深川散歩(2)

20121009

10月5日の深川散歩の続きです。
清澄公園から「清州橋」に出ました。
121009fuka01.jpg


121009fuka02.jpg


関東大震災後の復興事業として、被災した永代橋の復元と同時に架設計画されました。昭和3年(1928)に竣工。日本橋中洲と深川清澄がつながったところから清州橋の名がついたそうです。
ドイツ、ケルン市に架けられたライン川の吊橋をモデルにしていて、清州橋は吊橋であるが、ワイヤではなく細長い鉄板(アイバー)をピンで連結した今では珍しい橋です。
アイバーによる吊橋はブタペストのドナウ川に架かるセーチェーニ橋があり、ヨーロッパで最も美しい橋の一つとされているそうです。

清州橋から上流を眺める。左手に黄色く塗られた新大橋が見え、スカイツリーの下の位置に「小名木川」の入り口が見えます。
121009fuka03.jpg


小名木川にかかる「萬年橋」です。
121009fuka04.jpg


121009fuka05.jpg


萬年橋の上から隅田川を望みます。
121009fuka06.jpg


だいたい、この視線の方向で描かれた広重の浮世絵があります。「新大橋萬年橋並びに正木の社図」
121009fuka07.jpg


新大橋が大きく描かれ、手前に小名木川と萬年橋、その向こうに「正木稲荷」が描かれている。

江戸城を居城に定めた徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。しかし江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの東京湾北部は砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回するしかなかった。そこで小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが小名木川です。
また、小名木川は江戸の人が成田詣での際に利用しました。日本橋川の「鎧の渡し」で船に乗り込み、大川を横断して小名木川に入り、中川を渡り、さらに新川に入って行徳河岸に到着、そこから成田街道を往くというルートです。

萬年橋から中川方面を望むと、大きな防潮水門が設置されていました。
121009fuka08.jpg


広重の絵に描かれていた「正木稲荷」に寄りました。
121009fuka09.jpg


芭蕉記念館です。
121009fuka10.jpg


121009fuka11.jpg


芭蕉が住んで居た「芭蕉庵」は、幕末から明治にかけて消失してしまいました。大正6年の台風の高潮の後、「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土したため、芭蕉庵のあった地が指定されました(芭蕉稲荷神社)。
今回の大失態は、その芭蕉稲荷神社に寄るのを忘れてしまったこと(汗)

館内に「石の蛙」は展示されていました。
もちろん撮影禁止なので、購入した絵葉書で。
121009fuka12.jpg


庭園内には句碑が三つありました。
まず「草の戸も住み替わる代ぞひなの家」
121009fuka13.jpg


このように、樹に沢山の句が吊られていた。
121009fuka14.jpg


「ふる池や蛙飛こむ水の音」
121009fuka15.jpg


築山に芭蕉庵を模したほこらがありました。
121009fuka16.jpg


その中に、芭蕉翁の像が。
121009fuka17.jpg


そのかたわらに「川上とこの川下や月の友」(逆光がひどくて、よく撮れなかった)
121009fuka18.jpg


そこから「隅田川テラス」に出ると、奥の細道を表現した銅のレリーフが並んでいました。
121009fuka19.jpg


121009fuka20.jpg


「芭蕉庵史跡展望庭園」にある、芭蕉像。
121009fuka21.jpg


121009fuka22.jpg


夕方になるとこの像は90度向きを変え、ライトアップされるのだそうです。

ステンレスの板に綺麗に印刷された広重の浮世絵「富嶽三十六景 深川萬年橋下」。すすきと共に。
121009fuka23.jpg


近くに、白萩も咲いていました。
121009fuka24.jpg


小名木川から新大橋までの隅田川テラスにこのような句碑が8つ立っています。
121009fuka25.jpg


隅田川には、たくさんの遊覧船が行き交っていた。
121009fuka26.jpg


手すりには救命浮きが設置されている。溺れる人もいるのかな?
121009fuka27.jpg


だいぶ新大橋が近くなってきました。
121009fuka28.jpg


新大橋です。
初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年12月7日(1694年1月4日)である、隅田川3番目の橋で、「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられている。当時の橋は現在の位置よりもやや下流側であり、西岸の水戸藩御用邸の敷地と、東岸の幕府御用船の係留地をそれぞれ埋め立てて橋詰とした。

橋が完成していく様子を、当時東岸の深川に芭蕉庵を構えていた松尾芭蕉が句に詠んでいます。
「初雪やかけかかりたる橋の上」
「ありがたやいただいて踏むはしの霜」
121009fuka29.jpg


121009fuka30.jpg


これは、カモメでしょうか、都鳥でしょうか。
121009fuka31.jpg


上流には、浜町のところにかかっている高速道路の橋と、その向こうに小さく「両国橋」が見えています。
121009fuka32.jpg


下流には小さく清州橋が。この辺で隅田川が大きく湾曲しているのがわかります。
121009fuka33.jpg


最後に、地下鉄「森下」駅近くの長慶寺を探しました。ちょっと探しあぐねて、見つけられたのは偶然のようなもの。
121009fuka34.jpg


松尾芭蕉は元禄7年(1694)10月12日、大阪で亡くなりましたが、遺言により、大津の義仲寺に葬られました。
江戸蕉門の杉風、其角、嵐雪、史邦達は、亡師を偲び、芭蕉の落歯と芭蕉自筆の「世にぶるもさらに宗舐のやどり哉」の短冊を長慶寺(寛永7年創立)境内に埋め、塚を築きました。この塚が芭蕉時雨塚です。
しかし大正12年の関東大震災後、滅失し、現在のものは、当時のものではありません。
真ん中が現在の時雨塚碑。右側の碑は「其角墓」とあります。
121009fuka35.jpg


かたわらに、真っ白な曼珠沙華が咲いていました。
121009fuka36.jpg


この日の深川散歩の終点、地下鉄新宿線「森下」駅です。
121009fuka37.jpg



(了)


スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

行かれた辺り、「深川七福神巡り」の時と、「ぐるっとパス」を使っての博物館巡りでまわったことがありますが、正木稲荷と芭蕉稲荷神社は参拝したことは無いと思います。清州橋は何回か渡ったことがあり、先日も渡ったばかりですが、ちょっと変わった橋だなあとは思いましたが、まさか、吊り橋の一種だったとは知りませんでした。確かに、写真で見ると、吊り橋の格好をしていますね。

そう言えば、随分、前に千寿七福神巡りをした際、芭蕉の像に出会ったのですが、私のブログを探したのですが、見つかりませんでした。確か、大きな市場みたいな所だったと思います。それで、インターネットで探してみたら、小さな写真が見つかりました。

http://www.pref.mie.lg.jp/TOKYO/HP/yukari/03.htm

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は、秘かな野望を持っていまして、東京の橋を
全部撮ってやろうと思っているのです(笑)
実現するかどうかわかりませんが、
いまのところ、その気持ちでいます。

芭蕉に関しては、深川を船で発ち、千住で陸に上がって、
歩き出したので、私の芭蕉追いかけの次の地は、
千住という事になります。
matsumoさんが教えてくれた写真の地ということになりますね。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop