武田騎馬軍団秘史/依田武勝

20120820

120819yoda.jpg

6月に、佐久の両親の墓参りに行ったときに、ひょんなことから購入した本である。
作者が「依田」だったから。
私は佐久で生まれ育ち、結婚して相手の家に入り苗字を変えたが、旧姓は「依田」だった。
この本は、タイトルとは内容が大きく異なり、依田の系譜の説明が大半を占めている。
なので、断片的に聞いていた「依田」の系譜が良くわかった。
「依田」は武勇の系譜である。

源家の嫡男、八幡太郎義家(長男)の弟に「新羅三郎義光」が居た。
源義家は征夷大将軍であり、関東を支配し、弟の源義光は信濃を支配した(信濃だけでなく、甲斐、上野も)
義光の長男・義清は甲斐・武田氏の祖となる。
三男・長清は小笠原氏の祖となる。
四男・遠光が「信濃守国守」となり、三代目為實が「依田」の地に住み、依田城主・依田氏の祖となった。

木曽義仲の挙兵は、実質依田城にて依田為實以下信濃勢旗揚げによって、京まで攻め上がれる軍勢となった。
依田為實の妻が源義賢の妹であり、木曽義仲の伯母であったからである。

鎌倉幕府末期ごろから、依田の系譜は「依田七家」の体制となっており、足利幕府は依田七家に東信濃全土を賜った(それまでの領地を安堵した)。
依田七家というのは、それぞれ住んでいる地から苗字を取り、相木(依田本家)、芦田、海野、飯沼、八幡、望月、浦野である。

川中島で有名な上杉謙信と武田信玄の戦いは、当初は北信の村上義清と東信の依田七家の争いから発して、村上義清は上杉謙信に泣きつき、依田七家すべてが武田に合力している。
武田の騎馬軍団は依田七家の力が大きい。「望月の駒」というのは平安時代から有名だが、依田七家すべて牧場の経営に熱心だった。
頭領の相木(依田)市兵衛昌朝は、躑躅が崎の武田の郭内に館があるほど、重要な位置を占めていた。

真田のルーツは依田なのである。
海野(依田)棟綱が村上義清に攻められ死亡。子の小太郎は上野に逃れる。
相木(依田)市兵衛昌朝が小太郎を助けて、真田で海野を再興、元服して小太郎から幸隆に。
海野幸隆から真田幸隆に変わったのである。
真田幸隆と正幸、幸村の親子の名前は誰でも知っている。


山中鹿之助が依田から出ているのは、知らなかったので吃驚した。
依田幸雄・更級姫と山中鹿之助親子の物語は、それだけで一冊の本になるほどだ。
戦国の習いで、依田七家棟領相木(依田)昌朝の次男依田幸雄は村上義清のもとに人質として行っていた。
村上義清の旗本大将・楽岩寺馬之助には娘更級姫のみであったが、村上家臣の指導者井上九郎の仲介で、更級姫の婿に依田幸雄がなった。
村上家臣団の嫉妬から事件となり、90人余りを相手に依田幸雄は戦う。
依田幸雄が斬り伏せた者の中に武田信玄の隠密も居たため、囚われた依田幸雄は信玄のもとに送られる。
臨月の更級姫は単身跡を追い、途中で男子を出産。これが後の山中鹿之助である。
相木(依田)昌朝の釈明、説得により、依田幸雄は許され、相木美濃守信房と改名。紛争のあった信濃を避け遠州諏訪原城を守ることになる。
相木美濃守信房と更級姫の嫡男幸盛が元服して「鹿之助幸盛」に。
相木鹿之助幸盛は、修業したいと都に上る。(途中で家来が出来る)
都で乱暴狼藉者から、公家九条家の香姫などを助け、九条家に滞在。
鹿之助幸盛は、九条公から尼子勝久を助けてやってくれと頼まれ、尼子の家臣となる。
山中鹿之助は尼子氏のために苦闘、織田信長に称えられ名馬を贈られる。
山中鹿之助の活躍は、皆さん知るところなので、ここでは割愛。

一方、父の相木美濃守信房は高天神城を落とすなど功績をあげ、武田信玄上洛の下地を作る。
武田信玄亡きあと、武田勝頼が織田・徳川の連合軍により長篠で敗れたとき、相木信房は高天神城主横田伊松を補佐していたが、横田伊松の徳川への寝返りにより憤死。
そのとき更級姫も決死隊に混じっていたが、夫信房の頼みにより、高天神城の家臣300人を率いて甲斐まで落ち延びる。
その後寺子屋を開き、地域の子供の勉学に力をそそぎ、大きな天神の森を残し、地域のために尽くしたため、その地には「更級村」という名が残っている。
更級姫を「日本三大女傑」の一人と数える人も多いようである。


スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ルーツの話ですか。ううん、私の場合、祖父の父親が富山でお寺を持たない貧乏坊主だったらしく、息子を東京に丁稚奉公させて、そして、暖簾分けしてもらったと言うこと位しか知りません、丁稚の頃に、三越百貨店に何回か、仕事で行き、そのころは中に入るのに、下駄だったか草履だったかを脱いで、下駄箱に預けたと言う話を聞いたことがあります。知っているのはその位ですね。祖母は私が小学生の頃に亡くなったので、子供の頃の話を聞いたことはなかったですし。

魅力的ですね^^

おはようございます。
「逆説の日本史」で北信濃の村上義清が上杉謙信に応援を求め、北信濃の支配権をめぐって数回の合戦、いわゆる川中島の合戦が起ったと書かれていたのですが、その一方がこの依田家だったのですね。
あらすじだけ読んでも興味深いですから、関係者やその土地に由来する方たちにはたまらないストーリーでしょうね。

コメントありがとうございました

matsumoさん
私の家も、はっきりしていません。
母親が養女で、そこに父親が婿養子として入っという、
父親のほうは実家がはっきりしていますが、
母親の方は、私が中学のころ、母親の親の墓を訪ねて
探し当てたというくらいですから。
この本に出てくるような、武将の血筋ではないことは
確かです。

薄荷脳70 さん
村上義清が東信のほうに攻め込んできて、
しっぺ返しをくらって、上杉謙信に泣きつき、
ちょうど武田信玄も佐久に進出図っていたので、
代理戦争みたいになりましたね。
更科姫の話が、もっともドラマチックですね。

鵜呑みにはされないほうが

いいと私は思いました。
いきなり「源義家 征夷大将軍になる」でしたから。
家に言い伝えを文書化した程度だと思ったほうがいいと思います。文学的にはともかくとして、歴史書としては、まあ、こんな言い伝えがあった以上のものはないように思います。

箕輪伝蔵さま

コメントありがとうございます。
清和源氏を名乗る家は、掃いて捨てるほど
いますからね。
私自身でいえば、二世三世議員はそれだけでアウト、
二世タレントもロクなのいませんから。
血筋なんて関係なし、本人次第と思ってますが。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop