神田明神

20130301

2月27日、湯島聖堂から向かったのは神田明神です。

神田明神は、正式名称「神田神社」。神田祭をおこなう神社として知られます。
祭神は、一ノ宮に大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)、二ノ宮に少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)、三ノ宮に平将門の3柱を祀ります。
社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀りました。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建されたものです。
承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国(関東地方)の平氏武将の崇敬を受け、嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされました。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれているようです。

立派な鳥居の向こうに随身門が見えています。
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随身門。まだまだ雨です(泣)
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外側正面に隨神像を配し、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神を安置。この像は熊本城域内の樹齢500年の楠で、加藤清正公お手植えと伝えられているものを使用している。一木造。長崎平和祈念像制作者として有名な北村西望(きたむら・せいぼう)氏の監修による。松下幸之助氏奉納です。
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内側には大国主神の神話をモチーフにした彫刻が飾られています。
「因幡の白兎」
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これはスサノオに試されて、鏑矢を拾ってこいと言われ野に行くと火責めにされます。すると鼠が現れ穴に隠れることが出来ますが、その場面ですね。
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立派な社殿。ここでは狛犬の向きに注意しておいてください。
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社殿の破風
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社殿の屋根には、水鳥の彫刻が載せられています。
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鳥の下部に水の波紋があり、神紋も流水巴です。
怨念を水に流すという意味なのでしょうか。将門の霊を、水神として祀りなおしているのでしょうか。
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流水巴の神紋
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狛犬の向きは、阿吽二頭が向き合っているのが普通だと思います。
ここでは、正面を向いているのが特徴。
意味はわかりません。
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だいこく様尊像(大国主神)
昭和51年完成。高さ6,6メートル重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像として建立。
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えびす様尊像
正式のお名前を少彦名命(すくなひこなのみこと)といいます。
古事記では、「大国主神が出雲の美保の岬におられる時、波頭の上から蘿藦(ががいも)の実の船に乗って、蛾の皮を丸剥ぎに剥いで衣服に着て、近づいて来る神があった。」と書かれています。
この神は出雲系の祖神・神産巣日神の御子であり、大国主神に協力して国造りをした神です。
国造りをした大国主神と少彦名命は江戸の町造りをする人にとって、うってつけの神だったわけです。

海の仲間(イルカ、タイ、ヒラメ、トビウオ、カツオ、フグ、亀)に守られて大海原を渡られる『少彦名命』の彫刻となっている。
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波頭に立つ、ちっちゃな神様
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獅子山
獅子山に乗る石獅子は武州下野の名工石切藤兵衛(別名・油売藤兵衛)が生涯でわずか3つしか造らなかったものの中の1つと伝えられ、3つの獅子は「坂東三獅子」として有名であった。
かっては神社境内参道の両脇に岩組の石獅子として据えられていたが、関東大震災により崩壊し子獅子を紛失、親獅子2頭を保存していたが、今上天皇陛下ご即位を奉祝し子獅子を新調し新たに「獅子山」として建立された。
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社殿と獅子山の間に、紅白の梅があるが、ちょっとまだ早かった。
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国学発祥の碑
国学は、荷田春満(1669~1736)により江戸において始められた学問である。春満は伏見稲荷大社神職の出。有名な赤穂事件のとき、当時吉良邸に出入りしていた春満が赤穂浪士たちにひそかに情報を提供し討入をたすけたというエピソードもある。その春満に最初に入門したのが神田明神神主家の芝崎好高であり、邸宅を講義の場として提供するなど国学の普及・発展につとめた。また春満の弟子・賀茂真淵(1697~1769)も、神主芝崎家の邸に一時住んでいた。真淵は、御三卿・田安宗武に仕え、その一方で江戸在住の武家・町人層を中心に国学を広めた。
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銭形平次の碑
野村胡堂(1882~1963)の名作『銭形平次捕物控』の主人公、平次親分が神田明神下台所町の長屋に恋女房お静と2人で住み明神界隈を舞台に活躍していたことから、昭和45年に日本作家クラブが発起人となり碑を建立した。
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阿部筲人(しょうじん)の句碑
「山茶花の散るや己の影の中」
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裏手にも、少し梅の木があった。
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角田竹冷の句碑
「白うをや はばかりながら 江戸の水」
意味は、白魚もとれる神田川の水は、恐れおおくも、その昔将軍さまのお茶の水にも召されたという江戸一番の名水である、ということらしい。
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小唄塚・小唄作詞塚
神田明神の神田祭は、江戸っ子の「粋」と「いなせ」と「勢い肌」の象徴であったので、江戸小唄の中に神田祭は随所に取り入れられている。
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さざれ石
伊吹山山麓で産出されたものが奉納されていた。
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男坂を下って次の湯島天神に向かいます。
ここは眺めがよいことから、毎年1月と7月の26日に観月(夜待ち)がおこなわれたそうです。又、当時の江戸湾を航行した船の灯台の役割も果たしていたといわれます。
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次回は湯島天神です。

(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

私が昔住んでいた所は、ここから東に1000m位の所でしたので、子供の時、何回か行ったことがあります。当時は蔵前橋通りに面した裏参道はありませんでした。

神田明神の西隣、すなわち、大黒様の脇を通って駐車場を過ぎると、公園があります。そこに最近、移築された古民家があり、今はひな祭りの季節ですので、その中に立派なお雛様の飾り(だんだん飾り)があったのですが、男坂を通られたと言うことは東側に出られたのですね。先程の公園を通って出た通りを右折し、蔵前橋通りを渡り、そのまま進めば、湯島天神の鳥居に出られます。蔵前橋通りを僅かに過ぎた所にはヤマトタケルに関係する「妻恋神社」があります。

今年は祭りも。。。

おはようございます。
近くに居ながら一度も行ったことが無いのですね、神田明神。
やはり江戸の表鬼門の鎮守だけあって見事なものですね。
今年は4年ぶりに神田祭りが開催されるようですから、行ってみようかなと思ってます^^

コメントありがとうございました

matsumoさん
今回は、食事の場所の関係で、男坂から
出たのだと思います。
その古民家と妻恋神社、とても気になりますね。
将門の首塚と一緒に、また行きます。
貴重な情報ありがとうございます。

薄荷脳70 さん
神田明神は、やはり立派でした。
まだまだ撮り足りない感じでしたから、
また行こうと思います。
去年は赤坂日枝神社山王祭でしたから、
今年は神田祭ですよね。
楽しみです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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