われに千里の思いあり(下巻・名君・前田綱紀)/中村彰彦

20130525

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四代目光高は、『光高公教戒の五百首』を残すほど歌に明るかったが、それは妻の大姫の影響だった。大姫は水戸徳川家の娘で水戸光圀の姉にあたる。家光の養女となった大姫を育てたのは春日局だった。
その大姫が、光高の急死によりわずか19歳で寡婦となってしまった。

光高の忘れ形見の犬千代は、鳥が好きでその縁もあり次期将軍家綱の生母お楽の方にも可愛がられる、利発さと素直さを持った少年だった。

光高の死後、再び前田藩を統率していた前田利常は、家光臨終には徳川御三家に次いで、最後の別れをした。
利常と入れ替わりに呼ばれて入っていったのが、保科正之だった。
有名な場面である。
「ひ、肥後よ、弟よ。そ、その方、余の恩を忘れてはおるまいの」
「はい」保科正之は涙ながらに答えた。
「骨髄に徹し、片時たりとも忘れたことはござりませぬ」
「――――そうか」
「知っての通り、大納言はまだ十一歳じゃ。そちに、頼みおくぞ」
家光はもっとも信頼する正之に、次期将軍家綱の輔弼役たれ、と遺言したのである。
すぐに、保科正之は西ノ丸にゆき、泣きべそをかいている家綱を慰めた。
酒井忠勝以下が家綱にお悔やみを述べるために西ノ丸に出向くと、保科正之は静かに口を開いた。
「お上の御遺命により、本日ただいまより大納言様を後見いたすことになりました」

利常は、来客があるたび、襖一枚へだてて犬千代に会話を聞かせた。
大人はどのような言葉を用いて、どのようなことを話すかを犬千代に学ばせたのである。

加賀は、戦国時代百年余り一向一揆によって、農民の国を実現していた。だから加賀藩はまだ完全に農民を管理できていたわけではなかった。
利常は「改作法」という、それまでの「検見法」から「定免法」にあらため、そして不作の年などには困窮者には、米を貸し出すなど非常時の救済法をきちんと定め、貧しい農民層を救うことと、藩の税収を安定させることに成功させた。
これは、他藩に先駆けたもので、保科正之の有名な藩政にも先行するものだった。

犬千代の元服は、将軍家綱の面前で保科正之が烏帽子親を代わりに努めるという名誉なものだった。
そして、前田綱利という名になった。

江戸城の天守閣も焼け落ちた明暦の大火のあとの、保科正之と松平信綱の江戸の大改革は皆ご存知のとおりである。
江戸城の修復には、前田藩は天主台の再築を命じられ、利常と綱利は当時も評判となった立派な仕事をする。
この天主台は今でも残っている。
その天主台が完成し、家綱が検分した際のこと、家綱を案内した綱利は、梯子に乗る前にわらじと足袋を脱いではだしになった。将軍を先導するのに、土足で梯子を汚してはならないと思ったからである。「さすがに加賀百万石の当主だけのことはある」と老中たちの間で評判になった。
この立派な天主台の上に天守閣は、ついに建たなかった。
それは保科正之と松平信綱が、すでに徳川政権が安定した今、無用の出費をするへきではないと、しかし角が立たないよう、「当分見合わせる」という言い方で処したためである。
保科正之の見事な政治を傍で見ていた利常は、前田藩を託すのは保科正之と狙いを定め、見事保科正之の娘を綱利の妻に迎えることを実現、家綱からの許しを得る。

それで安心したのか、間もなく利常はこの世を去った。
将軍家綱は、すでに義父となっている保科正之に、改めて前田綱利の後見人たれと命じた。
保科正之は、すぐに綱利に対して、これまで藩政を見ていたのが利常であったため、綱利をまだ軽んじる家風があることを払しょくするため、これに対する施策を次々に綱利に助言する。
そしてこれを軽んじる者は保科正之がこれを許さぬと、通達を発する。
保科正之の助言を、常に筆を携え、きちんと書き取る綱利であった。
そればかりでなく、綱利は自分の質問に対する保科正之の助言に感じ入り、改めて師弟の契りを願い出たのであった。
そして綱利は、正之の知力と洞察力に感じるあまり、改めて正之が幕閣をどう指導してきたのかを自分なりに調べて、あらためて保科正之の政策のすごさに感じ入った。

綱利が自ら「綱紀」と改名したのは、師とあおいだ保科正之すでに亡く、身辺に不幸が続いたときであった。水戸徳川家の客分となってい、朱子学や陽明学に通じた朱舜水に助言を仰ぎ、決めた。
前田綱紀は、保科正之の薫陶よろしく学究の徒であった。

将軍が綱吉の代になっても、前田綱紀の人柄から、綱吉から信用をされ、「前田家は御三家の次とする」と綱吉からお墨付きをもらうほどであった。
前田綱紀の代で、徳川政権のなかでの加賀百万石の安泰は盤石のものとなったと云えよう。
それは保科正之の薫陶の結果だったと知って、保科正之ファンの私としては、とても嬉しかった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

家光との別れの場面、何となく「三国志演義」の劉備が諸葛亮に子供を託す場面に似ていますね。

それにしても、江戸城の天守閣が残っていれば、ものすごい観光地になったと思います。それを保科正之が阻止してしまったのですね、今からでも、鉄筋コンクリートでよいから造って欲しいと思う人は結構多いと思います。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は保科正之のファンなので、彼が決めたことに
不満はないのですが・・・・・

それでも、日本橋から富士山と天守閣が並んで見えた
という景色は、見てみたいという気持ちが強いです(笑)

No title

こんにちは。

「われに千里の思いあり」全3巻読破されましたね。

それにしても初代の前田利家から5代目の綱紀まで、粒ぞろいの人物が続きましたね。
この5人がいたからこそ加賀百万石があるのだなと痛感させられます。

よんさん

コメントありがとうございます。
「どうして、加賀百万石はつぶされなかったのか?」
という疑問があって、いろいろ調べてて、この本のことも知り、
読んでほんとに良かったです。
夏には毎年金沢に行きますが、楽しみが増えました。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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