鎌倉街道散歩/高崎から(4)

20130415

11日に歩いた鎌倉街道ですが、いよいよ4回目で目的地「一本松橋」まで記事にして終了となります。
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佐野の浮橋ならぬ木橋から「佐野の舟橋歌碑」に戻り、鎌倉街道を歩いていきます。
「常世神社」入り口の案内があって助かりました。
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常世神社

この神社は謡曲“鉢木”に主人公として登場する佐野源左衛門常世の宅跡と伝えられる場所に建っています。謡曲“鉢木”は観阿弥の作とされています。
領地を一族に奪われた源左衛門が、この里で窮迫の生活を送っていました。ある大雪の日、旅の僧(実は鎌倉幕府執権北条時頼)に一夜の宿を頼まれます。彼は暖をとる薪もないことから、秘蔵する盆栽の“鉢木”を焚いてこの僧をもてなしました。彼は僧との話の中で、今はこんなに落ちぶれているが、れっきとした鎌倉武士で、いざ鎌倉に事があれば真っ先に駆けつけるつもりで居ると話します。時頼は鎌倉に帰ると早速、諸国の武士に鎌倉集参を触れます。源左衛門が時頼の前に呼ばれ、当夜の僧が時頼であったことを知らされ、薪にした松・桜・梅の鉢に因んで、この文字の付く3領地を拝領したというものです。
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社殿をのぞくと、中に石祠が安置されていました。
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一画に、「鉢の木」を題材にした絵画が飾られていますが、普段は覆扉で保護されています。
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扉を開けると、鮮やかな色彩の絵があって吃驚しました。
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常世神社から、新幹線の高架沿いに少し行くと「定家神社」です。

定家神社

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社殿に比べ、境内の広さにびっくりしますが、戦前まで「定家さまの森」と言われるほど、木がこんもり茂っていたそうです。
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「定家」とは、小倉百人一首の撰者・藤原定家のことです。その藤原定家がこの神社のご祭神として祀られているわけです。
「定家神社由緒略記」によると、「創建年月詳か(つまびらか)ならず。相伝ふ処によると、定家は往時この地に来たり、草菴(そうあん)を結んで暫く居住の後、帰洛に臨みて別れを惜しみ、護持する所の観音像を土人に附与し記念とす。後土人欽慕の余り祠を建てこれを祭ると。観音像今尚存在せり。」
藤原定家がこの地に住んでいたのか、とちょっと驚きましたが、続けてこう書かれているんですね。
「往時この地を髙田の里と称し、上野國神明帳群馬郡西部に従三位髙田明神あり。是によって之を観すれば髙田明神は即ち本社となる。
而して新古今集の歌<駒止めて 袖打ちはらふ かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮れ>
と詠ぜし紀伊國佐野を此処と誤認して定家を併祭せしより、後世遂に定家神社と称したるに至りし由、古文書による。現社殿は元文四己羊年(1739)造営。」
ということで、土地の人が勘違いしての創作となります。

思うに、近くの「佐野の舟橋」も「常世神社」も、謡曲と結びついているわけですね。
だから、この辺の人は謡曲に詳しくなり、謡曲の中に、「定家」という演目もあったことから、勘違いして「定家神社」を産み出してしまったのだと思います。
真偽を問うよりは、昔の人の教養の高さに感心したほうが良いのではないかと思いました。
結果として、ここ高崎に全国的にも珍しい「謡曲三名跡」を持つことになっているわけですから。

最近塗り直したのでしょう。実に社殿が鮮やかな色で、よく映えています。

拝殿
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本殿は、実に鮮やかな極彩色で、見事な彫刻がされています。
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神紋は、三つ葛の葉ですね。
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境内に、定家ならぬ万葉集の歌碑がありました。
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万葉集巻14 東歌
「佐野山(さのやま)に 打つや斧音(をのと)の 遠かども 寝(ね)もとか子ろが 面(おも)に見えつる」
(作者) 未詳。相聞往来の歌。
(大意) (佐野山の遠くに響く斧の音のように)遠くに離れてはいるが、供寝をしようというのか、あの娘が面影に見えた。

そして、松尾芭蕉の句碑もありました。
「松杉をほめてや風のかほる音」
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さきほどの万葉集の歌碑の横に「仁王堂」があります。
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昔は、道を隔てた東側にあったそうですが、昭和の初めに定家神社境内に移されたそうです。
そのお堂の中に仁王様が二体ならんで納められています。
珍しいですよね。
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境内に、何という花でしょうか、杉の林の下に一面に咲いていました。
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定家神社から新幹線の高架をくぐってすぐのところに「放光神社」があります。
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放光神社

社殿は屋根や土台が痛んできたということで、平成22年(2010)に建て替えられたので真新しくなっていますが、由緒はかなり古いのです。
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「明治維新に際し再興すといふ。上野国神名帳載する所の正四位上放光明神すなはちこれなり。此処に放光庵と称する仏堂あり。文禄中(1592-96)の建立なりしが、明治九年(1876)に至りこれを廃止、その跡を以て放光神社の神地に併す。堂は放光山天平寺と称する伽藍の跡なりと。」
鳥居の横には、「史蹟 放光寺 放光明神跡」と刻まれた、大きな石碑が建っています。
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裏面には、こう刻まれています。
「抑〃(そもそも)吾カ(が)佐野ノ郷ハ 奈良時代既ニ闢(ひら)ク 大化改新前屯倉(みやけ)ヲ設置セラレ 佐野三家ノ首 建守尊(たけもりのみこと)ノ子孫此地ニ住セリ 天平年間(729-49)放光寺ヲ建立シ氏寺トナス 又放光明神ヲ祀リ氏神トナス 彼ノ山上古碑建立者長利僧ハ即チ該寺ノ僧ナリ 尓後悠久千二百年 可惜(おしむべし)史蹟トシテ現存スルモノ唯一祀ノミ 時偶々(たまたま)昭和十四年十月一日 佐野村ノ高崎市ト合併スルヤ 道路ノ拡張ニ依リ地域狭小トナル為ニ 史蹟ノ湮滅(いんめつ)セン事ヲ恐レ記念碑ヲ建立シ両阯ヲ永久ニ保存セントス  昭和十八年三月二十八日  世話人 赤石治市郎 堀口甚四郎」

「山ノ上碑」の碑文に「佐野」という文字があり、山名とも距離的に近いことから、長利という僧がいた「放光寺」はここ佐野にあったと、長いあいだ信じられていました。
しかし、昭和49年(1974)前橋市総社町の山王廃寺発掘調査で、「放光寺」とヘラ書きされた瓦が発見され、今は山王廃寺が「放光寺」であったという説の方が有力になっているようです。

「三家(屯倉)」(みやけ)は、六世紀から七世紀前半にかけて、各地の軍事・経済的要地に置かれたヤマト政権の直轄地のことだそうです。佐野では、健守命という豪族がその管理をしていたということですから、その子孫は代々財産のある長者であったに違いありません。
それを物語るかのように、佐野には「長者屋敷」という字(あざ)がありました。
実は、そこが「佐野の船橋伝説」に出てくる「朝日の長者」の屋敷があった所だという話があります。
ここもまた佐野ならではの、伝説と謎に満ちた地でありました。

ここの前に鎌倉街道が延びています
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ずっと道なりに歩いていくと、烏川にかかる「一本松橋」に出ます。

一本松橋

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一本松橋から上流を望むと「神籠石」が見えます。
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一本松橋は現在はコンクリート造りの頑丈な橋になりましたが、それまでは毎年のように大水で流されていたそうです。それで橋の無い時は、渡し船で川を渡っていたようです。
その際に、神籠石にかかる川の水で水量を測り、渡る目印にしていたそうです。


今回は、鎌倉街道上つ道のスタート地点高崎から、この一本松橋まで歩きました。
けっこう史跡や伝承が多くて、楽しめた一日でした。

(了)



鎌倉街道散歩トップページ(索引ページ)へは、下記クリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kamakurakaidoutop.html



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

定家神社、中々、立派ですね。塗料が塗り立てということは、それだけ信仰している人がいると言うことですし。それにしても、日本人って、結構、亡くなった人を神様にしてますよね。古くは「○○天神」がありますし、昭和・平成になってからは知りませんが、明治・大正時代には、明治神宮、乃木神社とありますね。

それにしても、源左衛門は盆栽を燃したと言うことは、生木を燃そうとしたのですから、大変だったでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
亡くなった人を神様にするのは、二通りありますよね。
菅原道真みたいに、祟りが恐ろしいから機嫌直してもらおうと、
祀る場合と、神様みたいに偉かったので死後も慕われて
祀る場合。

私は子供のころ、たき火をするのが大好きで、ずいぶんしました。
一度勢いよく燃えて、燠も出来ていれば生木も燃えますが、
いきなり生木ではツライですよね(笑)
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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