しい。


狛犬の記事一覧を見る


ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館

20200919

所在地:埼玉県ふじみ野市長宮1-2-11
訪問日:2020年8月28日

ここには、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で参加しました。
川越と江戸を結んでいた「新河岸川舟運」についての探索です。
この日の企画は、まず「ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)」を見た後、「権現堂古墳群史跡の森」を経て、ここを見る、というものでした。

20分ほど歩いてきたので、ちょっとグテッとして到着。
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常設展示場に入ると、右手には旧石器時代・縄文時代の発掘品が並ぶ。
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石斧
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縄文時代のアクセサリー
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鷺森遺跡、ハケ遺跡から出土した耳飾り
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ハケ遺跡から出土した滑石製の垂飾品と、福井県鳥浜貝塚から出土した漆を塗った櫛。
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突き当たりの奥には、新河岸川舟運に関する展示。

新河岸川舟運は、川越藩主・松平信綱が開いて以来昭和初期まで続き、川越周辺の江戸との物資流通に大きく貢献しましたが、そのきっかけは川越大火で焼失した仙波東照宮(川越)と、天海僧正が住職だった喜多院の再建資材を江戸から新河岸川で運んだのが始まりといいます。

新河岸川から荒川に入り、川越から千住、浅草花川戸までを結んでいた。
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河岸の絵図
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福岡河岸の模型
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荷たり船鑑札(福田屋)
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川越河筋約定書(吉野家)
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荷船運上極印(吉野家)
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船の模型や船具の展示
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天狗の面をつけた大きな奉納額が目についた。
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大杉神社の信仰のものだった。
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茨城県の大杉神社といえば、拝殿・本殿などの彫刻が、日光東照宮並みのものだと評判のお宮さんだ。
拝殿
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本殿の彫刻
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江戸時代の大杉神社の絵図
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大杉神社分社
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大杉大神のお札
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鎌倉時代の板碑が露出展示されていた。
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上福岡には、戦前弾薬工場があった。
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入口のところに、蓄音機と古いレコードが展示されていた。
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NHKの連続ドラマ「エール」で古関裕而をやっているが、彼の「船頭可愛いや/音丸」のレコードがあった。
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これで、見学は終り。
上福岡駅まで歩くのは、暑さのためちょっと心配だったので、タクシーに分乗して行き、駅前で三密に注意しながら、昼食を会食。
帰途についた。

(了)


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ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)

20200915

所在地:埼玉県ふじみ野市福岡3丁目4番2号
訪問日:2020年8月28日

ここには、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で参加しました。
川越と江戸を結んでいた「新河岸川舟運」についての探索です。
この日の企画は、まずこの「ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)」を見た後、「権現堂古墳群史跡の森」を経て、「ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館」を見る、というものでした。

新河岸川舟運は、川越藩主・松平信綱が開いて以来昭和初期まで続き、川越周辺の江戸との物資流通に大きく貢献しましたが、そのきっかけは川越大火で焼失した仙波東照宮(川越)と、天海僧正が住職だった喜多院の再建資材を江戸から新河岸川で運んだのが始まりといいます。

新河岸川から荒川に入り、川越から千住、浅草花川戸までを結んでいた。
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明治15年(1882)頃の福岡河岸並びに問屋三軒(吉野家、福田屋、江戸屋)の絵図
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明治40年(1907)頃の福岡河岸
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福岡河岸福田屋の船荷取引エリア(文久元年(1861)、文久4年(1864))
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明治中頃の河岸図
現在は、右端の河岸道が真っ直ぐ下に降りて養老橋がある。
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バス停から歩いてきて、養老橋の手前で右折、すぐに福岡河岸の船着き場に出る。
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その向かいが、吉野屋があった場所だが、現在は土蔵だけが残っている。
国登録文化財「吉野屋土蔵」
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その先の道を右折してすぐに、福田屋の塀が続いている。
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【ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧回漕問屋福田屋跡)】
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入口
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「埼玉県指定第1号 景観重要建造物」の表示
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右から主屋、離れ、文庫蔵。
手前の一番左が、案内してくださったボランティアガイドさん。
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現在は、主屋、離れ、文庫蔵のみ残っている。
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◎主屋
ガイドさんの案内で、土間から入る。
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船問屋について
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・オカジ
曲がりが多く、水深の浅い新河岸川では、熟練した船頭が、サオをさし、オカジで方向を定め、船をあやつった。
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・帳場
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・箱階段
引き出しをたくさんつけて、スペースを有効に使っている。
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回漕問屋の仕事を物語る物としては、最後に出てくる帆柱を合わせて、ここまでの物である。
大半は、別記事で後で出てくる、「上福岡歴史民俗資料館」に置かれていた。

あとは、回漕問屋として繁栄を誇った暮らしぶりを見ていくことになる。

・奥座敷
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床の間と書院棚
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床脇天袋襖絵には、桃太郎の絵が描かれていた。
ガラス窓の意匠も、ユニーク。
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書院窓の桟の意匠は素晴らしい。
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長い「神道無念流道場壁書」が掛かっている。
神道無念流の門弟にて、幕末の志士として名高い、水戸学派儒者・藤田東湖が写した額といわれている。
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この解説シートがあった。
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(27)


これで半分くらいまで、後は省略。

◎離れ
右側の三階建ての建物。左は文庫蔵。
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衆議院議員や剣道家としても活躍した福田屋十代当主・星野仙蔵が、接客用に明治33年(1900)頃に建設したと云われている。
三階まで達する通し柱は、四隅と室内2本の6本で構成され、大正12年の関東大震災の激しい揺れにもびくともしなかったといわれている。

文庫蔵に展示してあった模型
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見学は一階のみ。

和室の床の間
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床脇天袋襖絵は、尾形月耕の「月の海図」
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ガラス戸の意匠が素晴らしい。
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トイレもかくのごとし。
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◎文庫蔵
黒漆喰に塗り固められられた、切り妻造り瓦葺の木造二階建て。
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箱階段には、「慶応四戊辰正月吉日 福田屋仙蔵」の墨書が残り、平屋から二階建てに建て替える際に、別の建物の箱階段を再利用したとみられる。
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庭に屋敷神が祀られているが、稲荷社である。
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塀の内側に、帆柱が保存されている。
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これで、旧福田屋の見学を終え、新河岸川福岡河岸の船着き場に回った。
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上流方向。現在の養老橋。
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下流方向。
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しばらく新河岸川沿いに歩き、次の目的地「権現山古墳群」に向かった。
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猿女君(さるめのきみ)/日本の神々の話

20200910

相模国二ノ宮・川匂神社に参拝したとき、境内社の西五社の祭神として「猿女君」として書かれていた。
天宇受売命のことではないかなと思ったが、一応神名としてあげた。
猿女君というのは、本来氏族名である。
伊勢の猿田彦神社境内に「佐瑠女神社」があるが、このご祭神は天宇受売命である。

猨女君(猿女君)は、『古事記』では「邇邇芸命」の巻、「猿田毘古神と天宇受売命」の段に登場する。
(現代語訳)
さてそこで、二二ギノ命がアメノウズメノ命に仰せられるには、「この先導の役に奉仕したサルタピコノ大神は、独りでこの神に立ち向かって、その正体を明らかにして言上した、そなたがお送り申しなさい。またその神の御名は、そなたが負うて、天つ神の御子にお仕え申しなさい」と仰せられた。こうして猨女君(さるめのきみ)たちは、そのサルタピコの男神の名を負うて、女を猨女君と呼ぶことになったのは、こういう事情によるのである。
(中略)
さてアメノウズメノ命は、サルタピコノ神を送って帰って来て、ただちに大小のあらゆる魚類を追い集めて、「おま
えたちは、天つ神の御子の御膳(みけ)としてお仕え申しあげるか」と問いただしたとき、多くの魚がみな「お仕え申しましょう」と申しあげた中で、海鼠だけは答えなかった。そこでアメノウズメノ命が海鼠に向かって、「この口は答えない口か」と言って、紐小刀でそのロを裂いた。だから今でも海鼠の口は裂けている。こういうわけで、御代ごとに志摩国から初物の魚介類を献上する時に、猨女君たちに分かち下されるのである。

猿女君(さるめのきみ・猨女君)は、古代より朝廷の祭祀に携わってきた氏族の一つである。
日本神話においてアメノウズメが岩戸隠れの際に岩戸の前で舞を舞ったという伝承から、鎮魂祭での演舞や大嘗祭における前行などを執り行った猿女を貢進した氏族。
氏族の名前は、アメノウズメが天孫降臨の際にサルタヒコと応対したことにより、サルタヒコの名を残すためにニニギより名づけられたものであると神話では説明している。

古語から考察すると、「戯(さ)る女」の意味であると考えるのが順当かと。
古語の「さ・る 【戯る】」を調べると、
意味は、「①たわむれる。はしゃぐ。②才気がある。気が利く。③色気がある。④しゃれている。風情がある。趣がある。」がある。

本拠地は伊勢国と想定されるが、一部は朝廷の祭祀を勤めるために、大和国添上郡稗田村(現在の奈良県大和郡山市稗田町)に本拠地を移し、稗田姓を称した。
他の祭祀氏族が男性が祭祀に携わっていたのに対し、猿女君は女性、すなわち巫女として祭祀に携わっていた。


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天頂の虹(環天頂アーク)など

20200907

撮影場所:埼玉県狭山市柏原入間川沿い
撮影日時:2020年9月6日 16:30ころ

いま九州では猛烈な台風10号が襲来して大変ですが、関東でもその影響で天気が悪い。
昨日16時ちょっと前に、降っていた雨が止んだので、散歩に出た。

入間川沿いに歩いて、雲を眺めながら歩いていたら天頂に虹があるのを発見した。
「環天頂アーク」、「逆さ虹」と呼ばれている。

文理学園の塔のまわりの空が面白いので撮った。
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そのとき虹を発見!
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環天頂アーク(かんてんちょうアーク、英語:circumzenithal arc、circumzenith arc、CZA)は大気光学現象の一種であり、太陽の上方に離れた空に虹のような光の帯が現れる現象である。 環天頂弧(かんてんちょうこ)、天頂環(てんちょうかん)、天頂孤(てんちょうこ)などとも呼ばれる。 またその形状が地平線に向かって凸型の虹に見えることから、俗に逆さ虹(さかさにじ)ともいう。

環天頂アークは、大気中の氷の結晶に太陽の光が屈折・反射されて起きる現象です。環天頂アークは寒い季節に発生することが多いとのことで、この時期に見られたのは本当にレアな現象だと思います。

逆さ虹は幸運・幸せの前兆と言われているようです。
何か良いことがあるといいな。

環天頂アークは、私が発見してから10分ほどで消えてしまいました。
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北のほう(川越方面)には、下面が平らな「層雲」が長く続いていた。
東北から北西に連続写真で
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この4枚の写真から、パノラマ写真を作りました。
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安比奈親水公園まで行き、引き返す途中で振り返ると、虹が脚の部分だけ見えていた。
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(了)


如意輪観音庚申塔/埼玉県川越市

20200905

所在地:埼玉県川越市上老袋自治会集会場
撮影日:2020年7月24日

この庚申塔は、上老袋自治会集会場にある。
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ここにある三基の石仏のうち二基が庚申塔である。
手前から青面金剛庚申塔、次いで地蔵菩薩石仏、奥が今回の如意輪観音を主尊とする庚申塔である。
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塔身:蓮台座角柱の上に主尊
主尊:丸彫り如意輪観音坐像
造立年代:文化三年(1806)

塔身全体
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銘文は、正面に「庚申待供養佛」、「文化三丙寅年三月吉祥日」とあり。
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如意輪観音を載せた角柱は、蓮の台座の上に立つ。
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如意輪観音全身
蓮の花の上に、如意輪観音特有の「輪王座」という座り方をしている。
右手を頬に当てている思惟像。
右腕と左足が欠落している。
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如意輪観音のお顔
風化がすすんでいるが、宝冠と慈愛に満ちた表情はわかる。
右腕は失われているが、頬にあてられた右手が残っている。
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1600年代には、まだ青面金剛が主尊だという形が確立していなかったので、仏像を主尊としている例が多い。
しかし、この像の造立は1800年代なので、青面金剛を主尊とすることが確立されている時代である。
あえて、如意輪観音を主尊としたということは、庚申講の人たちに「思うままに願いをかなえ苦悩を砕く」如意輪観音に対する信仰が強かったと思われる。


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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