深大寺

20121213

昨日掲載した、12月11日の三鷹周辺の社寺めぐりの続きです。
八幡大神社前からバスで深大寺に移動しました。
深大寺では、ボランティアガイドの方が説明案内してくれたので、今まで何度も深大寺に来ていたのに知らない事だらけでした。

まずは参道の真ん中辺に、小さい橋がかかっていて、名前が「福満橋」です。
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『縁起』によれば、深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)の父、福満(ふくまん)が、郷長右近(さとおさうこん)の娘と恋仲となりましたが、右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。時に福満は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の故事を思い浮べ、深沙大王(じんじゃだいおう)に祈願して、霊亀の背に乗ってかの島に渡ることが出来たのです。娘の父母もこの奇瑞を知って二人の仲を許し、やがて生まれたのが満功上人であったと伝えています。
長じて満功上人は、父福満の宿願を果すために出家し、南都に法相(ほっそう)を学び、帰郷後、この地に一宇(いちう)を建て深沙大王を祀りました。時に天平五年(七三三)、これが深大寺開創の伝説です。

山門です。梅の季節には両側に紅白の梅が咲いていて、とてもいいですよね。
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正面には「浮岳山」の山号額を掲げています。慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災をまぬがれた建物で、現在、山内で一番古い建物です。屋根裏にあった棟礼には、元禄八年(1695)に千人の寄進者・人足によって、このあたりの地形(じぎょう)と山門の普請(ふしん)が行われた。と記されています。東京に残っている江戸時代の建築の中でも、意匠的に特にすぐれたものの一つとされています。

形式は、主柱を3.6m問隔に立てて扉を付け、後方に細い控え柱を立てた薬医門(やくいもん)とよばれるものです。柱、梁、組物などの材はケヤキ。屋根は切妻(きりずま)の茅葺き。屋根裏板や垂木はスギで造られています。ケヤキ部分をベンガラで赤色に、スギ部分を黒で塗った、山内唯一の彩色された建物です。
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鐘楼
毎日朝6:00、昼11:30、夕方17:00(夏は18:00)に鐘つきが行なわれています。
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ここで、鐘楼の柱が「几帳面」である説明が。これは柱などの角に施した面の一つ。方形の角を落として鋭角に削り、その両側に刻みを入れたもの。もと几帳の柱に用いられたことから語源となった。
深大寺の建物が、如何に丁寧に作られているかの証し。
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釣鐘の下にも、反響装置が工夫されている。
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常香楼と本堂
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常香楼は、幕末の大火の際に焼かれ、そのきずあとが今は北側になった面に残っています。山門とともに焼け残りました。
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平安時代、清和天皇の貞観年中(八六〇年頃)、武蔵の国司蔵宗(こくしくらむね)が反乱を起こし、この降伏を祈念するために、修験の達者である比叡山の恵亮和尚(えりょうかしょう)が勅命をうけ東国に下りました。恵亮和尚は深大寺を道場に定めて、逆賊降伏の密教修法を行ない、その平定の功により清和天皇は、近隣七ヶ村を深大寺に寄せられ、寺を恵亮和尚に賜りました。昭和五十八年、深大寺開創千二百五十年を記念して建立された山上の開山堂には、深大寺開基満功上人そして天台宗第一祖、大楽大師(だいらくだいし)恵亮和尚の両祖師像が祀られています。

ここで、句碑などを見て回りました。

篠原温亭(俳人)
『はせ栗の落つれば拾ふ住居哉』
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高浜虚子
『遠山に日の当りたる枯野かな』
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中村草田男
『萬緑の中や吾子の歯生え初むる』
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石坂泉泣子(俳人)
『菩提樹や生涯つきぬ寺清水』
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清水比庵(歌人)
『門前の蕎麦はうましと誰もいふこの環境のみほとけありがたや』
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「そば守り観音」というのがあった。
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「深大寺そぼ」を有名にしたのは、江戸時代、深大寺の北の台地は米の生産に向かないため、小作人はそばを作り、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが、深大寺そばの始まりと伝えられている。深大寺そばを有名にしたのは、元禄年間、深大寺の総本山であった上野寛永寺の公封手法親王(輪王寺門跡東叡山門主)に献上したところ、親王は大いに賞賛なさり将軍家や全国の諸大名に広く推奨された。そのため、深大寺そばの名が高まったそうです。

元三大師堂に上がる石段の左に、「参詣道標」が置いてあります。
仙川の甲州街道に建てられていたが、東京オリンピック開催に伴う道路拡張で、ここに移されたもの。
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元三大師堂
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元三大師堂の境内の木の根元の四方に石仏がありました。
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まずは、不思議な形なのがこれ。
『角大師』-良源(りょうげん)、または慈恵大師(じえだいし)、または元三大師(がんさんだいし)だそうです。
疫病が流行した時、『元三大師』が夜叉の形相になって疫病を追い払った姿であるといわれて、魔除けの護符として、比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られたそうです。
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「六地蔵」
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「千手観音」
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「馬頭観音」と彫ってあります。
とてもユーモラスな馬です。(牛みたいに見えるけど)。
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元三大師堂の向背の彫刻。鳳凰、麒麟、親子の龍と立派でした。
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元三大師堂の天井の消えかかった龍。
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釈迦堂
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重要文化財の「銅造釈迦如来倚像(白鳳仏)」を安置する堂宇。
深大寺での重要文化財のひとつ、この釈迦如来像は明治四十二年、柴田常恵氏により元三大師堂の壇下から見出されて注目を浴ぴるようになったものです。なぜ深大寺にあるのかは謎に包まれているそうです。
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「延命観音」
昭和四十一年秋田県象潟港工事の際、ちょっとした事故がありその処理のため海底の大石を引上げたところ、偶然何かが彫刻してあるのを見つかりました。後に慈覚大師自刻の延命観音とわかり、縁あって翌年、深大寺に奉安されました。

説明図
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石窟の中にあり暗かったが、カメラの感度をISO1600にして、フラッシュなしで何とか撮影しました。
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深沙大王堂
深沙大王は、江戸時代まで深大寺の総鎮守で、このお堂は元三大師堂と同じく参詣の人が絶えなかった。明治の神仏分離令で破却され、昭和43年に再建された。深沙大王像は、秘仏で住職が在任中に一度拝める程度であるという。
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龍と扁額
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このお堂の裏の塀が、新しいもののようだが、瓦を使った凝ったものだった。
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以上で、ボランティアさんのガイドが終わり、ペコペコなお腹でお蕎麦屋さんに飛んでいき、美味しいお蕎麦をすすりこみました(笑)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

深大寺ですか、昔、神代植物園のバラの花の撮影に行った帰りに寄ったことがあります。ただし、人が多かったので、撮影意欲を失って、ほとんど撮影しなかった記憶があります。


上の写真では、まるで蛙みたいな感じの元三大師と、千手観音、そして、子牛みたいな感じの馬頭観音がいいですね!

No title

おはようございます。
深大寺には一度行きましたが、案内があると細かいことまで知ることができますね。
鐘楼の反響装置、延命観音、大師堂の龍などなど、見所、知り所はまだまだたくさんあったのですね。
勉強になりました^^

コメントありがとうございました

matsumoさん
意外でした(笑)
matsumoなら、あそこのお蕎麦の常連ではないかと
思っていました。
matsumoさんが良いと挙げたのは、私も気に入っています。
ああいうのを発見すると嬉しいですよね。

薄荷脳70 さん
今は、ああいうボランティアの方が居るところが
多いですよね。
やはり、利用すると得ることがおおいなあと痛感しました。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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