瑞龍寺/富山県高岡市

20130505

2日に電話がかかってきて、高岡の叔父が亡くなったという。私が若いころ大変お世話になった方で、最近入院されたことは知っていたが、こんなに早く亡くなられるとは思いもかけなかった。
3日がお通夜だというので飛んでいき、4日のお葬式まで出席して帰ってきた。
この際だから、北陸にもう一日か二日居ようと思ったが、この時期で泊まるところが確保できなかった。
帰りの列車までの空き時間で、前田利長の菩提寺「瑞龍寺」と「前田利長公墓所」だけ寄ってきた。

最近「加賀百万石/津本陽」、「われに千里の思いあり/中村彰彦」と加賀百万石前田藩の歴史を読んできたので、寄りたかったのだ。高岡の瑞龍寺はこれまで何度も行ったことはあったが、この際きちんと写真を撮っておきたかった。

高岡駅の南口から歩いて5分くらいで、瑞龍寺と前田利長公墓所を一直線で結ぶ、870Mの「八丁道」にぶつかります。
今回は先に瑞龍寺にお参り。
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途中、前田利長公の銅像がありました。
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瑞龍寺門前
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加賀藩2代藩主前田利長(1562年 - 1614年)が、織田信長・信忠らの追善のため、文禄3年(1594年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身である。利長は慶長10年(1605年)、44歳の若さで家督を異母弟の利常(1594年 - 1658年)に譲り、自らは隠居した。利長には実子がなかったため、30歳以上年下の異母弟で、当時まだ少年であった利常を養嗣子としたのである。隠居後の利長は金沢から富山に移転するが、富山城の炎上を機に高岡に移り、ここに新たに高岡城を築いた。
それまでここには町は無かった。富山県で第二の都市高岡は、このとき生まれたのである。
前述の法円寺は、利長死去の前年である慶長18年(1613年)、高岡に移された。

前田利長は慶長19年(1614年)没し、後を継いだ3代藩主前田利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を瑞龍院と改めた(後、さらに瑞龍寺に改称)。

前田利常は承応3年(1654年)から瑞龍院の伽藍の本格的整備に着手した(伽藍整備の開始は、利長の三十三回忌にあたる正保3年(1646年)からとする説もある)。建築工事は、加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広(代々「善右衛門」を名乗る)が棟梁となって進められた。山門、仏殿、法堂が一直線に並び、左右に回廊をめぐらして諸堂を対称的に配置する伽藍配置は中国の径山万寿寺にならったものといい、伽藍整備が完成したのは利長の五十回忌にあたる寛文3年(1663年)頃であった。

伽藍配置の考え方を説明した図が門前にあった。
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総門
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梅鉢の紋は、意外なことにこの総門にあっただけだった。
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総門を入ると、広大な白砂の空間が広がっている。この雄大な「無」の空間は武将にふさわしいと、私は大好きだ。
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あれあれっ、入っちゃダメだよ笑い
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堂々とした山門が迎える。
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扁額
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「高岡山」の山号と仁王さん。
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左右に回廊が延びている。設計に珍しく和算が使われている、とパンフレットにあった。良くわからぬが、このデザイン大好きである。
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山門をくぐると、仏殿までまた真っ直ぐな道である。
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さっきの白砂の庭と異なり、ここは芝生となっている。
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屋根は、金沢城石川門と同じく鉛の瓦。
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扁額
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名工山上善右衛門によるもの。総欅作り。ご本尊は中国明代の釈迦、文殊、普賢の三尊を祀る。
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堂内にはほかにも色々な仏像が置いてあった。

大権修理菩薩
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名前は不明
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仏堂の先には「法堂」が。総檜造りで、境内で一番大きな建物。
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寺額
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大きな広縁
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般若の間にある「烏瑟沙摩(うすさま)明王」
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法堂の裏にある石廟。前田利長、前田利家、織田信長、信長の側室正覚院、織田信忠が祀られている。
云うまでもなく、利長の夫人は織田信長の四女・永である。
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利長の廟は立派
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利家の供養塔
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信長の供養塔
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法堂に戻って、回廊を一周します。
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回廊の窓から山門を望む。
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大きな木魚が下がっている。
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同じく山門
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反対側の回廊
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大庫裡
天井が曲線の漆喰で、結露に対する工夫がされているそうです。
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このあと、瑞龍寺を出て前田利長公墓所に向かいますが、次回記事とします。


(続く)





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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

大変でしたね、精神的にも、また、連休ですので、物理的にも。

さて、瑞龍寺、行ったことがあります。同じく5月の連休で、行くのに、新幹線+特急列車だったのですが、新幹線を降りてからの特急はものすごい混み方で、富山駅までほとんど立ち通しでした。

しかしながら、瑞龍寺の人出は非常にsくなく、撮影はそんなに苦労しなくても、人を入れずに撮影できたと思います。

matsumoさん

コメントありがとうございました。
そうなんですよ。
金沢など北陸に行くのに便利なので、混んでます。
私は指定が取れなかったので、接続よりも早い新幹線で
行って、自由席のところに並びました。
おかげで座れたのですが、混んでいてトイレは
我慢せざるを得ない状況でした。

瑞龍寺は、とても良い寺ですが、空いてます。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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