鼻顔(はなづら)稲荷神社/長野県佐久市岩村田

20130603

昨日、6月2日(日)に長野県佐久市にある私の両親の墓参りに行きました。
その後、このお稲荷さんにお参りしました。
去年、ひょんなことでこのお稲荷さんが日本五大稲荷の一つだとわかり、吃驚したのです。
子供のときから馴染みのあるお稲荷さんでしたから。
ちなみに日本五大稲荷とは、京都伏見稲荷、愛知豊川稲荷、佐賀祐徳稲荷、茨城笠間稲荷と当社だそうです。

入り口の案内は、こうなっています。
鼻顔稲荷神社鎮座の年代については、記録上詳しく知ることは出来ませんが、永禄年間((1558年~1569年、桶狭間の合戦の頃)に京都の伏見稲荷大社より御分霊をいただいて祭られた神社と伝えられ、以来東信濃における稲荷信仰の中心として広く崇敬を集め栄えて参りました。
鼻顔稲荷神社の御神徳は顕著で、天下泰平、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、交通安全、進学成就の守護神として霊験あらたかで御功績は実に広大無辺です。

湯川をはさんで対岸からの眺めです。
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水が少なくなったなあ、というのが印象。一番右が神楽殿で、この下にボートのり場があり、高校のころにはその桟橋から飛び込んで泳いだり、ボートに乗ったりして遊んでいました。

社殿が懸崖造りなのがわかります。
左から拝殿本殿、社務所、参籠殿となります。
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入り口。私は高校三年間、この前の道を自転車で朝夕通って通学しました。
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境内案内図
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鳥居が三本並んでいます。
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社額の上に屋根がかかっているのが珍しい。
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手水舎
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水琴窟があるというので楽しみにしていましたが、どうも詰まってしまっているようで、妙なる音は聞けず。残念!
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神楽殿が川を背に建っています。
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男坂
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上りきると、鳥居が並んでいます。
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また下に戻って、他の参道をいきます。
急石段は通行禁止。
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上から見たところ。高校のころ、上りは平気なのですが、ここを下りるのは大変だったことを想いだしました。前を向いては降りられなかったと思います。今は石段が埋められてしまっていて、上ろうにも上れなくしてありますね。
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急石段の左右には、狛犬がいました。なかなか風情があります。通る人もいなくなって退屈そうです(笑)
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女坂の登り口には、高い石灯篭が立っています。
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その横には相生の樹が。
赤松とけやきの大木が交わりながら仲良く共生しているので、縁結びの樹だとか。
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女坂を登ります。
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脇には、道祖神とか月待ち供養等など古い石仏が並んでいます。
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これは、初期のかたちの祠型の道祖神ですね。
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このあたりから、足場の上の鉄板の階段です。
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上りきると、岩村田の街が一望できます。
左手の遠くの森が岩村田城址。
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岩村田内藤藩について
元禄16年(1703年)8月、武蔵国赤沼藩より内藤正友が武蔵国・上野国・常陸国・上総国・下総国など各地で1万5000石から転じて佐久郡の内、27ヶ村で1万6000石を与えられ、岩村田陣屋が置かれたことに始まる。その後、摂津国・河内国(現在の大阪府)内の地へ一時移封されたが、その次男である第2代藩主・内藤正敬の代に再度この佐久郡内の地へ移封された。このように所領の場所が頻繁に入れ替わることが多かったが、藩政で特に見るべきところは無く、そのまま代が相次いだ。
第6代藩主・内藤正縄は老中・水野忠邦の実弟であった関係で、伏見奉行となって、その功績により城主格に昇進された。最後の藩主・内藤正誠は日光祭礼奉行・奏者番・寺社奉行などを歴任する。戊辰戦争では新政府軍に与して宇都宮城の戦いや北越戦争に出兵する。この頃、岩村田では築城計画がなされていたが、明治2年(1869年)に版籍奉還が行なわれ、さらに廃藩置県が行なわれて藩が廃されたため、城は未完成のまま廃城となった。

ということで、珍しいことに幕末になって城持ちを許されたが、城を築城中に明治維新を迎えてしまい、未完成のまま廃城となったという城址です。

まずは、御姿殿があります。鍵を咥えた稲荷狐と巻物を咥えた子持ちの稲荷狐が安置されています。普通よくある姿は、参道の両側に居て迎えるというものですが、ここでは建物の中で出迎えてくれています。
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鍵を咥えた稲荷狐
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巻物を咥えた子持ちの稲荷狐
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建物に入れて大事にされているわけがわかりました。
とても美人の狐ですよね(笑)

いよいよ懸崖造りの社殿です。
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参籠殿に入ると、幟の列と奉納絵馬、酒樽がたくさんあります。
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これは。字は読みにくくなっていますが、まだ絵が鮮やか。
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桑の葉の型紙に名前が書いてあります。
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奉納者の名が消えてしまっていますが、酒造りの絵と思われる。
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昭和11年奉納で、繭で文字を描いてあったが、だいぶ繭が失われています。
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北辰一刀流、千葉周作門下生の奉納。真ん中に北斗七星が描かれている。
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これは稲荷信仰と習合した、陀枳尼天を描いたものですね。
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拝殿
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前に奉納された、かわいい狐たち
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岩に納められた本殿
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神紋は「焔宝珠」ですね。
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御祭神は「宇迦乃御魂命」、配祀は「猿田彦命」と「大宮能売大神(天の鈿女)」
鼻顔稲荷という名前については、説明らしい説明は見当たりません。
これは私の勝手な解釈ですが、猿田彦はご存知のように天狗と外観は同様の顔なので、「鼻顔」がぴったりきます。「猿田彦命」からきたものではないかと思っています。

拝殿の前の床は、このように隙間から下を見ると宙に浮いているのがわかります。
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カミさんに、それを教えたら気が付いていなかったらしく、動けなくなってしまいました。
悪いことをした(笑)

裏側に、同じく岩に塗り込められた旧本殿があり、こちらもお参り。
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こちらの稲荷狐は、玉を咥えたもの、巻物を咥えたものでした。
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登り切った上に、大神宮があるとのことだったので、こちらもお参りしました。

鳥居にも注連縄が飾られていました。
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両側に、このように灯篭が飾られていた。
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拝殿
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祭神は、天照皇大神。
この神社は平安時代に創建され、明治の初期までは、今の裏町(現在中央公園)にあり、その後、この地に移築されたもの。岩村田の神社仏閣の中でも最も古い歴史を誇るものです。

鼻顔稲荷から大神宮までの間に、いろいろな碑がありました。
紹介しておきます。

萩原井泉水句碑
「空をあゆむ ろうろうと 月ひとり」
井泉水の弟子であった当地出身の故・関口江畔の遺志により、その子関口父草が主となり建てられたものである。
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山頭火・関口江畔・父草 句碑
漂白の俳人といわれる種田山頭火が、昭和11年5月10日鼻面稲荷を訪れてから70年を記念して建てたものです。山頭火を招いたのは、鼻面稲荷に隣接して居を構え、おなじ自由律俳句「層雲」の同人であった関口江畔・父草の句を、各自の自筆で刻みました。
「浅間をむこうに深い水を汲みあげる  山頭火」
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その両側面に、関口江畔・父草の句も刻まれています。
「兄も弟も日に焼けて 学校へ行く日となった朝飯  関口江畔」
「足もと照らしつつゆく自分の足もと  関口父草」 

あと、山室 静という方の「故郷」の碑がありました。
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山室静は、1906年鳥取市で生まれ、七歳で父を失い祖父の地である佐久で育つ。少年時代に詩作をはじめ1930年代からヒューマニズムに立つ文芸評論を主とするも、つねに誌心を失わず、自然を愛し、清澄自在の境地を開示して、真正の詩人と謳われてきた。また、北歌文学研究の先駆者として知られ、多彩な文学活動の成果により、文学・文化賞を受賞すること六度に及ぶ。
この間、小諸市に高原学舎を設立、堀辰雄氏らと「高原」を発行し、佐久文化会議を興して佐久文化賞を創設するなど、郷里の文化振興と人材育成に貢献した。

碑には「故郷」からの抜粋詩が刻まれています。
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故 郷      山室 静

  それは雪と水の郷土
  冬は早く訪れ、その白い暴君は長く君臨する
  かくて地表は刃物のようにとがり、時折り樹々はえ堪えずしてみづから裂ける
  それは萌え出ようとする者と抑えようとする者とのはげしい無言の格闘を示す

  だが、やがて遂に待たれた春がくる
  閉ざされた氷の下にも鬱々の声をたたぬ川は
  そのとき溢れ、みなぎり、押しきって、泥まみれに氾濫する
  その泥の中にはげしい青草の香りがある
  そんなとき少女は一夜にして大人になり、胸は疼きふくらんで
  若者の目は近づく春の祭と播種を思ってあつく燃える

  それは寒冷と枯瘠の土地
  はげしい労働も乏しい収穫でしか酬われぬ貧と苦の郷里
  しかも暴君は時折りもう収穫の前にやって来る
  まるで貧婪な立毛差押えのように

  だが、年々歳々
  その飢と寒さの郷土に子供は育ち、少女は身ごもることを止めぬ
  そして、よりあたたかき日、より光ある日を待ちのぞんで
  あこがれ、欲し、たたかい
  それを生みいだす。


(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

五大稲荷なんて言うのがあるのですか。初めて知りました。5つの内、行ったことがあるのは、京都伏見稲荷、愛知豊川稲荷、茨城笠間稲荷の3つですね。でも、伏見稲荷は何回か行ったことがありますが、残り2つは1回しか行ったことがありません。

赤坂にある「豊川稲荷」等、東京にも大きな稲荷神社ありますね。後は、上野駅近くの「下谷神社」も千貫神輿で有名ですし。

上記の写真では、鍵や巻物を加えた狐の像がいいですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は、五大稲荷といっても、行ったのは
この鼻顔稲荷だけです(汗)

ここでも、matsumoさんに大きくリードされてますね。
頑張らないと(笑)

あの鍵や巻物を加えた狐の像は、私も気に入りました。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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