常楽寺をガイド/埼玉県狭山市

20130514

先週の9日(木)ですが、今年から入会した「ガイドの会」の初仕事がありました。
ガイドするお相手は、狭山市シニアコミュニティカレッジの「狭山の歴史講座 普通コース」の方30名でした。
この日9時から13時まで、狭山市の柏原地区7ケ所を史跡めぐりした訳ですが、私はその一か所「常楽寺」を担当させてもらいました。
常楽寺は、私の家から歩いて5、6分のところにあります。
この春には、そこの一本桜をこのブログでも紹介しました。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1183.html

ガイドは無事に終わりましたが、ここには、良いものが割とあるので、調べた資料をもとに紹介しようと思います。

常楽寺
この寺は妙法山常楽寺といい、宗派は天台宗です。江戸音羽町普門院の末寺といわれていましたが確証はありません。
 創建に関わる文書がないので時期、開基、開山などは不明ですが、発見された文書に「元文5年(1740)に西浄寺を同寺の末寺にする」との記載があり、それ以前であろうと思われます。また本堂内の十王像の閣魔(えんま)大王および脱衣婆(だつえば)像には、室町時代の「天正3年(1575)」との墨書(ぼくしょ)がありますが、どこに安置したか確定できませんので判断が難しいところです。市の説明資料は、概ねこれによっています。

現在は無住です。

本堂
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この寺の本尊は木造寄木造玉眼の不動明王坐像で、その中に胎内仏が納入されています。また本堂内には不動明王立像、地蔵菩薩、観世音菩薩、釈迦十大弟子、十王像などの仏像が安置されています。1つの寺院に30体以上もの仏像があるのは狭山市内でも大変珍しいことです。

本尊、不動明王坐像
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釈迦十大弟子立像、十王座像
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境内の石仏のうち二つについて説明します。

(1)七親音の石仏
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この七観音は一番上に千手観音、右側上から馬頭観音、聖観音、准胝(じゅんてい)観音、左側の上から十一面観音、如意輪観音、楊柳(ようりゅう)観音が細かいところまでていねいに彫られています。
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この七観音は天保15年(1844)に、ここ柏原村の斎日講中が建てたものです。
斎日とは毎月8・14・15・23・29・30の6日間(六斎日)を指し、この日は仏教上の八斎戒を守って身を慎む精進日です。また鉦や太鼓をたたいて名号を唱えたので、これを「六斎念仏」ともいいます。
七観音は市内に2基あり、一石に7体の観音様が刻まれているのは珍しくここだけです。他の1基は徳林寺にありますが、これは別々に一体ずつ観音像が刻まれたものです。

八斎戒(はっさいかい)とは、仏教の戒律の1つで、在家が守るべき8つの生活規則のことである。
仏教の在家信者の守るべき基本的な五戒に後述の3つの戒を加えたもの。
五戒(ごかい):
・不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
・不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
・不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 自分の配偶者以外と交わってはいけない(不倫してはいけない)。
・不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
・不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。
で、五戒の内「不邪淫戒」の代わりに
・ あらゆる性行為を行わない(不淫戒)を守り、さらに
・歌舞音曲を見たり聞いたりせず、装飾品、化粧・香水など身を飾るものを使用しない
・天蓋付きで足の高いベッドに寝ない
・正午以降は食事をしない
となり、これを六斎日の日に、講中の人はこれを守るわけです。

七観音の構成について説明します。
七観音は私たち衆生がその業により生死を繰り返す六つの世界、六道に各観音菩薩を配置してそこに墜ちた者を救うという仏です。真言宗では聖観音を地獄界、千手観音を餓鬼界、馬頭観音を畜生界、十一面観音を修羅界、准胝観音を人界、如意輪観音を天界にあてています。一方天台宗では人界に不空羂索観音観音をあてていますが、両宗派を取り入れて七観音といいます。また楊柳観音を加えて八大観音と称することもあります。なお、常楽寺の七観音は不空羂索観音の代わりに楊柳観音となっています。

ガイドの時には説明しませんでしたが、各観音の特徴も調べておいたので、ここに説明しておきます。

千手観音
正確には、千手千眼観世音菩薩といいます。千の手と千の眼は、慈悲の広大さと、救う手段の豊富さを表します。冠についている顔は11面または27面あります。顔がいくつもあるのは、救う相手により一番効果的な接し方をすることを表します。
造形的には実際に千本の手を持つものと、代表的な42本を持つものとがあります。
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馬頭観音
頭が馬か、馬の頭を冠のように載せているのが特徴です。
観音様の、煩悩を除く力を、馬の速さと馬力になぞらえた仏様です。馬=乗り物=道のつながりで、道祖神のように道端に祀られ、馬の病気と安全を祈る仏様としても信仰されています。
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聖観音
阿弥陀様の化身と考えられ、冠に阿弥陀様の化仏を付けているのが特徴です。
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准胝(じゅんてい)観音
サンスクリット語のチュンディー(清浄)の音写です。
天人丈夫観音、七倶胝仏母尊とも呼ばれます。倶胝は無量大数と同じ意味です。七倶胝仏母尊は、遠い過去より諸仏の母として尊ばれた、となります。
三目十八臂と、手が多いので千手観音と間違われることがよくあります。まれに八臂もあります。
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十一面観音
修羅の世界の救済者。頭の上に11の顔があります。
前の3面は慈悲、左の3面は忿怒、右の3面は狗牙上出(くげじょうしゅつ)、後の1面は暴悪大笑(ぼうあくだいしょう、悪を見て嘲笑する)。頂上に仏様の顔。
観音様が11のパターンで救う事を表します。
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如意輪観音
如意輪の語源の如意宝珠を持っているのが特徴てす。如意宝珠は意の如く=思いのままに宝物を降らす珠と言うことです。龍王の脳の中から出たものと言われています。
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楊柳(ようりゅう)観音
右手に柳の枝を持ちます。柳の枝で悪病を祓い清めるご祈祷があります。
薬王観音ともいいます。
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(2)半跏趺坐の地蔵菩薩
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 この地蔵菩薩は丸彫半跏趺坐像(はんかふざぞう)で、台座の正面に延命地蔵菩薩経の侶(げ)という仏を称える言葉を詩の形に整えたものが刻まれています。
「毎日晨朝入諸定 入諸地獄令離苦 無仏世界度衆生 今世後世能引導」
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 銘文を見ると宝暦7年(1757)11月に柏原村の斎日講の女性達を主体に村の人々が協力して二世安楽、極楽往生を願い、当寺の住職典英の指導で建てたものであることが分かります。

増田家の墓地は以前永代寺にありましたが、幾度かの火災で無住の時代に増田家が常楽寺を創建して墓地もこちらへ移転したとの伝承があります。

増田正金五百年記念碑
 柏原増田家の初代・増田大水正金(ますだたいすいまさかね)は応永年間(1394~1428)に大和国(奈良県)の大和郡山から柏原に移住し、槍鍛治を業として応永32年(1425)2月に亡くなっています。槍鍛治としての増田家は4代、約125年程度は続いたと考えられますが、その後は荒井(新居)、岡、豊田、入子姓の柏原鍛治集団に引継がれたと推察されます。
誰が増田正金を呼んだのかは、不明ですが「入間川御所」を鎌倉公方足利基氏が引き払ってから30年後です。足利基氏の後継者でこの地方を管理していた人だろうと思われます。
また、もともとの増田家初代増田宗徳という人は甲冑師名鑑各派系図に載っており、柏原増田家は増田明珍家という有名な甲冑師の家柄だということです。

「増田正金五百年記念碑」は、正金没後500年を記念して大正15年(1926)3月に、増田家が建てたものです。

柏原には、槍鍛治、刀鍛冶、鋳物師が多く、小田原北条氏の頃は特に活躍したようです。

増田大水正金の槍(狭山市文化財)
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増田正金五百年記念碑
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銘文
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増田家元祖大水正金伝云、武内宿爾後胤大沢大膳太夫正高三男、山田左近将監正国十一代大和郡山住人而俗名伊新之丞、世業鎗鍛冶、鎗銘日、柏原住人大水正金、応永三十二年二月廿三日逝去、大正十五年三月為満五百年記念建設


(了)





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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

私は仏の名前と言うか、仏像と言うか、ともかく、全くと言う程、知らないのですが、「准胝観音」と言う名前で、京都・上醍醐寺にあった「准胝堂」のことを思い出しました。

ここは醍醐寺から徒歩で1時間位、石段と山道を登り続けたところにあるのですが、5年程前に落雷で燃えてしまいました。これが存在した時に2回、無くなってから1回行きましたが、やはり、あるべきものが無いと、呆然としますね。

matsumoさん

コメントありがとうございました。
私も「准胝観音」は、この取り組みで初めて知りました。
仏様の種類は多くて、覚えきれないというのが、
正直なところですね。

「准胝堂」、焼けたきり再建はされないのでしょうか。
珍しいのに残念ですね。

No title

四季歩さん、こんにちは

「准胝堂」は西国33観音の1つだったこともあり、ようやく、再建に動き始めたようです。私も最初に行ったのは、西国33観音巡りの一環でした。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
西国33観音に入っていたんですね。
それは再建しないとまずいですよね。

それにしても、matsumoさんは
西国33観音巡りもやってしまったんですね。
すごい。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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