古事記を知る(16)

20130422

3-5 八俣の大蛇
故所避追而。降出雲國之肥上河上在鳥髪地。此時箸従其河流下。於是須佐之男命。以爲人有其河上而。尋覓上往者。老夫與老女二人在而。童女置中而泣。爾問賜之汝等者誰。故其老夫答言僕者國神。大山
津見神之子焉。僕名謂足名椎。妻名謂手名椎。女名謂櫛名田比賣。亦問汝哭由者何。答白言我之女者自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智此三字以音毎年来喫。今其可来時故泣。爾問其形如何。答白彼目如赤加賀智而。身一有八頭八尾。亦其身生蘿及檜榲。其長度谿八谷峡八尾而。見其腹者。悉常血爛也。此謂赤加賀智者。今酸漿者也。爾速須佐之男命詔其老夫。是汝之女者。奉於吾哉。答白恐亦不覚御名。爾答詔吾者天照大御神之伊呂勢者也。自伊下三字以音故今自天降坐也。爾足名椎手名椎神。白然坐者恐立奉。
爾速須佐之男命。乃於湯津爪櫛取成其童女而。刺御美豆良。告其足名椎手名椎神。汝等醸八鹽折之酒。且作廻垣。於其垣作八門。毎門結八佐受岐
此三字以音毎其佐受岐置酒船而。毎船盛其八鹽折酒而待。故随告而。如此設備待之時。其八俣遠呂智信如言来。乃毎船垂入己頭飲其酒。於是飲酔死由伏寝。爾速須佐之男命。抜其所御佩之問十拳劔。切散其蛇者。肥河變血而流。故切其中尾時御刀之刅毀。爾思怪。以御刀之前刺割而見者。在都牟刈之大刀。故取此大刀。思異物而。白上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也。那藝二字以音
 故是以其速須佐之男命。宮可造作之地求出雲國。爾到坐須賀此二字以音下効比地而詔之。吾来此地。我御心須賀須賀斯而。其地作宮坐。故其地者於今云須賀也。玆大神初作須賀宮時。自其地雲立騰。爾作御歌。其歌曰。夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都痲碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。於是喚其足名椎神。告言汝者任我宮之首。且負名號稲田宮主須賀之八耳神。

(読み)
 カレヤラハエテ イヅモノクニノヒノカハカミナルトリカミノトコロニクダリマシキ コノヲリシモハシソノカハヨリナガレクダリキ ココニスサノヲノミコト ソノカハカミニヒトアリケリトオモホシテ マギノボリイデマシシカバ オキナトオミナトフタリアリテ ヲトメヲナカニスエテナクナリ イマシタチハタレゾトトヒタマヘバ ソノオキナアハクニツカミ オホヤマツミノカミノコナリ アガナハアシナヅチ メガナハテナヅチ ムスメガナハクシナダヒメトマヲストマヲス マタイマシノナクユエハナニゾトトヒタマヘバ アガムスメハモトヨリヤヲトメアリキ ココニコシノヤマタヲロチナモトシゴトニキテクフナリ イマソレキヌベキトキナルガユエニナクトマヲス ソノカタチハイカサマニカトトヒタマヘバ ソレガメハアカカガチナシテ ミヒトツニカシラヤツヲヤツアリ マタソノミニコケマタヒスギオヒソノナガサタニヤタニヲヤヲヲワタリテ ソノハラヲミレバコトゴトニイツモチアエタダレタリトマヲス ココニアカカガチトイヘルハ イマノホホヅキナリ カレハヤスサノヲノミコトソノオキナニ コレイマシノムスメナラバ アレニタテマツラムヤトノリタマフニ カシコケレドミナヲシラズトマヲセバ アハアマテラスオホミカミノイロセナリ カレイマアメヨリクダリマシツトコタヘタマヒキ ココニアシナヅチテナヅチノカミ シカマサバカシコシタテマツラムトマヲシキ
 カレスサノヲノミコト スナワチソノヲトメヲユツツマグシニトリナシテ ミミヅラニササシテ ソノアシナヅチテナヅチノカミニノリタマハク イマシタチヤシホヲリノサケヲカミ マタカキヲツクリモトホシ ソノカキニヤツノカドヲツクリ カドゴトニヤツノサズキヲユヒ ソノサズキゴトニサカブネヲオキテ フネゴトニソノヤシホヲリノサケヲモリテマチテヨトノリタマヒキ カレノリタマヘルママニシテ カクマケソナヘテマツトキニ カノヤマタノヲロチマコトニイヒシガゴトキツ スナハチフネゴトニオノモオノモカシラヲタレテソノサケヲノミキ ココニノミエヒテミナフシネタリ スナハチハヤスサマヲノミコト ソノミハカセルトツカノツルギヲヌキテ ソノヲロチヲキリハフリタマヒシカバ ヒノカハチニナリテナガレキ カレソノナカノヲヲキリタマフトキミハカシノハカケキ アヤシトオモホシテ ミハカシノサキモチテサシサキテミソナハシシカバ ツムガリノタチアリ カレソノタチヲトラシテ アヤシキモノゾトオモホシテ アマテラスオホミカミニマヲシアゲタマヒキ コハクサナギノタチナリ
 カレココヲモテハヤスサノヲノミコト ミヤツクルベキトコロヲイヅモノクニニマギタマヒキ ココニスガノトコロニイタリマシテノリタマハク アレココニキマシテ アガミココロスガスガシキノリタマヒテ ソコニナモミヤツクリテマシマシケル カレソコヲバイマニスガトゾイフ コノオホカミハジメスガノミヤツクラシシトキニ ソコヨレクモタチノボリキ カレミウタヨミシタマフ ソマミウタハ ヤクモタツ イヅモヤハガキ ツマゴミニ ヤハガキツクル ソノヤハガキヲ ココニカノアシナヅチノカミヲメシテ イマシハアガミヤノオビトタレトノリタマヒ マタナヲイナダノミヤヌシスガノヤツミミノカミトオホセタマヒキ

 (現代語訳)
 こうして高天原を追われて須佐之男命は、出雲国の肥河の川上の鳥髪という所にお降りになった。このとき、櫛がその川を流れ下って来たので、須佐之男命は、その川上に人が住んでいるとお思いになって、尋ね捜して上って行かれると、老夫と老女二人が、少女を間に置いて泣いていた。そこで須佐之男命が、「あなた方はだれか」とお尋ねになった。すると老夫が答えて、「私は国つ神の大山津見神の子です。私の名は足名椎、妻の名は手名椎といい、娘の名は櫛名田比売といいます」と申しあげた。
 また「あなたはどういうわけで泣いているのか」とお尋ねになった。これに答えて、「私の娘はもともと八人おりましたが、あの高志の八俣の大蛇が毎年襲ってきて、娘を食ってしまいました。今年も今、その大蛇がやって来る時期となったので、泣き悲しんでいます」 と申した。すると須佐之男命が、「その大蛇はどんな形をしているのか」とお尋ねになると、答えていうには、「その目は赤かがちのように真っ赤で、胴体一つに八つの頭と八つの尾があります。そして体には、ひかげのかずらや檜・杉の木が生えていて、その長さは八つの谷、八つの峰にわたっており、その腹を見ると、一面にいつも血がにじんで爛れています」と申しあげた。ここに赤かがちというのは、今いう酸醤(ほおずき)のことである。
 そこで速須佐之男命がその老人に、「そのあなたの娘を、私の妻に下さらないか」と仰せられると、「恐れ入ります。しかしお名前を存じませんので」とお答えした。すると須佐之男命は答えて、「私は天照大御神の弟である。そして今、高天原から降って来たところだ」と仰せられた。そこで足名椎・手名椎神が、「それならば恐れ多いことです。娘を差し上げましょう」と申しあげた。そこでハヤ須佐之男命は、たちまちその少女を爪形の櫛に姿を変えて、御角髪に刺し、その足名椎・手名椎神に命じて、「あなた方は、いく度もくり返し醸した濃い酒を造り、また垣を作り廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、その桟敷ごとに酒桶を置き、桶ごとにその濃い酒を満たして待ち受けよ」と仰せられた。
 それで命じられたとおり、そのように準備して待ち受けているとき、その八俣の大蛇がほんとうに老人の言葉のとおり現われた。大蛇はただちに酒桶ごとに自分の頭を垂れ入れて、その酒を飲んだ。そして酒に酔って、その場に留まって寝てしまった。このとき速須佐之男命は、身につけておられた十拳剣を抜いて、その大蛇をずたずたにお切りになったので、肥河の水は真っ赤な血となって流れた。そして大蛇の中ほどの尾をお切りになったときに、御剣の刃が毀(こぼ)れた。そこで不審にお思いになって、御剣の先で尾を刺し割いて御覧になると、すばらしい大刀があった。そこでこの大刀を取り出し、不思議な物だとお思いになって、天照大御神にこのことを申し上げてそれを献られた。これが草なぎの大刀である。
 さてこうして速須佐之男命は、新居の宮を造るべき土地を出雲国にお捜しになった。そして須賀の地においでになって、「私はここに来て、気分がすがすがしい」と仰せられて、そこに新居の宮を造ってお住みになった。それでその地を今でも須賀と呼んでいる。この大神が初めて須賀の宮をお造りになったとき、その地から盛んに雲が立ちのぼったので、御歌をお詠みになった。その御歌に、
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
とお歌いになった。
 そしてその足名椎神を呼んで、「あなたをわが宮の首長に任じよう」と仰せられ、また名を与えて、稲田の宮主須賀八耳神と名づけられた。

(解説)
○足名椎・手名椎の「ナヅ」は「撫づ」の意で、娘の手を撫で足を撫でていつくしむ、の意で名づけたのであろう。
○櫛名田比売は、書紀では「奇稲田姫」と記している。霊妙な稲田の女神の意。「櫛」の字を用いたのは、櫛をさした巫女であることを暗示するためであろう。
○高志は、北陸の越国とする説もあるが、出書国の古志郷(出雲市古志町のあたり)をさすと見ておく。斐伊川や神門川の下流の流域にあたる。
〇八俣のをろちは、「を」は峰、「ち」は霊威を表わす。書紀に「八岐大蛇」と記す。「身一つに八頭八尾あり」と記すとおり、頭と尾がいくつもある蛇体の水神大小の支流を合わせて流れる肥河の水霊である。
○革なぎの大刀は、倭建命が相模国でで野火攻めに逢ったとき、草なぎの剣で草を刈りはらった、という伝説が中巻に記されている。草なぎの剣は、熱田神宮のご神体とされている。
○須賀は、島根県大原郡大東町須賀の地。ここに須佐之男命・稲田比売命を祭る須我社がある。
○「妻ごみに」は、「こみ」はこもらせる意。妻をこもらせるために。

八岐大蛇は、肥河の水霊としての巨大な蛇神である。中国の神話でも、巨大な水霊の相柳(しょうりゅう)は、九首の人面蛇神とされている。一方クシナダ姫は、元来は神祭りの日に、神(水神)の訪れを待ち受け、神の妻となるべき巫女であった。酒を醸し、桟敷を結い、酒桶を並べて待つのは、神を祭るための準備であった。その姫が大蛇に呑まれるというのは、年ごとに雨期になると肥河が氾濫して、流域の稲田が壊滅する恐怖を、神話的に語ったものであろうクシナダ姫を中にすえて嘆く老夫婦は、水害の発生におびえる農夫の姿を思わせる。
英雄神スサノヲノ命が、大蛇を退治してクシナダ姫を救う話は、大蛇の形で表象された邪霊の暴威を鎮め、英雄の功によって川の氾濫を止め、豊作が約束されたことを意味している。
なお大蛇の尾から草薙剣が発見される話は、肥河の上流一帯が優秀な砂鉄の産地であり、肥河の流域で剣が鍛造されたことと関連があるであろう。大蛇の腹がいつも血に爛れていると いうのも、肥河に鉄を含んだ赤い水が流れ込む様と見ることができる。この霊剣が、天照大御神に献上されたとするのは、三種の神器の草薙剣の起源を説明するために、後から加えられた要素であろう。


雑誌の口絵
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日御崎神社の出雲神楽
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今年3月20日に行われた東京都民俗芸能大会で、葛西神楽が演じた「八俣の大蛇」は狂言風、歌舞伎風でとても良かった。
櫛名田比売
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須佐之男命と大蛇の立ち回り
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須佐之男命と櫛名田比売(古事記絵詞/山辺神宮蔵)
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須賀神社(島根県雲南市)
手前は歌碑
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

日御崎神社は数年前に行きました。中々良い感じの神社でした。出雲市駅からバスで行ったのですが、帰りに良い所を見つけて、翌日、再訪しました。

ヤマトタケルもそうですが、古事記って、だまし討ちみたいの、多いですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
matsumoさんは、ほんとにどこにでも行ってますね。
うらやましい限りです(笑)

まあ、そうですよね(笑)
一対一が多いですからね。
宮本武蔵にしても、だまし討ちというか、尋常の勝負
ではありませんよね。
一対一だと、結局やってみないとわかりませんからね。
少しでも有利に、確実にしようとするんでしょうね。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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