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讃岐国・金刀比羅宮の狛犬⑨

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所在地:香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1金刀比羅宮真須賀神社
撮影日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」にて金刀比羅宮に参拝したときに撮影した狛犬です。

金刀比羅宮については、既に記事があります。

その記事を見る


金刀比羅宮では、私は12組の狛犬を確認しましたが、今回の狛犬が9番目となります。

連籬橋(れんりばし)を渡って、突き当りのところに真須賀神社があり、その前を左に曲がると「御前四段坂」になりますが、その真須賀神社に居る狛犬です。
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年代:文化7年(1810)
材質:石造
型式:浪花型

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。蹲踞している。
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タテガミは巻き毛から直毛になり肩の下まで広がっている。
ほおヒゲは巻き毛、あごヒゲは波状に流れている。
耳は横に立て下がって聞き耳をしている感じ。眉は小さな巻き毛が横に並ぶ。
ドンクリ眼で、鼻は扁平。
唇のたわみは大きく、二重に縁どられている。
口を開き、上に歯列と舌をのぞかせている。牙は目立たない。
横に平べったい顔で、人間くさい表情で笑いかけている感じ。
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左は吽形、タテガミが巻き毛なので獅子。角がある。蹲踞している。
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頭に角がある。
タテガミは巻き毛から直毛になり肩の下まで広がっている。
ほおヒゲは巻き毛、あごヒゲは短い直毛が横に並ぶ。
耳は横に立て下がって聞き耳をしている感じ。右の耳は失われている。
眉は小さな巻き毛が横に並ぶ。ドンクリ眼で、鼻は扁平。
唇のたわみは大きく、二重に縁どられている。
口を閉じ、小さな牙だけをのぞかせている。
横に平べったい顔で、人間くさい表情で笑いかけている感じ。
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短い前足を直立。
前足と後足の指と爪は、身体に比較してバカでかい。
前足首、前足の付け根、後足首には巻き毛から炎上に伸びる毛がしっかり表現されている。
小ぶりで全体的に丸く滑らかな体型をしていて、親密感あり。
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尾は立ち尾で、炎が巻き上がるような尾をしています。
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江戸時代、威勢のいい江戸狛犬に対して、関西で多く作られた小ぶりの可愛い狛犬です。
吽形には、ちゃんと角がある。
唇のたわみは大きく、二重に縁どられている。
人間くさい表情で笑っている、実に愛嬌のある狛犬です。


狛犬の記事一覧を見る



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稲荷神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡上里町

20210129

鎮座地:埼玉県児玉郡上里町八町河原2266
参拝日:2020年6月29日
ご祭神:天照大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大物主命、倉稻魂命、誉田別尊、罔象女神、菊理媛命、豊受姫命、加具土命、菅原道真

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初、天神社からスタート、次いで長幡部神社、七本木神社、熊野神社、今城青坂稲実池上神社に参拝し、最後にこの神社に来ました。

入り口には、鳥居と社号標、説明板があり。
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「村社 稲荷神社」と刻まれた社号標
社格 式内[論]/村社/神饌幣帛料供進社
式内、今城青坂稲実荒御魂神社の論社。
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説明板
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当社の創立は、宝徳年間(1449-52)といわれ、天文二年(1553)に再建され、元禄10年(1697)に正一位稲荷大明神の神階を授けられたと伝えられている。
その後、寛保二年(1742)2月7日、宮司関口和泉守が京都の卜部家より神道の裁許を賜ったという。
また、安政6年(1856)8月大洪水で流失、同年11月に仮宮が建てられた。
明治40年2月13日、八幡神社(植竹)、水神社(水神前)、白山神社(前河原)及び境内の神明、愛宕、琴平、北野の各神社を合祀している。
本殿右の大欅の先には、寛永4年(1627)上州那波之郡、八町河原之持と刻まれた石祀があり、その他境内には、寛永4年建立の雷電神社や、江戸期に栄えた八丁河原の船運利用の水の神である大杉神社などが祀られている。

手水舎
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入り口から社殿までは、そう遠くはない。
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入母屋造りの拝殿
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向拝部は、装飾の彫刻もなくシンプルなもの。
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寄棟造りの本殿覆屋
塀にさえぎられて近づけないし、窓もないので、本殿はまったくわからない。
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境内社の雷電神社、大杉神社は、説明の通り大木の根元にあった。
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社殿のまわりには、大木がたくさんあった。
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拝殿の向かって右の手前には、ご神木の巨木がある。
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途中のウロがハート形になっていた。
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これで、この日の予定したお宮さん全部に参拝して、その開放感から近くの鳥川を見に行った。
土手も大きい。
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川幅が広くて、全容がよくわからない。
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遠くに本流が見えた。
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この日は天気が良くて、浮いている綿雲も楽しそうに移動していた。
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これで、この日の予定6社参拝を終え、晴々と帰途についた。



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マンサク、チャリティー、蝋梅/ウォーキングにて

20210129

今日は風があったので、森の中で風にあたらないですむ智光山公園を11時から12時散歩した。

マンサクが咲いていた。
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チャリティーも咲きはじめていた。
2018年のことだが、NHK総合テレビ18時台の首都圏ネットワークという番組に「狭山市緑化植物園のチャリティー」が放送され、驚いて見にきて覚えた。
真冬に咲く、奇特な花である。
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智光山公園のメインロード。
夏だと昼なお暗し、という感じだが、鬱蒼たる林も葉を落としているので、明るい道になっている。
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菖蒲園もきれいに整備されて、春の訪れを待っている。
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ひょうたん池の駐車場に戻る前に、満開になっている数年前から並木に植えられた蝋梅を見た。
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逆光でも撮った。
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(了)


里見八犬伝を読み込む/第一集・巻の一・第二回

20210127

第二回:一箭を飛ばして侠者白馬を悞(あやま)つ 両郡を奪うて賊臣朱門に倚(よる)

時:室町時代 嘉吉元年(1441)の4月
登場人物:滝田城主・神余光弘、玉梓(淫婦)、山下定包(侫臣)、義民(杣木朴平、洲崎無垢三)、館山城主・安西景連、平館城主・麻呂信時、里見義実
舞台:P03滝田城、P04館山城
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要略:
・安房国滝田城の城主、神余長狭介光弘は酒色にふけり、側女の玉梓に篭絡され、良臣は去り、家来の山下柵左衛門定包が玉梓と姦通。
・百姓杣木朴平と洲崎無垢三が憂えて、定包を弓で討とうとして、誤って光弘を射殺してしまう。
・定包は、杣木朴平と洲崎無垢三を兵に討たせて、城主に納まる。
・館山城にて、城主安西三郎大夫景連と平館城主麻呂小五郎兵衛信時が定包への対応を相談しているときに、里見又太郎義実が訪ねる。

侫臣・山下定包と淫婦・玉梓
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落葉岡で那古七郎ら神余光弘近習と戦う朴平・無垢三
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ものがたりのあらすじ:
 安房は、三方を海に囲まれた小さい国であった。東岸には長狭(ながさ)、朝夷(あさひな)の二郡、西岸には平群、安房の二郡と、わずかに四郡の小国であった。
 遠くさかのぼって石橋山の戦にやぶれた源頼朝が落ちてきた時、土豪であった麻呂、安西、東条の三氏が助けたので、源氏が天下統一の後は安房四郡をそれぞれに分かちあたえられた。
 義実主従が逃れて安房に着いたころは、平群の滝田の城は東条の一族である神余氏の当代の城主は神余長狭介光弘であった。館山の城主は安西三郎大夫景連、平館の城主は麻呂小五郎兵衛信時で、さながらかなえの足のように対立していた。
中でも神余の勢いがもっとも盛んだったが、光弘は心おごって酒色にふけり、側女の玉梓(たまずさ)という淫婦に篭絡され、心ある良臣はみな去り、あとに残る側臣は倭臣ばかりとなってしまった。中でも山下柵左衛門定包がうまく玉梓にとりいってひそかに姦を通じていた。
すると滝田の近村、蒼海巷に住む杣木朴平(そまきのぼくへい)というものがあったが、百姓ながら武術にすぐれて、気概にみちた男だったので、同志洲崎無垢三(すざきむくぞう)と語らって、領内の平和を保つために定包を討ちとることを思いたった。ある日、定包をねらって失を放ったが、運悪くその矢は定包にあたらず、あやまって主君の光弘にあたって殺してしまった。定包にとっては、みずから手を下さずして思う壷にはまったわけである。
さすがにびっくり仰天した朴平は「や、さては仕損じたか。鶍(いすか)の嘴(はし)のくいちがいとはこのことであろう。無念だ残念だ―――」 地団駄踏んで戦ったが、多勢に敵しがたく朴平と無垢三は討ちとられてしまった。
悪運の強い定包はその後いろいろと手段を用いて、まんまと安房の国主になってしまった。
 定包の野心は、とどまり知れず、威を近隣に示そうと思い、隣郡の館山と平館へ使者をつかわした。
 そこで平館の城主麻呂小五郎信時は、館山の城主安西景連を訪ねて、定包との対抗策について相談を持ちかけていた。
そこに安西の家来が、里見又太郎義実と名乗る武士が、訪れてまいったと告げる。


【注釈】
・「鶍(いすか)の嘴(はし)のくいちがい」について
この鳥は、スズメよりはやや大きく、日本には主に冬鳥として渡来するが、少数だが北海道や本州の山地で繁殖するものもある。
イスカのくちばしは左右互い違いになっており、このくちばしを使って、マツやモミなどの針葉樹の種子をついばんで食べる。このくちばしの形状から物事が食い違うことを「イスカの嘴(はし)」という。
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(続く)


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一面六臂青面金剛庚申塔/埼玉県川口市

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所在地:埼玉県川口市本町2丁目4−37 錫杖寺境内
撮影日:2019年12月18日

この庚申塔は、錫杖寺に入って山門をくぐってすぐの左側にある。
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ここに石仏が集められていて、そのうち三基が庚申塔である。
右から二つが青面金剛庚申塔で、その隣は文字庚申塔なので、青面金剛庚申塔二つを紹介するとして、前回一番右側を紹介したので、今回は一右から2番目のものを記事にする。
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塔身は駒形。
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銘文は、正面に「庚申供養」、向かって右側面に「享保十乙巳天十一月廿八日」とあり。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮き彫り瑞雲付き
主尊の特徴:沙門頭巾をかぶり、邪鬼を踏んで立つ。
本手:剣と索縄
他の手:法輪、弓、矢、三叉矛。
脇侍:邪鬼、三猿
造立年代:享保10年(1725)

日月は浮き彫り、瑞雲は横に流れている。
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青面金剛は、邪鬼を踏んで立つ。
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沙門頭巾をかぶりっている。
摩滅して定かでないが、眉を吊り上げ憤怒形なのはわかる。
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手は六本で、本手は剣と索縄を持つ。
他の手は、法輪、弓、矢、三叉矛を持つ。
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一般的に「剣とショケラ」が多いのだが、この像は「剣と索縄」を持つ
索縄は、苦しむ人たちを救い上げるためのものである。
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踏んづけられた邪鬼は、ムスッとした表情をしている。
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邪鬼の下に刻まれた三猿は、ダイヤ型。
右から「聞かざる、見ざる、言わざる」である。
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この庚申塔の特徴は、青面金剛が沙門頭巾をかぶり、
ショケラのかわりに索縄を持つという、仏教色が強い像になっていることである。



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讃岐国・金刀比羅宮の狛犬⑧

20210125

所在地:香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1金刀比羅宮遥拝所
撮影日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」にて金刀比羅宮に参拝したときに撮影した狛犬です。

金刀比羅宮については、既に記事があります。

その記事を見る


金刀比羅宮では、私は12組の狛犬を確認しましたが、今回の狛犬が8番目となります。

今回の狛犬は、賢木門をくぐった先、石段653段右側に遙拝所があります。
遙拝所とは、皇廟(伊勢の神宮)や皇陵を遙拝する所です。流造・銅板葺の神籬殿と、切妻造・銅板葺の拜殿からなります。ともに明治13年(1880)の建築です。
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この中に、今回の狛犬が居ます。
中には入れないため、限られた方向からしか見ることは出来ません。

年代:天明元年(1781)
材質:石造
型式:出雲・丸台座型

この狛犬の特徴は、台座が円盤であること。
これが、ありそうで無いのですね。
出雲発祥で、出雲以外では私は奈良東大寺の近くの氷室神社で一つ発見しただけで、ここ金刀比羅宮に2組もあるとは(驚)
金刀比羅宮では黄銅鳥居のところのものに続き2例目、出雲地方以外では3例目となります。

出雲地方の狛犬は、ほとんどが「来待石(きまちいし)」という凝灰質砂岩が使われています。
砂岩故に風化が激しく、また水分を含みやすいため苔が多く付着しています。

右側が阿形獅子。
円盤の台座の上に乗っている。
前足は直立。後足は蹲踞。
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たてがみに巻き毛があり獅子。
伏せた耳が長い。鼻ヒゲが横に長く流れている。
鼻は扁平で大きい。鼻の穴も扁平。目はかなりの奥目。
口の部分は欠落しているようだ。
風化が激しく苔むしているが、表情は穏やかな感じ。
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左が吽形獅子
円盤の台座の上に乗っている。
前足は直立。後足は蹲踞。
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たてがみに巻き毛があり獅子。
伏せた耳が長い。
鼻は扁平で大きい。鼻の穴も扁平。目はかなりの奥目。
閉じた口の感じは推定できるが、下アゴや顎髭は欠落しているみたいだ。
風化が激しく苔むしているが、表情は穏やかな感じ。
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尾はよく見えないが、背中に沿って扁平な感じで、丸尾とは違うようだ。
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私が出雲地方で撮ってきたものと比較しても、建立年代が一番古いので、珍しい丸台座型と相まって、とても貴重な狛犬である。
モロい来待石のため欠落もみられるので、人の近づけない遥拝所の中に避難させたのかなとも思う。
おかげで大事に守られているので、よかった。



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メタセコイヤと月、ホトケノザ/ウォーキングにて

20210125

今日は14時から15時、入間川沿いに歩いた。

親水公園の、いつもの場所で腰を下ろして休憩、水分を補給していたら、
メタセコイヤの木の近くに月が出ていることに気が付いた。
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思いついて、メタセコイヤの先端に月が見える場所に移動して撮った。
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ここはあと5分くらいで我が家に戻る場所だが、昨年まで柿畑だったのを宅地として整地され売り出されている。
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その道路わきに「ホトケノザ」のツボミを発見。
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明日は開いているのだろうか。
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とりあえず、今年の野草の花の第一発見は「ホトケノザ」でした。


(了)


里見八犬伝を読み込む/第一集・巻の一・第一回

20210124

第一回:季基訓(おしえ)を残して節に死す 白竜雲を挟(さしはさ)みて南に帰(おもむ)く

時:室町時代 嘉吉元年(1441)の4月
登場人物:里見治部大夫義実、里見季基(義実の父)、義実に従う郎党(杉倉木曽介氏元、堀内蔵人貞行)
舞台:P01結城の城(茨城県結城市結城)、P02相模国三浦・矢取の海辺(神奈川県浦賀、久里浜?)
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要略:
・結城合戦において、結城城が落城。
・里見治部大夫義実は父季基に諫められ、里見家再興のため脱出。
・相模国三浦の矢取の海辺で安房に渡ろうと舟を探すうち、義実の目の前で、白竜が海から飛び立つ。
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ものがたりのあらすじ:
後花園天皇(1419~70年。在位1428~64年)の御代、永享10年(1438)のこと。
永享の乱において足利持氏は負死したが、二男の春王と三男の安王は逃れて、結城氏朝を頼り戦う。
里見季基をはじめ持氏にかねて恩顧のあった武士どもが防ぎ戦ったが、嘉吉元年(1441)の4月に落城。
里見季基討ち死にしたが、長男の治部大夫義実は討ち死にの覚悟だったが、父季基に諭され、悲痛にくれながら、譜代の老臣である杉倉木曽介氏元と、堀内蔵人貞行の両人が従い落ちていった。

里見冠者義実は相模の国(今の神奈川県)は三浦の矢取の海辺にたどりつき、安房へ渡って里見家再興をはかることを決心する。
舟を探している義実主従の前に、海の方がとつぜん荒れ模様となってきた。やがて、しのつく雨、稲妻さえひらめき、はては雷が鳴りはためいたかと思うと、むら雲立つ中に、何かきらきらと光るものがあった。目のせいか、気の迷いかはわからぬが、その光りものは竜のうろこのように見えた。いや、たしかに自竜と思えるものが、ひとつ、波しぶきを巻きあげ、雲をかきわけるようにして南を指して飛び去った。
義実は勇みたつ声でさけんだ。竜は神物であるから、これは吉祥にちがいないと。


【注釈】
・結城合戦は、史実そのままである。
・里見義実は、関ヶ原の戦いの後館山藩12万石を与えられた戦国大名安房里見氏の祖とされている人物である。その人物を滝沢馬琴は架空の物語『南総里見八犬伝』で初期の主人公として描いているのは大胆としか言いようがなく感心した。
里見氏は贈鎮守府将軍・新田義重の庶長子・新田義俊(里見太郎)を初代とする。里見の名は新田義俊が上野国碓氷郡(八幡荘)里見郷(現在の群馬県高崎市上里見町・中里見町・下里見町)に移り、その地の名を苗字としたことに発する。
結城合戦で家基・家氏父子が討たれ、上野里見氏嫡流はここで断絶した。
家基のもうひとりの子とされる義実は安房国に落ち延び、のちに安房里見氏の祖となったとされている。だが、近年において、義実(あるいは家兼)を旧来の伝承による上野里見氏嫡流ではなく、美濃里見氏・義宗の末裔であったとする説が出されている。
安房里見氏初代・里見義実は、結城合戦で討死した里見家基の子息とされる人物で、安房国に移り安西氏を追放して領主となったとされる(里見義実の安房入国伝説)。しかし、義実の出自や安房入国の経緯についての詳細は不明である。同時代史料で確認ができないことから、安房里見氏の系譜上で初代とされる義実、2代とされる成義を架空の人物とする説もある。

(続く)


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ムーンライト「ながら」運転終了

20210123

今朝の朝日新聞に、この列車が車両老朽化のため運転を終了すると載っていた。
青春18キップの運用期間に合わせて年3回の期間に臨時運行されていたが、コロナ禍のため2020年3月が最後の運行となり、夏と秋の運行は中止されていた。
数年前から、車両老朽化のために運転終了が近いと囁かれていたが、いざ発表されるととても寂しい。

「ムーンライトながら」は、東海道本線「東京駅 - 大垣駅」間を運行していた夜行快速列車である。かっては定期列車であったが、2009年(平成21年)3月14日以降は臨時列車として運行されていた。青春18キップの運用期間のうち半分くらいの日数、臨時運行されていた。
全車指定席で、リクライニングシートであった。

ムーンライトながら
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全車指定席で、リクライニングシート。
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私がいままで楽しんだ4回の「青春18キップの旅」は、ムーンライトながらと共にあった。
① 2016年8月 ムーンライトながら(東京⇒大垣) 「敦賀~琵琶湖周辺~尾張・名古屋」の旅行
② 2017年3月 ムーンライトながら(東京⇒大垣) 「京都~奈良」の旅行
③ 2019年3月 ムーンライトながら(東京⇒名古屋)、ムーンライトながら(名古屋⇒東京)
         「伊勢~熊野~南紀」の旅行
④ 2020年3月 ムーンライトながら(東京⇒大垣)、ムーンライトながら(名古屋⇒東京)
            「淡路島~瀬戸内四国側~しまなみ海道」の旅行

私は、関西方面の旅に青春18キップを利用した。
東京駅を23:10に出ると、大垣に5:45に着くので、日程的にとても都合が良い。
青春18キップは、5回セットで12,050円。1回(1日)2410円である。
前夜の移動小田原までの運賃と、ムーンライトながら指定料金530円を別途支払えば、小田原から大垣、関西を動き回って、例えば奈良までが2410円で済むというわけである。

リクライニングシートとはいえ、アイマスクをつけても、私はほとんど寝られなかった。
しかし寝不足でも、旅の初日は高揚感で問題なく楽しく乗り切れた。
帰りの夜行は、車中と、早朝の東京駅から家までを我慢すれば、あとはグッスリ寝られるからと、帰りの夜行車内ではずっと本を読んでいた。

仕事をリタイヤしてから始めた「青春18キップの旅」は、楽しい思い出ばかりである。
その開始と終了の移動でお世話になった、「ムーンライトながら」には感謝しかない。

ムーンライトながら殿、ありがとうございました。


「里見八犬伝を読み込む」を始めます

20210122

コロナ禍の緊急事態宣言下、家の近く1時間のウォーキング以外外出を自粛している毎日なので、この際何かを始めようかと、思いついたのが『南総里見八犬伝』の読了である。
ちょっと前から『南総里見八犬伝』を読み始めていたのだが、他のことにまぎれてなかなか進んでいなかった。
ます驚いたのが、舞台がせいぜい房総半島くらいに思っていたのだが、とてつもなく広い。いままで読んだなかで一番遠いのは美濃国樽井(岐阜県垂井、関ヶ原の隣の駅)。
そうなると私の悪い癖だが、登場人物の相関関係図を作ったり、舞台の一覧図を作ったりしながら読んでいるので、なかなか進まない(汗)
それで、ブログにアップしながら、ホームページに関係表に整理していこうと思い、始めることにしました。

私は、千葉県にある大学生だったので、房総には愛着が今でもあります。
大学の3年のときに知り合ったカミさんは市川市の国府台にある女子大の学生だった。何度かデートした国府台にある「里見公園」は、当時は里見八犬伝の舞台なのかなと勝手に思っていたが、それは的外れだった(笑)
国府台で里見氏が戦った相手というのは、下総に進出しようとした後北条氏との戦いで、あくまで『南総里見八犬伝』は架空の物語である。

里見公園:
下総台地の西端、江戸川に面した台地上にあり、このあたりは国府台と呼ばれ、ここに下総国府が置かれ、下総国の政治や文化の中心であった。
 その後、室町時代天文7(1538)年10月、足利義明は里見義堯等を率いて国府台に陣をとり北条氏綱軍と戦いました。しかし北条軍が勝利をおさめ義明は戦死し、房総軍は敗退しました。続いて永禄7(1564)年正月、里見義堯の子義弘は再度国府台城で北条軍と対戦しましたが、この合戦も北条軍の大勝で終わり、以降この土地は北条氏の支配するところとなりました。
 江戸時代に徳川家康が関東を治めると国府台城は江戸俯瞰の地であることから廃城となりました。明治から終戦まで国府台は兵舎の立ち並ぶ軍隊の街として栄えました。

『南総里見八犬伝』:
室町時代後期を舞台に、安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説である。共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣が身体のどこかにある。関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集して活躍する。

作者:曲亭馬琴(滝沢馬琴)
文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結した、全98巻、106冊の大作である。
馬琴はこの物語の完成に、48歳から75歳に至るまでの後半生を費やした。その途中失明という困難に遭遇しながらも、息子宗伯の妻であるお路の口述筆記により最終話まで完成させることができた。

私は、所属する歴史クラブの行事で、滝沢馬琴誕生の地と墓は訪ねています。

深川の清澄通りを行き、「海辺橋」で仙台堀川を渡ったところに「滝沢馬琴誕生の地」があります。
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そこにある『南総里見八犬伝』の碑
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小石川・深光寺にある滝沢馬琴の墓
近くには、お路の墓もあった。
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次回から『南総里見八犬伝』をアップしていきます。


新PCで10日経ちました

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今まで使用していたPCの電源スイッチが入らないことがたまにあり、電源が入らなくなってからではアウトなので、買い替えることにしました。
今まで使用していたPCは、マウスコンピューターという会社製で、工場が長野県飯山にあるPCだけ専門の小さな会社でした。最近はマツコデラックスやホラン千秋のCMがたまにテレビで流れるような立派な会社になりました。
この会社のPCの良いところは、TBOといって、CPU(制御・演算装置)を始めとして部品の構成を全部選択注文して、それを工場で組み立てて、4日くらいで納入してくれる注文生産であることです。
今回も、1月3日に注文して7日に工場出荷され、8日に届きました。
9日に立ち上げてから、データの移動やら、使っていたソフトの継続やら新ソフトに切り替えやら、重要なものから手を付けていき、昨日でほぼ完了しました。

【新PCの主な仕様】
●CPU:AMD Ryzen 5 4500U プロセッサー ( 6コア / 6スレッド)
グラフィックス:AMD Radeon(TM) グラフィックス
新PCで大きく変わったのは、CPUをAMD製にしたことです。いままではCPUはインテル製しか視野に無かったのですが、定期購読している「日経パソコン」の特集記事で、AMD製がコスパの点でインテルを上回っていると書いているので、AMDにしてみました。
「6コア」というのは、処理を6つの並行処理に分けて行うということで、処理が早くなるわけです。
●液晶:フルHD対応15.6型ワイド液晶パネル
●メモリ:
・一次キャッシュ:16GB(8GB×2 / デュアルチャネル
・SSD:512GB SSD
・HDD:1TB
ブログにアップするのに画像処理が必要だし、最近はユーチューブにアップするため動画の編集も必要なので、そのスピードアップのために、一次キャッシュメモリーや内臓メモリーは標準よりも増強しました。
ドラブ的には、CドライブがSSD、DドライブがHDDとなります。
もともと、撮りためた写真は外付けHDD2台で主体とバックアップとに割り当てているので、CドライブにソフトなどPC運用関係、Dドライブにホームペーシ、ブログのデータなど個人データと割り当てています。
●光学ドライブ:外付けDVDスーパーマルチドライブ
いまは標準では用意されていません。ただソフトをDVDとかCDで持っているのがあるので、DVDマルチドライブを用意しました。

【使用ソフト】
●オフィスソフト:Office Home and Business 2019 ( Word / Excel / Outlook / PowerPoint )
●ホームページ作成:ホームページビルダー21
アマゾンで購入したものを使用していたので、再ダウンロードして使用。
再度購入しなければと検討していたら、ひょんなことで何度でも再DLできることがわかった。
●画像処理ソフト:ペイントショッププロ2021
アマゾンで購入したものを使用していたので、再ダウンロードして使用。
ホームページビルダーと同様、知らなくて再購入していたら両方で29000円かかっていた。
助かった!!
●動画編集ソフト:WINDOWS10付属の「ビデオエディター」
いままでは、「ムービーメーカー」を使用していたのだが現在は無くなってしまっているので、最初「ビデオエディター」をトライして、まったく良い印象ではなかった。
ある特殊用途のために市販ソフト「アドビプレミアエレメンツ」を持っていたのだが、プロ級のソフトで操作が複雑で使いにくかった。だが、この際使わないと仕方ないとCDからインストールしようとしたら、シリアルナンバーを要求され、どうしてなのか何処を探してもメモっていないのだ(泣)
幸い、ネットで検索したら「ビデオエディター」の使い方をわかりやすく説明しているサイトが見つかって、動画を編集してユーチューブにアップするまでの基本的なことはできるのが確認できたのでホッとしている。
●動画から静止画の切り出し:WINDOWS10付属の「フォト」
「ビデオエディター」で、静止画の切り出し機能が見つからず弱ったが、ネットで調べると、動画を「フォト」で再現しながら、静止画を切り出せることがわかりホッとした。

【使用してみて】
・やはり早い。電源を入れてすぐ使える感じ。重い画像処理ソフトなどの立ち上げも早いし、処理も早いのでストレスを感じない。
・液晶画面は標準でついてきたものだが、やはり以前のものと比べたら綺麗に映る。斜めからのぞきこんでもきれいに見えるので、カミさんにも好評だ。
・初期設定が楽に済んで驚いた。無線ルーター接続にしても、以前はルーターのシリアルナンバーとか打ち込んでいたが、何もしなくてもインターネットに接続できた感じ。これもAI技術の一端なのか。
プリンターの設定にしても、メーカーサイトからドライバーやソフトを一括してダウンロードして終わり。二つばかり付属のCDからサービスソフトを追加しただけ。本当に便利になっている。
・バックアップは定期的に手動でしているが、USBポートが速くなり、Cタイプの3.1ポートまでついているので、転送が速くなって助かっている。

新PCが載ったマイ机
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PCについている、マウスコンピューターのロゴは、前のもののほうが可愛くて好きだ。
旧PCのロゴ
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新PCのロゴ
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(了)


シラサギ/ウォーキングにて

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今日はとても良い天気で、風もなく気持ちよく歩いた。

入間川の、この辺には1羽から4羽のシラサギがいつも居る。
今日は一羽しかいなかったが、これを撮ろうと決めた。
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今日は天気が良いので、親水公園にはほどほどの人出だった。
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(了)


今城青坂稲実池上神社(延喜式内論社) /埼玉県児玉郡上里町

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所在地:埼玉県児玉郡上里町忍野225
参拝日:2020年6月29日
主祭神:伊吹戸主命、豊受姫命

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初、天神社からスタート、次いで長幡部神社、七本木神社、熊野神社に参拝し、その後5番目にこの神社に来ました。

入り口の鳥居からちょっと離れた所に社号標が立つ。
社格等:武蔵国賀美郡式内論社、県社
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境内森の入り口には神橋があり、神明鳥居がある。
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しばらく参道は林の中を行く。
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手水舎
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一段上がって社殿のある広場になる。
入り口に、「今城青坂稲実池上神社と書かれた社額のかかった両部鳥居がある。
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広い空間が広がり、奥に社殿がある。
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拝殿の前に由緒書きがある。
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高度な稲作技術を持った渡来系氏族が、烏川沿岸の忍野に稲作の神「豊受姫命」を守護神として和銅4年(711)に創祀した。
その後、渡来系氏族の衰えにより荒廃し、「今城青八坂稲実池上神社」の社号は失われ「稲荷社」と呼ばれていたが、元弘年間(1331-1334)に新田義貞が金窪城の鬼門除けとして再建した。この時に鬼門除けのため、祓戸四神の一神「伊吹戸主命」が勧請されたと思われる。
延元3年(1338年)に季子義宗が金久保の領主となり、戦勝祈願した。
貞治2年(1363年)に関東管領となった上杉憲顕が金窪の領主となり、応安元年(1368年)に国境の平穏を祈った。
大永4年(1524年)に斎藤盛光が金窪城主となり、新田氏と同様に城の守護神とした。
天正10年(1582年)6月には、武蔵国賀美郡が織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となった。兵火により社殿が焼失した。
天正19年(1590年)1月に金窪の領主となった川窪信俊が、天正19年(1591年)に焼失した社殿を再建、神田が寄進された。川窪信俊は武田信玄の弟「武田信実」の子に当たる。
元禄7年(1694年)に、烏川の氾濫で社殿が流された。流された本殿を引き上げ、高くした基礎上に修繕を加えて再建した。
元禄11年(1698年)に、川窪信俊の孫、武田信貞が丹後国に転領した。 金窪城は廃城となり、当社は衰退していった。
元文3年(1738年)には、地頭から鳥居の再建、供米の奉納があった。
嘉永年間(1848年-1854年)には、地頭から社殿の修繕、神田が寄進された。
明治5年(1872年)には、社名を「稲荷社」から現在の「今城青八坂稲実池上神社」へ復称した。

拝殿は、入母屋造り瓦葺き。
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前に大きなステンレスの天水桶があり。
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向拝部分は、いっさい彫刻の無いシンプルな造り。
柵がしてあって、拝殿内部は覗けず。
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社額
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拝殿の背後に本殿の覆屋があり。
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本殿の覆屋には、明り取りのガラス窓があるのだが。二重になっていて、内部はまったく見えない。
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神紋は屋根にあったが、稲荷神社と称していた時のものだ。
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神楽殿
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境内社に参拝。

宮西神社(薬祖神)
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八坂神社(須佐之男命)
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雷電神社(八雷神)
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その他にも、石祠(祭神不明)がたくさんあった。
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花塚
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ご神木と言っていいような立派な木が近くにあり。
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これで参拝を終え、この日最後の目的地である八丁河原の稲荷神社に向かった。



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櫛御気野命(くしみけぬのみこと)/日本の神々の話

20210118

この神は、私が参拝した島根県・熊野大社と、埼玉県上里町・熊野神社の祭神である。

須佐之男命の別名とされる。
「クシ」は「奇」、「ミケ」は「御食」の意で、食物神と解する説が通説である。

島根県・出雲国一之宮熊野大社の祭神名は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」となる。
「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」=父神である伊邪那伎命がかわいがった御子
「加夫呂伎熊野大神(くまののおおかみ)」=熊野の地の神聖なる神
「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」

これは『出雲国造神賀詞』に出てくる神名を採用したものであり、『出雲国風土記』には「伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなひのまなご くまのにます かむろのみこと)」とある。
現代では櫛御気野命と須佐之男命とは本来は無関係であったとみる説も出ているが、『先代旧事本紀』「神代本紀」にも「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあり、少なくとも現存する伝承が成立した時にはすでに櫛御気野命が須佐之男命とは同一神と考えられていたことがわかる。明治に入り、祭神名を「神祖熊野大神櫛御気野命」としたが、復古主義に基づいて神名の唱え方を伝統的な形式に戻したまでのことで、この段階では須佐之男命とは別の神と認定したわけではない。後の神社明細帳でも「須佐之男命、またの御名を神祖熊野大神櫛御気野命」とあり、同一神という伝承に忠実なことでは一貫している。

『古事記』の「天照大御神と須佐之男命」の巻、「大気都比売神」の段で、
須佐之男命が食べ物を大気都比売神に求めると,鼻や口、尻などから取り出したものを調理して出した。それを見ていた須佐之男命が怒って大気都比売神を殺すと、その身体から稲、粟、小豆など穀物が生まれた、という記述がある。
須佐之男命が穀物神と云われる所以であるが、「櫛御気野命=須佐之男命」とよくマッチしている。



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一面六臂青面金剛庚申塔/埼玉県川口市

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所在地:埼玉県川口市本町2丁目4−37 錫杖寺境内
撮影日:2019年12月18日

この庚申塔は、錫杖寺に入って山門をくぐってすぐの左側にある。
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ここに石仏が集められていて、そのうち三基が庚申塔である。
右から二つが青面金剛庚申塔で、その隣は文字庚申塔なので、青面金剛庚申塔二つを紹介するとして、今回は一番右のものを記事にする。
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塔身は駒形。
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銘文は、向かって左側面に「文政二卯年三月吉祥日 摂州四天王寺庚申堂講中」とあり。
大阪四天王寺の庚申堂を信仰する講があったのだろう。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮き彫り瑞雲付き、塔身からはみ出し
主尊の特徴:頭に蛇、髪火炎、邪鬼を踏んで立つ。
本手:剣とショケラ
他の手:法輪、弓、矢、三叉矛。
脇侍:邪鬼、三猿
造立年代:文政2年(1819)

日月は浮き彫り瑞雲付きで、塔身よりはみ出している。
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青面金剛は、邪鬼を踏んで立つ。
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髪は火炎状に逆立ち、その中に蛇がとぐろを巻いている。
摩滅して定かでないが、蛇の顔にあたる部分が人の顔に見えなくもなく、もしかしたら宇賀神かもしれない。
顔は、摩滅しているが眉を吊り上げ憤怒形なのはわかる。
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手は六本で、本手は剣とショケラを持つ。
他の手は、法輪、弓、矢、三叉矛を持つ。
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ショケラは、顔などが摩滅していて詳細は不明。合掌していることはわかる。
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踏んづけられた邪鬼は、荒っぽい彫りだが、ムスッとした表情はわかる。
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邪鬼の下に刻まれた三猿は、左右の猿が横向き。
風化が激しくわかり難いが、右から「言わざる、聞かざる、見ざる」となんとかわかる。
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この庚申塔の特徴は、標準的な剣人型。
日月が塔身からはみ出しているのが面白い。



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讃岐国・金刀比羅宮の狛犬⑦

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所在地:香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1金刀比羅宮賢木門
撮影日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」にて金刀比羅宮に参拝したときに撮影した狛犬です。

金刀比羅宮については、既に記事があります。

その記事を見る


金刀比羅宮では、私は12組の狛犬を確認しましたが、今回の狛犬が7番目となります。

今回の狛犬は、黄銅鳥居からちょっと上がって石段642段のところに、賢木門があり、そこに居ます。
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年代:昭和47年(1972)
材質:石造
型式:岡崎型

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。蹲踞している。
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タテガミは大きな巻き毛がたくさん肩の下まで広がっている。
ほおヒゲは巻き毛、あごヒゲは房状に下がっている。
大きな耳は横に広がり、眉は大きな巻き毛が横に並ぶ。
小さな奥目はまん丸に開かれ睨んでいる。大きな鼻の穴が目立つ。
唇のたわみは大きく、二重に縁どられている。
口を開き、歯列をむき出している。牙は大きい。
口の中が赤く塗られているため迫力がある。
表情は怒っている。
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左は吽形、タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、蹲踞している。
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タテガミは大きな巻き毛がたくさん肩の下まで広がっている。
ほおヒゲは巻き毛、あごヒゲは房状に下がっている。
大きな耳は横に広がり、眉は大きな巻き毛が横に並ぶ。
小さな奥目はまん丸に開かれ睨んでいる。大きな鼻の穴が目立つ。
唇のたわみは大きく、二重に縁どられている。
口を閉じ、太く鋭い牙をむき出している。
口の中が赤く塗られているため迫力がある。
表情はジッと睨んでいる。
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短い前足を直立。前足の関節を強調している。
前足、後足の爪を鋭く強調。
前足、後足の走り毛はデザイン的に強調されている。
綿毛と筋肉が強調され、小ぶりだが躍動感がある。
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尾は立ち尾で、根本は扇状に大きな巻き毛が広がる。
中央に鋭い感じに炎状に波打って立ち上がっている。
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この狛犬は、典型的な岡崎型。
大きさがほどほどなので、威圧感は無いが、躍動感がある。



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冬の公園/ウォーキングにて

20210114

コロナ禍で、緊急事態宣言が出ているなか、個人的な史跡めぐりもちょっと躊躇してしまう状況である。
そんな訳で、日課としているウォーキングが気晴らしとなっている。

カテゴリーの一つに「ウォーキングにて」を設けて、ウォーキング中のちょっとした事を記事にしていこうと思う。

これは昨日の、14時から15時に歩いた記事だが、雲ひとつ無いピーカンで、風もなく、とても気持ちよくウォーキングした。
ここは、私が設定している一時間コースのちょうど真ん中で、ここに腰を下ろして休む場所。
今は何も無いが、小川があるので季節になれば色々な草花が咲いていて気持ちのいいところだ。
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小川にかかる橋は、ここを通ると皆立ち止まって小川をのぞき込む。
向こうの一本の木は、夏には汗を引っ込めさせる場所。
その近くの三つの石は、腰を下ろすのにちょうどいい。
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凧を揚げている人が4人いた。
青空にあがっている凧は気持ちがいい。
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これから上げようと、セットされた凧。
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この木も、夏場には良い日陰を提供してくれる。
土日には、この辺は草野球の試合や練習の人で一杯だが、今日は誰もいない。
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(了)


熊野神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡上里町

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鎮座地:埼玉県児玉郡上里町堤1204
参拝日:2020年6月29日
主祭神:奇御木野命、奇稲田姫命、豊受姫命

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初、天神社からスタート、次いで長幡部神社、七本木神社に参拝し、その後にこの神社に来ました。
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社号標
「延喜式内 今木青坂稲実荒御魂神社」と刻まれている。
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由緒書き
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古来より延喜式内社「今木青坂稲実荒御魂神社」といわれているが確証はない。ただ鎮座地内には平安時代の住居跡があり、熊野神社境内も東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座していることから、熊野神社が勧進される前に式内社があった可能性も考えられると、説明がある。

入り口には、朱塗りの両部鳥居がある。
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鳥居の社額には「熊野皇大神」とあり。
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並木に囲まれた気持ちのいい参道。
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参道の右側には、大きな広場がある。
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参道の真ん中辺に、昭和63年(1988)奉納の新しい狛犬が居た。
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拝殿
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向拝はシンプルな造り。
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手挟み、海老虹梁はシンプルだが、曲線が美しい。
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向拝柱の木鼻には獅子。
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中央の蟇股も獅子なのは、珍しい。
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正面の格子戸が目暗になっていて、内部を見ることはできなかった。
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本殿の覆屋も、まったく内部をみることはできない。
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ご祭神については、奇御木野命(くしみけぬのみこと)、奇稲田姫命、豊受姫命とある。
熊野神社なのだが、熊野本宮のご祭神になってはいない。
ここに、このお宮さんの複雑な歴史が表れている。

社殿の背後に境内社が塚の上に並んでいる。
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この塚は、「熊野神社古墳」と云うそうで、神流川右岸の台地上、東堤古墳群に属する円墳だそうです。現状で径8.4mほどの規模である。
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」によると主体部は横穴式石室であることが明らかになっているそうです。

並んでいる境内社は一つ一つ区別はつかないが、資料によれば、倉稲魂命・菅原道真・少彦名命・多紀理毘売命・狹依毘売命・多岐都毘売命・天之穗日命・火産霊命・伊弉冉命・天津日子根命・天照大御神・河菜姫命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・菊理媛命・伊弉諾命を併せて祀るといいます。
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これで、この日4社目の参拝を終え、続いて今城青坂稲実池上神社に向かいました。


「神社巡拝」に飛ぶ
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三猿庚申塔/川越市

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所在地:埼玉県川越市大袋248向かい
撮影日:2020年11月21日

道路のT字路のところに、今回の庚申塔はあります。
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塔身:駒型
主尊:三猿
上部に光明真言(?)
日月:なし
脇侍:二鶏
造立年代:享保13年(1728)

塔身は駒型。
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銘文:
右に 「庚申供養 武州入間郡」
左に 「享保十三戊申年十一月吉日]
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問題は、この塔身の構成である。
主部分には、上部に輪と蓮の花が刻まれ、下部に二鶏が刻まれている。そして台座に三猿が刻まれている。
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上部に刻まれた幅の広い輪と蓮の花であるが、輪の中にも何か刻まれていたようだが、磨滅していてよく判らない。輪にも何か刻まれていたようだ。
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私の推測は、光明真言と大日如来以下5仏の梵字が刻まれていたのではないかと思う。
光明真言の24文字の梵字は、円形に時計回りに刻まれる。
さらにその中に、真ん中に大日如来、上下左右に、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、上空成就如来のそれぞれを表す梵字が刻まれた例が狭山市の光明真言供養塔にある。
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三猿は、右から「言わざる・聞かざる・見ざる」である。
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この庚申塔は、川越市博物館の資料では三猿庚申塔とされているので、それによった。
主尊を、地蔵菩薩とか如意輪観音とか仏像にしている例は多い。
この庚申塔も、構成をみれば上部に何らかの主尊があり、三猿は脇侍としてもおかしくない。
しかし、上部が磨滅しており明確にできないので三猿塔としているのである。



「庚申塔の探訪記事一覧」に飛ぶ



讃岐国・金刀比羅宮の狛犬⑥

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所在地:香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1金刀比羅宮旭社前黄銅鳥居
撮影日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」にて金刀比羅宮に参拝したときに撮影した狛犬です。

金刀比羅宮については、既に記事があります。

その記事を見る


金刀比羅宮では、私は12組の狛犬を確認しましたが、今回の狛犬が6番目となります。

今回の狛犬は旭社の前を通過して、黄銅鳥居の脇に居ます。
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年代:明治2年(1869)
材質:石造
型式:出雲・丸台座丸尾型

この狛犬の特徴は、台座が円盤であること。
これが、ありそうで無いのですね。
出雲発祥の型です。

右側が阿形獅子。
丸台座の上に蹲踞している。
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たてがみに巻き毛があり獅子。たてがみは長く肩の下まで流れている。
伏せた耳が長い。
眉が濃く、鼻が大きいので、埋もれた奥目を怒らせている。
頬髯、顎髭長い。
鼻の下すぐに歯列をむき出している。牙は目立たない。
表情は怒った顔で威嚇している。
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左が吽形獅子
丸台座の上に蹲踞している。
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たてがみに巻き毛があり獅子。たてがみは長く肩の下まで流れている。
伏せた耳が長い。
眉が濃く、鼻が大きいので、埋もれた奥目を怒らせている。
頬髯、顎髭長い。
口をギュウッと閉じて、牙をのぞかせている。
表情は怒った顔で威嚇している。
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前足は長くて、真っ直ぐにピンと直立。指が長くて爪も立派。
身体の体毛は豊かで、足の走り毛も立派に表現されている。
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尾は背中に付いて丸まって立っている。
豊かな毛が枝分かれして大きな巻き毛になるが、全体として丸まっている。
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この狛犬は、出雲型である。
出雲型には、「構え型」、「丸台座型」、「丸尾型」があり、今回のは、「丸台座型」と「丸尾型」の特徴を備えている。

丸台座型は、出雲地方以外では奈良東大寺の近くの氷室神社で確認しているが、調べたら氷室神社のは未紹介なので、このブログでは出雲地方以外の例としては初出となる。
この狛犬の顔も出雲特有のものである。



狛犬の記事一覧を見る


今年もよろしくお願いします

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明けましておめでとうございます。
皆さまにとって、よいお年であるようにお祈り申し上げます。

今年の年賀状です
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昨年は、未曽有の歴史となります新型コロナウィルスに世界が翻弄されました。
毎年3月に実施している「青春18キップ」出発のときには少々危険かもという状態で出発し、消毒用品を片手に気を使って回ったのが、私としては対コロナ対策のはじまりでした。
私個人としては、いままで無事に切り抜けられてきましたが、昨日はついに東京都の一日の発生者が1337人と、千人を越えてしまう状況です。
コロナ以外では私にとっては、まずまずの一年でありましたのを感謝しております。

今年も、のんびりとマイペースで、楽しみながら
このブログをやっていきますので、よろしくお願い致します。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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