宮沢賢治歌碑/秩父・野上駅

20130327

26日に鉢形城で桜を撮ったあと、秩父鉄道野上駅に向かいました。
この駅のところにある宮澤賢治の碑を撮るためです。

宮沢賢治が初めて東京に出てきたのは、大正5年3月20日で、このときは盛岡高等農林学校の修学旅行でした。
そして、同じ年の7月末、再度上京してドイツ語講習を受けており、9月に岡高等農林学校の秩父への地質旅行に合流しました。
大正時代、岩手県の盛岡高等農林学校では、毎年のように秩父へ地質旅行を実施していました。
大正5(1916)年には当時、同校の2年生だった宮沢賢治が、翌年には賢治の無二の親友となった保阪嘉内が関豊太郎教授に引率されて、長瀞をはじめ秩父地域を訪れました。
長瀞での賢治については、既に記事にしています。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1110.html

この旅行については、萩原昌好という方が詳しく調査され、『宮沢賢治「修羅」への旅』(朝文社、平成6年)で、次のように推定されています。
○9月1日:午後7時発の列車で盛岡発。
○9月2日:在京中であった賢治は上野駅で合流し、熊谷へ。
○9月3日:熊谷から寄居を経て国神へ。
○9月4日:国神から馬車を利用し、小鹿野へ。
○9月5日:小鹿野から三峰山へ。小鹿野から保阪嘉内に葉書を出す。
○9月6日:三峰山から秩父大宮(現秩父市)へ。
○9月7日:秩父大宮から本野上を経て帰途に。秩父大宮から保阪嘉内に葉書を出す。
○9月8日:盛岡到着。

このなかで、「本野上」とありますが、現在の野上駅は開業当初は本野上駅という名前だったのです。
秩父への旅行を終え、7月からの東京滞在へも終わりを告げて、盛岡に帰ろうとする時でした。
だから賢治の歌は、感傷的な歌になっています。
 「盆地にも 今日は別れの 本野上 駅にひかれる たうきびの穂よ」

秩父鉄道の野上駅です。
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駅の看板が傾いていないか?
筆頭株主の米投資会社サーベラスから路線廃止を迫られている動揺か?
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駅の待合室には、こんな看板がありました。
つつじの岩根山と七草寺の最寄駅ですね。
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賢治の碑は、駅舎横の桜の木の下にありました。
ここの桜は、まだまだですね。
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碑のところから、駅のホームの畑を見るともなしに見ると、あれっと思いました。
もしかして、とうきび、すなわちトウモロコシの畑かな?
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ホームに乗客が入ってきたので、電車が来ることがわかったので、待っていて碑と一緒に撮りました。うまく撮れましたね(嬉)
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脱線事故を起こして、休止していたSLがまた復活したというニュースが、このあいだ新聞に載っていましたが、この日は平日なのでSLはいくら待っていても来ません(笑)
この碑とSLを一緒に撮ったら最高ですね。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

サーベラスの連中は一族全員死刑にすべきですね。おそらく、米国と同様に、自動車会社と組んで、鉄道をダメにして、自動車を売ろうと考えているのでしょう。

さて、秩父鉄道ですか。野上駅辺りまで乗ったのは1回か2回かなかったと思います。トウキビ、すなわち、トウモロコシは今でこそ、北海道名物みたいな感じで売られていますが、当時はきっと、野上駅辺りの一面がトウモロコシ畑だったのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
サーベラスとか、投資会社というのは腹がたちます。
だって、会社を運営して社会に良い製品を提供する、
なんて考えはまったく無くって、
ただ株を転売して利益を得ようというだけですからね。
数年後には、西武鉄道とも縁を切ってるかもしれませんから。

トウモロコシは、私の子供の時代、信州でも
どこでも作っていましたからね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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