江戸城の濠と御門を巡る(1)

20130605

昨日、4日(火)に歴史クラブの企画で歩いてきました。
130605kokyo01.jpg


図で一番下の外桜田御門から歩き出して、時計回りに内桜田御門(桔梗門)まで回りました。

地下鉄「桜田門」駅から地上に出ると外桜田御門の前です。
130605kokyo02.jpg


外桜田御門は工事中で、どんな門かほとんどわかりません。
昨年、日枝神社山王祭の御幸祭の行列を追いかけてて、この門から入って近道をして先行し、内堀通りを進む行列を撮るのに利用したので、私は通ったことがあります。
130605kokyo03.jpg


桜田門(さくらだもん)は、江戸城[1](現在の皇居)の内堀に造られた門の一つ。桜田堀と凱旋堀の間にある。昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。
当初は小田原街道の始点として小田原口と呼ばれていた。寛永13年(1636年)にそれまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造になっており、間に桝形がある。大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損、鋼鉄土蔵造りに改修される。
安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊邸は現在憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500メートルほどの所にあった。
昭和7年(1932年)には昭和天皇の暗殺未遂事件(桜田門事件)が起きた。

向かいには通称「桜田門」の警視庁があります。
130605kokyo04.jpg


旧法務省本館の赤レンガ棟もあります。
130605kokyo05.jpg


「桜田濠」に沿って進みます。
130605kokyo06.jpg


外桜田御門を振り返る。
130605kokyo07.jpg


高校生の一団と一緒になりました。登校の時間にしては遅いので、どこかに見学にいくのでしょう。
130605kokyo08.jpg


国会議事堂が見えるところまできました。
130605kokyo09.jpg


憲政記念館の時計塔が見えます。
130605kokyo10.jpg


桜田濠の突き当たり、半蔵御門の土手が見えます。
130605kokyo11.jpg


最高裁判所
130605kokyo12.jpg


高校生の一団は、国立劇場のほうに入っていきました。国立劇場か国立演芸場で見学みたいですね。
130605kokyo13.jpg


半蔵御門
130605kokyo14.jpg


ここは、一般人は入れないので、お巡りさんが頑張っています。
130605kokyo15.jpg


ズームを効かして、門を撮影。
130605kokyo16.jpg


半蔵御門は城の西端に位置し、まっすぐ甲州街道(現・国道20号)に通じている。大手門とは正反対の位置にある。
この門内は、江戸時代には吹上御庭と呼ばれ、隠居した先代将軍や、将軍継嗣などの住居とされた。現在は吹上御苑と呼ばれ、御所(今上天皇の住居)、吹上大宮御所(かつての香淳皇后の住居)、宮中三殿、生物学御研究所、天皇が田植えをする水田などがある。天皇及び内廷皇族の皇居への出入りには、主にこの門が用いられている。他の皇族は乾門を使用することが多い。一般人の通行は認められていない。太平洋戦争で旧来の門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものである。
半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するとする説と、山王祭の山車の作り物として作られた象があまりにも大きかったために半分しか入らなかったことに由来するとする説がある。定説は前者であり、服部家の部下(与力30騎、伊賀同心200名)がこの門外に組屋敷を構え、四谷へと通じる甲州街道(現在の国道20号、通称麹町大通り・新宿通り)沿い一帯が旗本屋敷で固められていたことに由来するという。
これは、非常時に将軍を甲州街道から幕府の天領である甲府へと安全に避難させるためと言われている。その意味で、半蔵門は江戸城の搦手門にあたる。
この日の説明では、この辺には秘密の地下道が数多く存在し、地下鉄の工事で発見されたりしているとか。服部家隠密の仕業でしょうね。

これが、服部家の部下が組屋敷を構え両側を固めていたという、四谷へと通じる道。
130605kokyo17.jpg


これから、千鳥ヶ淵緑道に入ります。
130605kokyo18.jpg


タイトル、作者がわからなかったので、帰宅してから調べました。
「自由の群像」
半蔵壕の南端、千鳥ヶ淵公園に立つ「自由の群像」は、マスコミ功労者の顕彰記念像のひとつ。広島・平和記念公園の「原爆の子の像」 の作家・菊地一雄の制作によるもので、昭和30年(1955)11月3日文化の日に除幕式が行われた。三人の男性ブロンズ像は「自由」「自尊」「進取」をあらわしているという。  
自由のために一身をペンにささげた新聞人たちを顕彰するものなので、その像は高いところから人々を見おろすものではふさわしくないということで、台座は低く設計されており、その周りに四角い池がレイアウトされている。
130605kokyo19.jpg


ちっちゃな展望台があったので、半蔵御門を撮りました。
濠は「半蔵濠」
130605kokyo20.jpg


英国大使館、すごく広いのにびっくりしました。
130605kokyo21.jpg


首都高、都心環状線を横切る。
130605kokyo22a.jpg


千鳥ヶ淵緑道は、木陰の道でとても気持ちのいい道だった。
130605kokyo23.jpg


千鳥ヶ淵戦没者霊苑
130605kokyo24.jpg


千鳥ヶ淵戦没者霊苑の塀が続く。
130605kokyo25.jpg


千鳥ヶ淵ボート場のところにきました。
130605kokyo26.jpg


テラスには入れなかったが、その前から濠を撮りました。
130605kokyo27.jpg


いまは、紫陽花と山吹が咲いていました。
130605kokyo28.jpg


130605kokyo29.jpg


ボート乗り場を見渡せるところまできました。
130605kokyo30.jpg


園児たちのお散歩、ドライブ?(笑)
130605kokyo31.jpg


この辺の濠
130605kokyo32.jpg


美女の像に思わず惹きつけられました。
熊谷喜美子氏作「桃花流水」
130605kokyo33.jpg


130605kokyo34.jpg


傍らに、「”桃花流水”によせて 熊谷喜美子」という説明がありました。
紀元4~5世紀,官職を捨てみずから農耕にたずさわった中国の詩人哲学者,陶淵明の著書「桃花源記」より引用
大河の支流に道を見失った一人の漁夫が,今を盛りと咲き香る美しい桃の林に迷い込み,好奇心にかられて,なおも奥地の水源へと船を進ませると,そこには,光り輝くユートピアがあった。
広々とした土地,良田,美池,桑竹畑,楽しそうに働く男女の歌声,それはそれより500年前,秦の始皇の虚政を逃れた子孫が,美しい谷間に,住みつき,世間との交渉を絶ち,完全な調和と,平和の社会をなして安隠に暮らしていた姿だった。
やがて,男は故郷へ帰るが,のちに二度とこの地を探しあてることはできなかった。
平和な地で,万物を深くやさしく愛し続ける女達の一人が,収穫の甘き桃を持ちて,水辺に立つ姿を,男は生涯胸にいだきつづけた。

残念ながら、涼しかった千鳥ヶ淵緑道は終了。
130605kokyo35.jpg


靖国神社の大鳥居が見えた。
130605kokyo36.jpg


大山巌元帥の像
130605kokyo37.jpg


130605kokyo38.jpg


子爵品川弥次郎像
130605kokyo39.jpg


常燈明台
明治四年(1871)靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊のために立てられたといわれている。正式には高燈籠というが通称九段の常燈明台といわれている。
始めは靖国神社前揩行社の構内に築造された。台石は当時各藩からそれぞれ拠出されたと伝えられている。
この常燈明台の灯りは品川沖に出入る船ばかりではなく、遠く房総からも望見されたという。
昭和五年(1930)道路改修にともない元の位置から道路を経たてた反対側の現在の所へ移した。平成元年に老朽化のため復元作業がなされた。
九段坂を中心とした明治・大正時代の錦絵、写真、絵画には必ずこの常燈明台が見られ、明治調を残している建造物として珍重されている。
130605kokyo40.jpg


蕃所調書跡
ペリー来航後、蘭学に止まらない洋学研究の必要を痛感した江戸幕府は、従来の天文台蛮書和解御用掛を拡充し、1855年(安政2年)、「洋学所」を開設した。しかしこれが開設直後の安政の大地震で全壊焼失したため、1856年3月17日(安政3年2月11日)、「蕃書調所」と改称し、古賀謹一郎を頭取、箕作阮甫・杉田成卿らを教授として、同年末(安政4年1月)に開講した。
幕臣の子弟を対象に(1858年(安政5年)以降は藩士の入学も認めた)、蘭学を中心に英学を加えた洋学教育を行うとともに、翻訳事業や欧米諸国との外交折衝も担当した。1862年(文久2年)には学問所奉行および林大学頭の管轄下に入り昌平黌と同格の幕府官立学校となった。同年6月15日(5月18日)、「蕃書」の名称が実態に合わなくなったことを理由に「洋書調所」と改称、翌1863年10月11日(文久3年8月29日)、「開成所」と改称された。
130605kokyo41.jpg


昭和館
国立の博物館(厚生労働省社会・援護局所管)。いわゆる戦中、戦後の国民生活を中心とした資料を展示しています。1999年(平成11年)3月27日開館。
130605kokyo42.jpg


ここで、この近くにあった「さくら水産」で、昼食・休憩となりました。
今日は25名の参加者でしたが、幹事さんは場所確保が大変です。いいところを見つけたと感心しました。
今日は暑かったので、とてもありがたかった。

午後の部開始は「田安門」から。
130605kokyo43.jpg


大田道灌時代、江戸城の合戦場はこのあたりであったといわれています。田安門は、寛永13年(1636)に建てられたと考えられ、昭和38年には解体修理が行われました。北面する高麗門とその西側に直交する渡櫓門からなる枡形門です。高麗門の扉の釣金具に製作に携わったと考えられる職人の名文があります。
田安門の辺りは,古くは「田安口」または「飯田口」ともいい,上州方面への道が通じていたといわれています。
門名の由来は、門内には田安台といって,はじめ百姓地で田安大明神があったので門名に称としたといわれています。江戸城造営後は北丸と称し,代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。有名な千姫や春日局、家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にありました。
享保15年(1730)八代将軍吉宗の第二子宗武は,ここに一家を創立して田安家を興しました。宗武は、賀茂真淵に師事し、国学の造形には深いものがありした。宗武の子松平定信(白河楽翁)はここで生まれました。
現在田安門がある北の丸公園には,田安門から南北をつらぬくように西側一帯を田安家,東側一帯を清水家が所有していました。
現在は田安門から北の丸公園へ常時出入りできます。
現在の門は寛永13年(1636)のもので、現存する旧江戸城建築遺構のうちで最古のものです。

高麗門の前から牛ケ淵を望む。
130605kokyo44.jpg


高麗門
130605kokyo45.jpg


高麗門の内側
130605kokyo46.jpg


渡り櫓門
130605kokyo47.jpg


130605kokyo48.jpg


渡り櫓門の横に「弥生慰霊堂」という碑がありました。
130605kokyo49.jpg


知らなかったので調べてみました。
弥生慰霊堂(やよい いれいどう)は東京都千代田区の北の丸公園にある慰霊施設。かつては弥生神社・弥生廟と言った。警視庁及び東京消防庁の殉職者を祀る。

社殿は神社建築に近いもので拝殿と本殿からなり、本殿は神明造の屋根であるが千木・堅魚木がない。現在でも鞭懸(神明造の破風にある8本の棒)が残っている。拝殿は吹き抜けで土間となっている。参道入口には狛犬のようなものがあり、また本殿正面の脇には燈籠があるなど、全体的に神社だった頃の面影を漂わせている。境内には「御野立所記念碑」がある。

武道館にくると、何かのコンサートの準備でしょう。大型トラックがたくさん停まっていた。
130605kokyo50.jpg


130605kokyo51.jpg


科学技術館の前の車道が、一本の木を挟んで通るようになっていた。こういうの良いですね。
130605kokyo52.jpg


科学技術館
130605kokyo53.jpg


首都高の上を通ります。
首都高は右側でトンネルから出てきて
130605kokyo54.jpg


左側、竹橋ジャンクションとなります。
130605kokyo55.jpg


北の丸公園の出口までやってきました。
130605kokyo56.jpg


今回は、ここまで。

(続く)


「続き」に飛ぶ


「歴史クラブ行事記事一覧」に飛ぶ


スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おお、ご苦労さまです。私は4月に、いらしたのとは逆の経路、すなわち、「田安門→北詰橋門→半蔵門→桜田門→日比谷公園」と歩きましたが、八重桜が綺麗でした。染井吉野桜も結構ありましたので、もう少し、時期が早ければと残念に思いました。

さて、情報ですが、田安門の前に歩道橋があったと思いますが、あの歩道橋の上から、富士山が見えます。と言っても、頭の方だけですので、余程、富士山に興味がある人しか知りませんが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
そういえば、私は皇居周辺で桜を撮ったことがないですね。
梅はあります。
千鳥ヶ淵にしても、人出がすごいだろうな、と敬遠しちゃいますし。

富士山の情報ありがとうございます(嬉)
私には、ありがたいです。
次の冬には、撮りに行きます。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop