古事記講演会/古事記を知る(05)

20121216

昨日、奈良県立橿原考古学研究所の東京講演会「古事記の新たな世界」が新宿であり、それを聞いてきました。
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1.天武天皇と「古事記」

古事記が天武天皇の指導のものに編纂されたが、太安万侶と稗田阿礼が、ともに大海人皇子と勢力的、地縁的に深い関係だった。
・「古事記」に天武天皇が傾倒していた中国道教の影響がある。
・国生み神話で、最初に淡路島が出てくるが、淡路島は海人集団の雄である阿曇氏の根拠地。ここの神話が取り込まれたとみられるが、「日本書紀」では淡路島が歓迎されない島となっており、古事記と正反対の扱いとなっている。
・古事記のストーリーが天孫降臨神話から海神宮神話へ大きく転換しているが、天武天皇が幼少の頃、尾張の海人の家系につながる乳母に養育されたこと、アマテラスは海洋神であったことなどの影響が大きい。
・「高天原」は日本書紀には表記がなく、古事記だけの表記だが、持統天皇の謚名が「高天原広野姫天王」と称され、道教経典に「皇天原」という名があることから、天武天皇との関連が考えられる。

以上が内容のあらましだった。
以前から天武天皇には、文化の保存という点では敬服しきりである。
・漢字の流入によって失われつつある「やまとことば」や伝承
・仏教の導入に対して、それまで信仰されていた(よろず)神
・天津神(渡来民族の神)に対する国つ神(従来の土俗神)
・舞楽でも唐楽・高麗楽に対する国風歌舞

そして、何よりも天武天皇が伊勢神宮の式年遷宮の制度を詳しく記述させ実行させたために、現在の私達は当時の衣食住をそのまま知ることができるのである。
例えば、当時は米を蒸して食べていたことなど。

2.太安万侶墓の発掘からわかること。

太安万侶墓の墓が発見されたのは、わずか30年前!!
これが発見されたために、それまで学者によっては太安万侶の存在自体否定していた人も居たというから、とても大きな発見だったわけだが、この講演で吃驚したのは、それがまったく偶然に見つかったということだ。

お茶畑を営む夫妻が茶木の改植作業中に、木炭で囲った空洞のなかで火葬骨を見つけられ、その下から墓誌が現れた。

発掘前の現場
左上の場所に、小さい丸があるのが、発掘場所。
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墓誌というのは、もともと柩につけられるものなので、今まで全国で16点しか確認されていないとかで、本当に良く見つかったものだ。
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3.考古学からみた古事記の世界
-舒明期再建見-


この講演で示された「古事記編纂関連の皇統」
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右上に書かれた30代敏達天王イコール33代推古天皇である。
ここまでが、古事記に書かれている。

推古天皇の次の舒明天皇については、いままでよくわかっていなかった。
蘇我一族の隆盛に続いて「大化の改新」が歴史的な事として、舒明天皇については、さしたる事績なしと片づけられていた。

ところが、1997年の発掘調査で、桜井市吉備に大規模な寺院の跡が確認された。

そして舒明天皇が志した「百済大寺」、「百済大宮」の規模が明らかになってきた。
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その後の「都城計画」の先駆けとなるものを舒明天皇が「創業」していたようだ。


聴いていて、とても面白かった。

出雲大社に関しても、ついこのあいだの2000年に発掘された「宇豆柱」によってそれまで疑問視されていた、出雲大社の高層建築が裏付けられたばかりである。

「古事記」の世界は、古い時代の話なのだけれども、考古学でもいまだに新しい発見が続いている、現代の学問でもある。
それが、色々と勉強していて、とても楽しい。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

太安万侶の墓誌の発見って、まさに奇跡ですよね! その上、全文が読める状態で見つかったのですから。

当時の米は蒸して食べていたと言う話は他でも読んだ記憶はありますが、蒸すより煮た方が簡単だと思うのですが、わざわざ水蒸気を発生させて蒸す理由がわかりません。

matsumoさん

どうして蒸して食べたのかということですが、
発掘される土器で、蒸すのに使用されたものが
多いので、疑問に思い調べたことがあります。

どうも、土器だと煮ていると土が溶け出したのでしないかと。
焼成する温度が高温を望めなかったことがあります。

金属器が出てくるまでは、調理というのは、
生、焼く、蒸すのが多かったようです。

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、土器だと土が溶け出す可能性があるのですか。それは気がつきませんでした。すると、土器で蒸籠を作ったか、あるいは、木と竹で蒸籠みたいなものを作っていたのでしょうね。それにしても、蒸して食べたとすると、当時の米は今の餅米に似ていたのでしょうか。
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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