来日した零戦を見に行く(2)/所沢航空発祥記念館

20130216

会場内に展示してあったパネルの写真で、この零戦のこれまでの推移を述べていきます。

展示されている零戦は、1944年サイパン島で米軍によって捕えられた零戦52型機で、1957年から米国のプレーンズ・オブ・フェーム航空博物館(POF)が所有している。POFが所有した当時、尾翼は何度も塗装が塗り重ねられていたが、ていねいに塗装を取り除いていくと、61-120の機番が現れた。

POFで展示中の零戦61-120号機
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1943年5月に、61-120号機は中島飛行機小泉製作所(群馬県)で製造された機体だった。
零戦生産機数の6割強は中島飛行機、4割弱は開発メーカーの三菱重工。

1943年の中島飛行機小泉製作所の零戦製造ライン
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1943年6月、零戦61-120号機は、第261航空隊へ配属された後、硫黄島で1944年2月まで留まっていた。翌月、第261航空隊は、サイパン、テニアン、ロタ、パラオ島防空のため、サイパン島に移動し、第一飛行場(サイパン島アスリート飛行場)を基地とした。
*「61-120」の「61」は「第261航空隊」の下二桁の「61」

1944年6月、米国海兵隊によってアスリート飛行場は占領され、零戦61-120号機を含む零戦13機はそっくりそのまま捕獲された。この中には現在スミソニアン航空宇宙博物館に展示されている零戦61-131号機も含まれていた。

1944年7月、捕えられた零戦は米軍航空母艦に載せられて米国本土に輸送された。61-120号機は米国各地の基地で飛行テストを重ね、多くのテストパイロットが操縦桿を握った。パイロットの中にはチャールズ・A・リンドバーグも含まれていた。
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ノースアイランド海軍航空基地でテスト飛行中の61-120号機。
(尾翼にTAIC5と記されている。TAIC:米海軍航空情報部)
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1944年11月30日、テスト飛行が一通り終了した。4ケ月ですべての秘密がおばかれた零戦はその後「余剰品」としての宣告を受けた。

1946年、米国一般市民が初めて61-120号機に触れることとなったロサンゼルスのエアーショー。
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1957年、スクラップとなりうる運命の零戦61-120号機をPOFが入手した。以降、米国内の技術者、各博物館、工場をはじめ、零戦設計者の堀越二郎氏の協力も得て復元作業が行われる。エンジン、電気系統、油圧系統などのオーバーホールや強度確保のための主翼桁の復元などが行われた。

オーバーホールしたエンジンが初めて期待に取り付けられた。
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1977年11月、栄エンジンを試運転、翌年の1978年6月、33年ぶりの「再」初飛行に成功。以後、今回の来日以前に日本に二度の里帰り飛行を実施している。

1977年、POFスタッフによるエンジンの初試運転。
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1978年、カリフォルニア州チノ空港を飛び立った61-120号機。33年ぶりに大空を舞った。
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○ 2012年11月26日、そぼ降る雨の中、コンテナ二台に載った零戦が所沢航空発祥記念館に到着。8時過ぎから翌日の組み立て見学会に向けての準備作業が行われた。

左のコンテナに胴体後半とエンジン、右のコンテナに主翼と胴体前半が載る。
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主翼と胴体前半のユニットがコンテナから姿を現す。
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胴体後半と水平尾翼のユニットがコンテナから引き出される。
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日米両軍の標識が主翼下面左右に配された1944年に飛行中の61-120号機。
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現在の61-120号機
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傘をさす零戦の胴体前半と後半の接合作業。
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主脚がゆっくり引き出される。
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「着地」した瞬間
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15時半、全て無事格納完了。
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○ 2012年11月27日、前日と打って変わって晴れ渡る空。本日の予定は、機体にエンジン、尾翼等の取り付け作業の組み立て見学会。

機体に取り付ける栄エンジンに付いたオイルを拭い取る。
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午前9時46分、見学者の待つ舞台に向けて零戦発進。
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栄エンジンを機体に設置。
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エンジンを数分始動、白煙を上げながら乾いたエンジン音が響く。
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エンジンを積んで重くなった零戦を押して格納完了。
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次回は、零戦以外の航空発祥記念館に展示されていたものを掲載します。
(続く)




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コメント

No title

四季歩さんこんにちは

いやぁ、(ある意味)痛々しい機体でもありますね。こうやって拝見すると。
自分が最初に作ったプラモの32分の1、今井Level社の零戦52丙型を思い出します。
特徴ある推進型独立排気管、4門の20ミリ機関砲。お写真のは52型ですから、2門の99-2式20ミリ機関砲を装備していましたですね。

とても美しい人間的な飛行機だったと思います。それこそ、人馬一体となって飛ぶという…。

おなじ海軍機でも雷電なんかは決して人間的ではありませんから。(でもこっちが好きな自分です)

地元の自衛隊に同じ52型が一機展示されているらしいですから、今度見に行って見ます。


No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、零戦は2つの会社で作られていたのですか。確か、三菱重工業だったと思いますが、小牧だったかの工場で作られた後、飛行場まで零戦を運ぶのですが、道路が穴ぼこだらけの土の道で、振動が酷いので車では運べず、牛車に乗せて、1日だったか半日だったかをかけてユルユルと運ばねばならなかったと書かれていたことを思い出しました。重要な運搬路であった筈なのに、当時の日本って、道路を舗装する力もなかったと言うか、思いつくこともなかったのですね。

コメントありがとうございました

にこらすさん
コメントから、とてもプラモを愛されていたのが、
わかります。
この零戦、ほんとに可哀そうですよね。
たまに日本に連れてきてもらえるといってもね。
またプラモ好きに火をつけてしまいましたか?
(笑)

matsumoさん
そんなにひどかったのですか(笑)
その話は初めて聞きました。
おそらく、外地での戦況が切迫していて、
このようなところには、気を回せる余裕が
無かったのでしょうか。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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