湯島天神

20130302

神田明神を出てから湯島天神に向かう途中で昼食を取りました。この日の参加者は23名だったので、幹事さんは場所を決めるのに苦労したと思います。
楽しく食べたあと、湯島天神です。
ここは昨年も梅を撮りにきました。昨年は辰年だったこともあり、境内の龍を撮ることも目的でした。
三回アップしていますね。こちらもどうぞご覧ください。
URLのところをクリックすれば、そのページに飛びます。

2012.2.28に「湯島天神の梅」
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-897.html

2012.3.2に「湯島天神」
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-899.html

2012.3.4に「龍/湯島天神(東京)」
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-901.html

今年はまずは、境内の石碑関係を撮って歩きました。団体行動なので忙しかったです(笑)

湯島天満宮に銅の鳥居から入りました。「梅まつり」なので屋台がびっしりと並んでいます。
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社殿の破風には、神紋の「加賀梅鉢紋」がたくさんありました。
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千木が「外削ぎ」になっています。縦に削いでありますね。
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最近知ったのですが、これは祭神が男神の場合です。ちなみに女神の場合は「平削ぎ」になります。
ここの祭神は、天之手力雄命 (あめのたぢからをのみこと)と菅原道真公です。
それから鰹木の数も男神の場合奇数で、女神の場合は偶数になります。

境内梅園の一角に「奇縁氷人石」という石柱が立っています。石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されている。これは江戸時代の「迷子石」の名残だそうです。かっての江戸では迷子になってしまう子どもも少なくなかった。それに備えて子どもは名や住居を記した「迷子札」を提げていたそうだが、「迷子札」を持っていない子どももおり、そのまま行方不明になってしまうこともあった。そうしたとき、迷子を出した親は自分の子の、迷子を見つけた方はその子の名や背格好、特徴などを紙に書いて「迷子石」に張った。
相応の成果があったらしいです。
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『菅家遺誡の碑』というのがあり、撮って来て調べたら笑っちゃいました。
これは道真が残した公家の家訓をまとめた書とされていたが、現在ではこれは偽書であり後世に道真に仮託して記されたものと考えられているそうです。和魂洋才の元となった言葉「和魂漢才」の出典としてこの書の道真の言葉とされているが、実は和魂漢才は平田篤胤による加筆改ざんと指摘されているとのこと。
なお『菅家遺誡』全文は『日本思想大系』8古代政治社会思想(岩波書店 1979年)に偽書として収録されているようです。
それを今でも堂々と置いているのは、湯島天神も太っ腹だなあと、感心しました(笑)
まあ菅原道真だろうと平田篤胤だろうと「和魂漢才」の出典には違いはありません。
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泉 鏡花の「筆塚」
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湯島天神はお蔦と主税の悲恋を描いた物語「婦系図」の舞台として登場することでも広くその名を知られています。主税がお蔦に別れを切り出し、“切れるの別れるのって、そんなことは芸者の時に言うものよ。私にゃ死ねと言って下さい”という有名な台詞をお蔦が口にする場面、その舞台が湯島天神の境内。

湯島天神の梅は、その八割ほどが白梅らしい。確かに境内を歩いていてそんな感じだった。
その名も「湯島の白梅」という楽曲があり、流行したそうです。
その「湯島の白梅」の歌詞中に、「青い瓦斯(ガス)燈」が登場するそうです。湯島天神境内にはかつて五基のガス灯があったという。
1885年(明治18年)に東京府瓦斯会社(現在の東京ガス)が設立されている。やがて電気の光に取って代わられるまでの短い期間、ガスの灯は“文明開化”の象徴として東京の夜を照らしたのですよね。湯島天神のガス灯は、使われなくなってからも、そのうちの一基だけが長くその姿を残していたが、それも1965年(昭和40年)に撤去されてしまったそうです。
そして今、湯島天神境内に、東京ガスの協力を得てまたガス灯が設置されているわけです。点灯する屋外のガス灯は東京都内で唯一のものだそうです。
屋台があるので、きれいに撮れません(泣)
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ちゃんと灯がついていました。
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講談高座発祥の地
江戸時代中期までの講談は、町の辻々に立っての辻講釈や粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演じられていた。文化四年(1807)湯島天満宮の境内に住み、そこを席場としていた講談師・伊東燕晋が、家康公の偉業を読むにあたり、庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高さ三尺・一間四面の高座常設を北町奉行・小田切土佐守に願い出て許された。これが高座の始まりであり、我が国伝統話芸・講談高座発祥の地だそうです。
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文具至宝碑
「中国より渡来した「紙・筆・墨・硯」は文房四宝と称せられ読み書き算盤の寺子屋時代から明治の学制発布により高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきた。今や文房具はOA器機にいたる迄その範疇を広げ四宝から至宝に至って戦後の日本国を世界の大国に復興せしめた教育の原動力となった十一月三日(文化の日)を文具の日として定め平成元年を迎えるに当たり先人に報恩感謝の念を捧げつつここ学問の神さま湯島天神の境内に文具至宝碑を建立する」だそうです。
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菅公一千年祭碑
梅園の中にありました。
一枚の石で出来ているので、圧巻。
日下部鳴鶴が書いたという書体が立派です。
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世界の王さんの「努力」の碑
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梅も、結局ずいぶん撮りました(笑)
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紅白が見事。
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渡り廊下のところのボンボリとの取り合わせを今年も狙いました。
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これは社殿の裏にあって、好きな枝垂れ梅です。
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湯島天神で梅を満喫したあとは、春日の局の墓のある麟祥院に向かいました。次回報告。

(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、ここにはそんなに沢山の石碑があったのですか!! 全く知りませんでした。それにしても、高座の話、初めて知りました。

それにしても、ここ、人出が多いのは仕方がないので我慢しますが、周囲に鉄筋コンクリートの建物が多いので、私には梅の花の撮影が難しい所です。その上、私が好きな紅梅が少ないですので。

ガス灯素晴らしい^^

こんばんは。
都内唯一の実用のガス灯、これそそられますね。
梅もみごろのようなので、会社帰りの夜にでも寄ってみます!
いやあ、良いこと教えていただきました。楽しみです^^

コメントありがとうございました

matsumoさん
湯島天神に何度か行って、やっと石碑類になりました(笑)

そうですよね。
matsumoさんは、梅を撮るなら梅だけでないと
我慢ならないような感じですね。
私は比較的取り合わせの写真を撮るので、ここでも
けっこう撮れます。

薄荷脳70さん
会社の帰りに寄れるなんて、いいですね。
私は、今やどこでも家から出かける、ということに
なっちゃいました(笑)
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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