埼玉(さきたま)古墳群(2)/埼玉県行田市

20130510

8日に行ってきた、歴史クラブの企画の埼玉古墳群の続きです。
丸墓山古墳に続いて、稲荷山古墳に向かいます
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稲荷山古墳は、全長120m、後円部径62m、後円部高さIl・7mの2番目に大きな古墳です。後円部上に稲荷社の祠があったことから命名されました。
 稲荷山古墳は、昭和12年に前方部が削平されて、円墳のような姿になっていました。風土記の丘整備事業の一環として、昭和43年に後円部の発掘調査が行われ、2基の埋葬施設が発見されました。一つは「粘土槨」と呼ばれる竪穴の中に粘土を敷いて木棺を置いたものですが、盗掘され、出土遣物はほとんど残っていませんでした。もう一方は、「礫槨(れきかく)」で舟形に掘り込んだ竪穴に河原石を貼り付け、中央の空間に木棺を置いたものです。こちらは上に稲荷社があったためか盗掘されてなく、埋葬時の様子を完全に留めた状態で、金錯銘鉄剣をはじめ多くの副葬品が出土しました。
 外堀からは、多くの円筒埴輪や朝顔形埴輪、武人や巫女などの人物埴輪が出土しました。出土遺物から、古墳群中、最も古い5世紀後半から末の築造と考えられます。
 前方部は平成16年に復元されました。

上ります。
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後円部の頂上から丸墓山古墳を眺めます。
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前方部は復元されたばかりなので、新しい感じです。そのはるか前方に富士山が見えました。
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金錯銘鉄剣をはじめ多くの副葬品が出土した礫槨(れきかく)発掘場所。
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こんな感じで埋葬されていました。
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もう片方の粘土槨発掘場所。
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方形部分は、後円部からいったん下がって、また上がっています。
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後円部から方形部先端まで、ゾロゾロ移動。
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降りてから、稲荷山古墳の方形部を振り返ります。
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続いて将軍山古墳。これは稲荷山古墳の後円部から眺めたもの。
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将軍山古墳は、石室の中を見ることができます。
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方形部のほうから眺めた将軍山古墳。
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将軍山古墳は、全長90m、復円部径39mの前方後円墳で、古墳群中4番目の大きさです。現在の墳丘は平成9年に復元されたものです。
墳丘と造出しには円筒埴輪や形象埴輪(教・盾・大刀など)が立て並べられ、土師器や須恵器が置かれていたと考えられます。
 明治27年(1894)に地元の人々によって石室が発掘され、馬具や武器、武具類、銅椀(どうわん)など豪華な謝葬品が出土しました。馬冑(ばちゆう・馬用の冑)や蛇行状鉄器(だこうじょうてっき・馬に装着する旗竿金具)、銅椀(どうわん)などは朝鮮半島との関わりの強い遺物です。その他に、甲冑や大刀の残片、各種馬具、ガラス玉などが出土しています。
 石室は横穴式で、天井石には緑泥片岩が、奥壁・側壁には房州石と呼ばれる千葉県富津市で産出した石材がそれぞれ使われています。出土遣物や石室の構造からみて6世紀後半の築造と考えられます。

石室入り口
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入ってすぐ、二階の石室に上がります。
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石室内部は埋葬されていた状態に復元されています。
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こんな感じの道具が出土。
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整備される前の将軍山古墳。
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出土されたときの姿や出土したものの写真パネル。
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外に出て、墳丘に置かれた埴輪の写真を撮っておいたのだが、家に帰ってびっくり(笑)
一緒に鳥を撮った覚えは無かったが、ちゃんと入っていた。
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二子山古墳
 全長138m、後円部径70m、後円部高13m、前方部高14.9mの前方後円墳で、古墳群の中でも、また武蔵国でも最大の古墳です。名称は、横から見ると二つの山のように見えることに困ります。
 周堀や墳丘の造出し周辺から、円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪(人物・馬・鳥など)の破片、土師器や須恵器の破片か出土しています。埴輪は鴻巣市の生出塚(おいねづか)窯と東松山市の桜山窯から供給されたものです。
 築造時期は外堀の底に6世紀初頭に噴火した榛名山ニッ岳の火山灰が堆摸していることから、5世紀末と考えられます。一方、出土遺物から推定して、6世紀初頭とする説もあります。
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周堀のふちに沿って歩きます。確かにデカイ。
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前玉神社です。
この鳥居は明神系の形式で、笠木、島木が一体に作られ、両端に反増を持ち、さらに笠木、島木は二本の石材を中央額束の上で組み合わせています。
貫は一本の石材で作られてくさびはなく、柱はややころびを持ち、台石の上に建ちます。正面左側の柱の銘文によれば、延宝4年(1676)11月に忍城主阿部正能家臣と忍領内氏子により建立されました。建立から330年余り経過している貴重なもの。
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狛犬も古いものです。
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前玉神社は、高さ8.7m、周囲92mほどの浅間塚と呼ばれる古墳上に建てられております。
前玉神社の御祭神は、『古事記』所載の出雲系の神である、前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。天之甕主神(アマノミカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母です。
前玉神社は「延喜式」(927年)に載る古社で、幸魂(さいわいのみたま)神社ともいいます。700年代の古代において当神社よりつけられた【前玉郡】は後に【埼玉郡】へと漢字が変化し、現在の埼玉県へとつながります。前玉神社は、埼玉県名の発祥となった神社であると言われています。
 武蔵国前玉郡(むさしのくにさきたまのこおり)は、726年(神亀3年)正倉院文書戸籍帳に見える地名だと言われており、1978(昭和53)年に解読された稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文から、471年には大和朝廷の支配する東国領域が、北武蔵国に及んでいたのは確実であると言われています。

神社境内
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神紋は「左三つ巴」
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何の祭壇でしょうか?
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社殿
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鉄砲山古墳
 全長109m、復円部径55m、復円部高9m、前方部高10.1mの前方後円墳で、この古墳の周辺に忍藩の砲術演習場があったための名称です。
 発掘調査の結果、墳丘中段に埴輪列が巡っていたことが判明しました。また、墳丘西側のくびれ部付近に、古墳の名前の由来となった忍藩の砲術演習場の遺構が見つかり、約150発の弾丸が発見されています。忍藩はもともと、和流砲術が盛んな藩であり、嘉永6年(1853)のペリー艦隊の来航後には、江戸湾の第3台場の警備についていました。
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奥の山古墳
 全長70m、後円部径34m、後円部高5・6m、前方部高6・0mの前方後円墳で、埼玉古墳群中2番目に小さい古墳です。渡柳三大墳を東から見たとき、一番奥に位置します。
 造出しから、多くの須恵器片が出土し、接合作業の結果、装飾付壷や高坏形器台であることがわかりました。
このような須恵器が東日本の古墳から出土することは非常に珍しく、大変貴重な発見です。
 周堀から円筒埴輪・形象埴輪の破片も出土しています。出土遣物から、6世紀中頃から後半の築造と推定されます。
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最後が、瓦塚古墳です。
全長73m、後円部径36.5m、後円部高5.1m、前方部高4.9mの前方後円墳で、平面形態を見ると、前方部が後円部に比べて大きく造られています。古墳の名前は、明治時代初期に瓦職人がこの付近に居住していたことに由来します。
 前方部前面の縁の真ん中が三角形に突き出た形状になっていて、古墳を大きく見せる効果があります。これは「剣菱形」と呼ばれる形状で、古墳時代後期の前方後円墳に見られます。剣菱形が確認されている古墳は、今城塚古墳、河内大塚山古墳、見瀬丸山古墳、鳥屋ミサンザイ古墳、瓦塚古墳と全国でわずかです。
周堀や中堤から多量の円筒埴輪と形象埴輪(人物・馬・水鳥・鹿・犬・大刀・盾・家など)が出土しています。埴輪の他に、須恵器・土師器も出土しています。大半は造出周辺からで、高坏や提瓶(ていへい)、器台など供献用の土器であることから葬送儀礼に用いられたものと考えられます。出土遺物から、6世紀前半から中頃の築造と推定されます。
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これで、ここの見学は終り。昼食、休憩してから、次の目的地「八幡山古墳」に向かいました。
次回の記事です。

(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

いやあ、立派な古墳ですね。勿論、整備・復元によって、より、明確な形になっているのだと思いますが。

昨年、奈良の「山の辺の道」を歩いた時、多数の古墳の側を通ったことを思い出しました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
ほんとに、綺麗になりました。
どこに行っても感じますが、地方活性化の動きが
すごいと思います。
お金をそれなりに使っているわけで、
そっちのほうは心配になりますが・・・・・
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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