根津神社&権現太鼓
20130430
4月28日(日)に根津神社に、つつじ祭り及びイベントを見に行ってきました。
根津神社について、きちんと写真を撮ってなかったので、まずはそれをして、つつじはとても良い花が沢山ありました。それは次回のアップとします。
色々なイベントも期待して行ったのですが、その日のイベントには惹かれるものがなく、「根津権現太鼓」のみ撮っただけでした。
WIKIでおさらいすると、根津神社は1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。
万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現 区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した[3]。
宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した[3]。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。
「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される[4]。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。
鳥居から入ります。

神橋の上は、つつじ園を撮る人で鈴なりです。

楼門も立派です。



左右に随身


神楽殿
今日もいろいろなイベントがあるようでしたが、私の興味を惹くものはなく、残念。

つつじ祭りで人が押しかけているため、参拝者の列が唐門より手前から並んでいました。

ここの透かし塀は見事です。


左右に立派な燈篭があったが、銘文が見当たらず、由緒は不明。

狛犬

尻尾とか背中の毛並とか力強くていいですね。


ここにも神紋「万字巴」がありました。

拝殿

ここは権現造りが完成したところと云われていて、とても立派で華麗ですね。




祭神は、主祭神が須佐之男命、大山咋命、誉田別命であり、相殿神として大国主命、菅原道真公です。
神紋の「万字巴」は賽銭箱と狛犬の台座にありました。

拝殿の神紋は、普通の「卍」でした。

拝殿の屋根に気になるものを発見。


おそらく、雨樋の代わりでしょうね。このほうが古い形なのかな。
本殿も華麗です。


垂木も黒の漆塗りで、立派。

徳川家宣奉納の神輿が公開されていた。
祭礼は天下祭として賑わっていたそうである。

徳川家宣胞衣塚
第6代将軍・家宣の胞衣(胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めた塚。当地が甲府藩邸であった時に家宣が生まれたことに由来する。

つつじ園から、ずっと並んでいる「乙女稲荷」の鳥居

つつじ園の様子は、次回アップします。

境内で「根津権現太鼓」が披露されていました。全員女性で華麗、見事な演奏でした。







根津神社について、きちんと写真を撮ってなかったので、まずはそれをして、つつじはとても良い花が沢山ありました。それは次回のアップとします。
色々なイベントも期待して行ったのですが、その日のイベントには惹かれるものがなく、「根津権現太鼓」のみ撮っただけでした。
WIKIでおさらいすると、根津神社は1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。
万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現 区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した[3]。
宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した[3]。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。
「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される[4]。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。
鳥居から入ります。

神橋の上は、つつじ園を撮る人で鈴なりです。

楼門も立派です。



左右に随身


神楽殿
今日もいろいろなイベントがあるようでしたが、私の興味を惹くものはなく、残念。

つつじ祭りで人が押しかけているため、参拝者の列が唐門より手前から並んでいました。

ここの透かし塀は見事です。


左右に立派な燈篭があったが、銘文が見当たらず、由緒は不明。

狛犬

尻尾とか背中の毛並とか力強くていいですね。


ここにも神紋「万字巴」がありました。

拝殿

ここは権現造りが完成したところと云われていて、とても立派で華麗ですね。




祭神は、主祭神が須佐之男命、大山咋命、誉田別命であり、相殿神として大国主命、菅原道真公です。
神紋の「万字巴」は賽銭箱と狛犬の台座にありました。

拝殿の神紋は、普通の「卍」でした。

拝殿の屋根に気になるものを発見。


おそらく、雨樋の代わりでしょうね。このほうが古い形なのかな。
本殿も華麗です。


垂木も黒の漆塗りで、立派。

徳川家宣奉納の神輿が公開されていた。
祭礼は天下祭として賑わっていたそうである。

徳川家宣胞衣塚
第6代将軍・家宣の胞衣(胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めた塚。当地が甲府藩邸であった時に家宣が生まれたことに由来する。

つつじ園から、ずっと並んでいる「乙女稲荷」の鳥居

つつじ園の様子は、次回アップします。

境内で「根津権現太鼓」が披露されていました。全員女性で華麗、見事な演奏でした。







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コメント
No title
四季歩さん、こんにちは
おっ、根津神社、行かれたのですね。私はその前日、そばの大通りを通りましたが、ものすごい人に驚きました。その上、お昼時だったので、食べ物屋さんの前も行列でしたし。
根津太鼓は昨年の秋、録音しました。一番下の女性、記憶にあります。
おっ、根津神社、行かれたのですね。私はその前日、そばの大通りを通りましたが、ものすごい人に驚きました。その上、お昼時だったので、食べ物屋さんの前も行列でしたし。
根津太鼓は昨年の秋、録音しました。一番下の女性、記憶にあります。
matsumoさん
コメントありがとうございました。
すごく混んでいましたね。
場所が行きやすいというのもあるでしょうね。
根津権現太鼓は、一曲目に写真を撮り、二極目は
動画を撮りました。
太鼓の音ですから、動画と一緒に録った音でも
迫力があってよかったです。
ここは美人ばっかりで、良かったですね。
また行きたいです(笑)
すごく混んでいましたね。
場所が行きやすいというのもあるでしょうね。
根津権現太鼓は、一曲目に写真を撮り、二極目は
動画を撮りました。
太鼓の音ですから、動画と一緒に録った音でも
迫力があってよかったです。
ここは美人ばっかりで、良かったですね。
また行きたいです(笑)
No title
根津神社は9月21日が例大祭。将軍家宣が奉納した宮神輿が見られるそうです。
ところで楼門の随身は、家宣の叔父綱吉と、親代わりとなり将軍就任を後押しした水戸光圀がモデルと言われています。江戸のドラマ的ですね。
ところで楼門の随身は、家宣の叔父綱吉と、親代わりとなり将軍就任を後押しした水戸光圀がモデルと言われています。江戸のドラマ的ですね。
江戸や様
コメントありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。
根津神社は、場所がいいところにあるので、
行く気になりますね。
楼門の随身も、そういう目でみると、
顔も違って見えてきますよね。
こんど、またじっくりと見てきます。
これからも、よろしくお願いします。
根津神社は、場所がいいところにあるので、
行く気になりますね。
楼門の随身も、そういう目でみると、
顔も違って見えてきますよね。
こんど、またじっくりと見てきます。