上野国式内社(2)/関八州式内社めぐり

20130331

29日の、所属する市の歴史クラブ企画の「関八州式内社めぐり」続きです。

美和神社
群馬県桐生市宮本町2-1-1
御祭神は、大物主櫛甕玉命で、素盞嗚命合祀されています。
大物主櫛甕玉命は大物主命の別名です。
『古事記』によれば、大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光輝いてやってくる神様が表れ、大和国の三輪山に自分を祭るよう希望した。大国主神が「どなたですか?」と聞くと「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えたという。『日本書紀』の一書では大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとある。
ミシマノミゾクヒの娘のセヤダタラヒメ(勢夜陀多良比売)が美人であるという噂を耳にした大物主は、彼女に一目惚れした。セヤダタラヒメに何とか声をかけようと、大物主は赤い矢に姿を変え、セヤダタラヒメが用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女がその矢を自分の部屋に持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれた。こうして生れた子がヒメタタライスズヒメ(イスケヨリヒメ)で、後に神武天皇の后となった。
大物主は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めています。

この社の社伝によると、崇神天皇の御代に大和御諸山から勧請。
延暦十五年に官社に列した。
近世には、美和、三輪の社号を併用していたが、明治になり美和としたそうです。

ここには、沢山のお宮が並んでいました。左手から入ると美和神社で、境内左手には、八意思兼神社。境内を右手に歩くと、松尾神社の小祠があり、その奥に金毘羅神社。その右隣りに西宮神社があるという具合です。

左手から入りますが、鳥居の前の松の木には驚きました。
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鳥居の扁額
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美和神社の拝殿
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神紋は、三つ巴ですね。
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拝殿を開けてくださったので、覗き込むと本殿が高くなってるので、上る階段がありました。
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本殿
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八意思兼神社の前の灯篭が良かった。
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関東一社であるという、桐生西宮神社にもお参りしました。
桐生西宮神社は延喜式内上野十二社の一社美和神社の御祭神が大国主命である関係から明治三十四年十月摂津西宮神社の御分霊をいただき商業、工業、農業、交通、海運、漁業等に霊験あらたかな蛭子大神(恵比寿様)を桐生ケ岡公園に接する古木生い繁る美和神社の荘重な神域におまつりした神社です
此の西宮神社を関東一社と申します理由は蛭子大神を御祭神とする神社は桐生だけで各地の恵比寿様は国土開発等に御神徳のある大国主命又事代主命をお祀りした神社であり御祭神の相違から区別されて関東一社と称せられて居ります
十一月十九日、二十日の例大祭には近郷近在は申すまでもなく栃木、埼玉等隣接各県から参拝者は数十万を数え桐生全市に恵比寿講の雰囲気が溢れまれに見る賑やかな大祭典となります。
-境内案内板より-

境内の一番右手から上がります。
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狛犬
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拝殿
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大国神社
群馬県伊勢崎市境下渕名2827
御祭神は大國主命
配祀が、日葉酢媛命・渟葉田瓊入媛命・眞砥野媛命・竹野媛命・薊瓊入媛命
大國主命は有名なので省略し、配祀のうち日葉酢媛命について簡単に記しておきましょう。
日葉酢媛命は垂仁天皇の皇后です。垂仁天皇との間に景行天皇のほか2皇子・2皇女を産んでいます。
日葉酢媛命について有名な話は葬儀に関してです。葬儀にあたって、それまで行われていた殉死を悪習と嘆じていた天皇が群卿に葬儀の方法を問うと、野見宿禰が生きた人間の代わりに埴輪を埋納するように進言したため、その陵墓に初めて人や馬に見立てた埴輪が埋納され、以後も踏襲されるようになったといいます。

この神社については、垂仁天皇の御代、諸国に疫病が蔓延し、人々が死ぬ状況の中、天皇は諸国の神々に、その救済を祈った。東国へ派遣された、百済の車臨が、当地に来た時、御手洗池で手を洗っている白髪の老人と出会い、名前を尋ねると、「大国主命」であると告げる。
そこで、車臨が、人々の救済を願うと、老人の姿は消え、疫病もなくなったという。そこで、垂仁天皇は、車臨を賞賛し、当地を与えたといいます。

入り口に赤い鳥居があり、そこから満開の桜のトンネルの下に参道があります。
これには感激ですね。
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境内前にも、鳥居があり、また赤い鳥居があります。
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境内は広かったですね。
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拝殿はかなり大きく、背後の本殿も大きい。
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神紋は三つ巴です。
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本殿もりっぱな建物でした。
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そこに施されている彫刻も見事です。
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象の彫刻が多いのが特徴。
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御手洗池に祀られていた御手洗神社は、当社に合祀されていますが、手水舎の左側に「御手洗の石燈籠」と呼ばれる石幢があります。
この石幢は、昔近くの御手洗池畦で出土したと伝えられ、長い間人々の信仰を集めてきたそうです。
石幢は鎌倉時代に中国から伝えられ、日本では幢身にじかに笠を乗せた単制のものと、当石幢のような石燈籠ふうのものが発達した。石幢は仏教でいう「輪廻応報」「罪業消滅」という人々の願いをこめて建立されたものと考えられ、ガン部と称する部分を火袋として点灯し浄火とした。
輪廻車は、復元されたものだとか。
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本殿の真裏に大国主命と書かれた石祠がありました。この石祠が大國神社で、一番大事な場所でしょうか。
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大国主命の石祠の左右に数多くの境内社が並んでいました。
地神神社、牛頭天王宮、八幡神社、摩利支天宮、疱瘡神社、少彦名神社、西宮神社、弥都波能女神、八坂神社、諏訪神社、住吉神社、稲荷神社、多賀神社という多くの神が鎮座されていました。

その一部を掲載しておきます。
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倭文(しとり)神社
群馬県伊勢崎市東上之宮町字明神東380
御祭神は天羽槌雄命(あめのはづちのおのみこと)。
配祀が倉稻魂命、菅原道眞、豊受姫命、木花咲耶姫命、大己貴命、大山祇命、誉田別命、素盞嗚命、菊理姫命と実に多いです。
天羽槌雄命は、天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物である。同じ織物の神では栲幡千々姫命、天棚機姫命が挙げられるが、天羽槌雄神は機織りの祖神とされている。また倭文(しどり)氏の遠祖でもある。
信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の倭文神社、静神社、服部神社などで祀られています。

社前を小川が流れ、赤い欄干の小さな橋を渡ると境内です。
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朱の両部鳥居があります。両部鳥居の代表としては厳島神社のものが有名ですが、あまり見かけない珍しいものです。
しかも、これは瓦が載っている立派なものです。
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境内は、ちょうど桜が咲き誇り、とても良い眺めです。
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境内右側にも道路沿いに鳥居があり、そこからも出入りが出来ます。
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東鳥居から入るとすぐに石碑が並んでおり、双体の古い道祖神がありました。
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少彦名神も
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拝殿に赤城山等の山々と、上野国の各式内社が描かれた額が奉納されていた。
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右半分に、その日訪ねてきた赤城神社、賀茂神社、美和神社、大国神社、倭文神社が書き込まれています。
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神紋は、やっと鬼瓦にあるものを見つけました。
『神社名鑑』によれば、柏となっていますが、これはどうみても「抱き芭蕉」ですね。
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それから、朱印帳に押印する朱印ですが、石製で江戸時代以前から仕様されているという伝承のもので、中央に「蛇文字」でひらがなの「しとり」と書いてあります。
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本殿
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本殿脇にあった磐座
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「倭文神社の田遊び」というのがあります。
倭文神社の田遊びは、上之宮町の倭文神社で毎年1月14日に行われる田植えの予祝行事です。
笹竹を持つ祭員が笹竹を振り、ご神歌奉唱しながら鳥居と拝殿を3往復した後、町内を巡行します。昔は最後に参会者による笹竹の奪い合いがあり、この竹で養箸を作ると蚕が当たるとされていました。
この田遊びの、ご神歌は中世まで遡り、貴重です。
-案内板より-
案内板にあった写真
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田遊神事の神歌(案内板にあったもの)
これを、当会の説明担当の方が唄ってくれました。この神社の総代の方に教わったと思いますが、生で聞けてとても有難かったです。
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次回からは、下野の国を廻ります。

(了)



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

曲がった松、いいですねえ!! 跡はやはり、双体道祖神ですね。三つ巴は、お祭りの太鼓等で見ますね。

それにしても、各神社の伝承、おそらく、明治時代に整備されたのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
道祖神は、狭山市ではまったく存在しないので、
中心となっている長野県から、どこまでの分布なのか
気になるところです。

神紋は、ほんとにいろいろな紋が使われていて、
集めるのが楽しみになってきました。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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