古事記を知る(07)

20121222

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2-2 二神の国生み
於是二柱神議云。今吾所生之子不良。猶宜白天神之御所。即共参上。謂天神之命。布斗麻邇爾
上。此五字以音卜相而詔之。因女先言而不良。亦還降改言。
故爾反降。更往廻其天之御柱如先。於是伊邪那岐命。先言阿那邇夜志愛袁登賣袁。後妹
伊邪那美命。言阿那邇夜志愛袁登古袁。如此言竟而。御合。生子淡道之穂之狭別嶋。
訓別云和気下効此次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一而有面四。毎面有名。故伊豫國謂愛上比賣。此三字以音下効此讃岐國謂飯依比古。粟國謂大宜都比賣。此四字以音土左國謂建依別。次生隠岐之三子嶋。亦名天之忍許呂別。許呂二字以音次生筑紫嶋。此嶋亦身一而有面四。毎面有名。故筑紫國謂白日別。豊國謂豊日別。肥國謂建日向日豊久士比泥別。自久至泥以音熊曾國謂建日別。曾字以音次生伊伎嶋。亦名謂天比登都柱。自比至都以音訓天如天次生津嶋。亦名謂天之狭手依比賣。次生大倭豊秋津嶋。亦名謂天御虚空豊秋津根別。故因八嶋先所生。謂大八嶋國。
然後還坐之時。生吉備兒嶋。亦名謂建日方別。次生小豆嶋。亦名謂大野手上比賣。次生大嶋。亦名謂大多痲上流別。
自多至流以音次生女嶋。亦名謂天一根。訓天如天次生知訶嶋。亦名謂天之忍男。次生両兒嶋。亦名謂天両屋。自吉備兒嶋至天両屋併六嶋

(読み)
 ココニフタバシラノカミハカリタマヒツラク イマアガウメリシミコフタハズ ナホアマツカミノミモトニマヲスベシトノリタマヒテ スナハチトモニマイノボリテ アマツカミノミコトヲコヒタマヒキ ココニアマツカミノミコトモチテ フトマニニウラヘテノリタマヒツラク ヲミナヲコトサキダチシニヨリテフサハズ マタカヘリクダリテアラタメイヘトノリタマヒキ
 カレスナハチカヘリクダリマシテ サラニカノアメノミハシラヲサキノゴトユキメグリタマヒキ ココニイザナキノミコト マヅアナニニヤシエヲトメヲトノリタマヒ ノチニイモイザナミノミコト アナニヤシエヲトコヲトノリタマヒキ カクノリタマヒヲエテ ミアヒマシテ ミコアハヂノサワケノシマヲウミタマヒキ ツギニイヨノフタナノシマヲウミタマフ コノシマハミヒトツニシテオモヨツアリ オモゴトニナアリ カレイヨノクニヲエヒメトイヒ サヌギノクニヲイヒヨリヒコトイヒ アハノクニヲオホゲツヒメトイヒ トサノクニヲタケヨリワケトイフ ツギニオキノミツゴノシマヲウミタマフ マタノナハアメノオシコロワケ ツギニツクシノシマヲウミタマフ コノシマモミヒトツニシテオモヨツアリ オモゴトニナアリ カレツクシノクニヲシラビワケトイヒ トヨクニヲトヨビワケトイヒ ヒノクニヲタケヒムカヒトヨクジヒネワケトイヒ クマソノクニヲタケビワケトイフ ツギニイキノシマヲウミタマフ マタノナハアメヒトツバシラトイフ ツギニツシマヲウミタマフ マタノナハアメノサデヨリヒメトイフ ツギニサドノシマヲウミタマフ ツギニオホヤマトトヨアキヅシマヲウミタマフ マタノナハアマノミソラトヨアキヅネワケトイフ カレコノヤシマゾマヅウミマセルクニナルニヨリテ オホヤシマクニトイフ
 サテノチカヘリマストキニ キビノコジマヲウミタマフ マタノナハタケヒガタワケトイフ ツギニアヅキシマヲウミタマフ マタノナハオホヌデヒメトイフ ツギニオホシマヲウミタマフ マタノナハオホタマルワケトイフ ツギニヒメジマヲウミタマフ マタノナハアメヒトツネトイフ ツギニチカノシマヲウミタマフ マタノナハアメノオシヲトイフ ツギニフタゴノシマヲウミタマフ マタノナハアメフタヤトイフ キビノコジマヨリアメノフタヤノシママデアハセテムシマ

(現代語訳)
 そこで二桂の神が相談していうには、「今私たちの生んだ子は不吉であった。やはり天つ神の所に行って申しあげよう」といって、ただちにいっしょに高天原に上って、天つ神の指図を仰がれた。そこで天つ神の命令によって、鹿の肩骨を焼いて占いをして仰せられるには、「女が先に言葉を発したので良くなかった。また帰り降って、改めて言い直しなさい」と仰せられた。それで二神は帰り降って、またその天の御柱を、前のようにお回りになった。そしてイザナキノ命が先に、「ああ、なんと可愛い少女だろう」と言い、後に女神のイザナミノ命が、「ああ、なんとすばらしい男性でしょう」と言った。
 このように言い終わって、結婚して生まれた子は、淡路之穂之狭別島(淡路島)である。次に伊予之二名島(四国)を生んだ。この島は身体は一つで顔が四つある。それぞれの顔に名があって、伊予国をエヒメといい、讃岐国をイヒヨリヒコといい、阿波国をオホゲツヒメといい、土佐国をタケヨリワケという。次に三つ子の隠岐島を生んだ。またの名をアメノオシコロワケという。次に筑紫島(九州)を生んだ。この島も身体は一つで顔が四つある。それぞれの顔に名があって、筑紫国をシラヒワケといい、豊国をトヨヒワケといい、肥国をタケヒムカヒトヨクジヒネワケといい、熊曾国をタケヒワケという。次に壱岐島を生んだ。またの名をアメヒトツパシラという。次に対馬を生んだ。またの名をアメノサデヨリヒメという。次に佐渡島を生んだ。次に大倭豊秋津島を生んだ。またの名をアマツミソラトヨアキヅネワケという。そしてこの八つの島を先に生んだので、わが国を大八島国という。
こうして大八島を生んで帰られる時に吉備児島を生んだ。またの名をタケヒカタワケという。次に小豆島を生んだ。またの名をオホノデヒメという。次に大島を生んだ。またの名をオホタマルワケという。次に女島を生んだ。またの名をアメヒトツネという。次に知訶島を生んだ。またの名をアメノオシヲという。次に両児島を生んだ。またの名をアメフタヤという。吉備児島から天両児島まで合わせて六島。

(解説)
「ふとまに」は鹿の肩骨を朱桜(ははか=かば桜)の木で焼いて、吉凶を判断する占いのことです。
ここに出てくる島の名前は、次のように理解されます。
淡路之穂之狭別島:「淡路島」とその別称の「穂之狭別」を組み合わせた名称
伊予之二名島:四国の総称。
隠岐之三子島:隠岐島は島前・島後に分かれているが、島前が三島からなるので「三子島」といった。
筑紫島:九州の総称。古く、筑紫国が政治・文化の中心地であったから、そう呼ばれた。
熊曾国:熊国(熊本県の南部)と曾国(鹿児島県と宮崎県南部)とを合わせた、九州南部の古称。
大倭豊秋津島:大和国を中心とする畿内地方一帯を指した古称。
吉備児島:今の児島半島であるが、昔は島であった。
大島:山口県の大島(屋代島)であろう。
女島(ひめしま):国東半島の北にある姫島であろう。
知訶島:長崎県の五島列島をさす。
両児島:五島列島の南の男女群島の男島・女島であろう。

イザナキノ命は、古くから淡路島の海人集団の信仰する神であったこと、国生みの順序が淡路島から始まっていることから、イザナキ・イザナミ二神が淡路島やその付近の島々を生むという物語が、宮廷神話としたとき、大規模な大八島国生みの物語に発展したと松前健博士は言っています。
「古事記」では、淡路島から始まって四国・九州・壱岐・対馬の順に、瀬戸内海をへて大陸に通う航路に従って西に進んでおり、畿内以東はまったく考慮されていない。この神話は、淡路島を中心として形成された、古代の政治地図の姿を表している。
国名や神名に、穀物に因んだ名称が多い。
神名に「・・・ワケ」という名が多いのは、古代の天皇の謚号や皇子の名に用いられた「別」と関連があるようです。

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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この話の面白いところは、神様なのに占いで原因を探るところですが、多分、シャーマンや巫女による占いを反映しているのでしょうね。

また、関西から北のほとんどが出てこないところをみると、瀬戸内海、九州の伝承を元に作られた部分のような気がします。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
面白いのは、四国でも九州でも、現在の県と
そんなに違わないということですね。
やはり地形的に、自然とそうなっていたんでしょうね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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