小説 上杉鷹山/童門冬二

20130611

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あらすじ:
数日前、治憲は米沢藩の藩主の座を相続した。まだ十七才の青年藩主である。
だが、米沢藩は困窮に喘いでいた。借金を頼みに行った色部照長は不首尾に終わったことを告げた。そして、一つだけ策があるという。それは藩を幕府に返上することである。それ程までに追詰められていた。
米沢はもともと、藩祖・上杉景勝の家臣・直江兼続の領地であった。景勝は家来の国に転がり込んだのだ。そのとき、所領が減ったにもかかわらず、家臣の人員整理を行わなかった。
そして、ここでも悪役吉良上野介が登場するのである(笑)
自分の子供を養子としてこの藩に送り込んだ吉良上野介は、息子が藩の人間にバカにされないように給与の大盤振る舞いをさせるのである。
しかも他の藩にもバカにされるな、と外交費をじゃんじゃん使わせる。外で使わせたら中でも使うようになるのは当たり前。
その結果、米沢藩は収入の約九割が人件費として支出される異常な状態になってしまっていた。
だが、治憲は藩を返上しないことを決意した。そのつもりがあるのなら、一度改革を断行してみてからでも遅くないと思った。
そこで、小姓の佐藤文四郎に命じて人物を探させた。そして佐藤文四郎が持ってきたのは、竹俣当綱、莅戸善政、木村高広、藁科松柏らである。これは治憲が注目していたのと一致していた。
物語は、これらの人の改革の話もさることながら、佐藤文四郎が中心で進んでいく。
十九の時に治憲が始めて米沢に入国する。その途中で治憲は炭の中の種火をみて、近習達を呼び、この種火のようにお前達は改革の火種となってくれと頼む。そしてその場で、種火から炭に火が移され皆に手渡された。
この種火が改革のシンボルとなる。
米沢に入国した治憲は竹俣当綱を執政に、莅戸善政を奉行に任命し本国での改革を始める。
治憲は米沢藩の殖産を竹俣らに命じる。
重臣達が妨害をし、両者の対立は決定的となったて、重臣達は治憲追い出しを企む。だが、先代藩主・重定のおかげで命拾いをし、この事件に関わった重臣達には厳罰が言い渡された。
藩政に落ち着きが戻り、改革が進む。そのなかで人物養成のために治憲は学校を作ることを決断する。学校は興譲館と名付けられた。

そして、治憲はいつまでも自分を頼っていては人が育たないと思い、思い切って若くして隠居するのだが・・・・
すぐに改革は後戻りしてしまう。人間て弱いものなんですよね。
そして再登板。

小説の最後のほうで、棒杭についたザルにおにぎりとか旅に必要なものが入っていて、お金をいれてそれを取る“棒杭の商い”というのが出てきます。鷹山の考えが下々まで行き渡り、たとえ棒杭に対しても嘘はつかないようになったのだと、鷹山の部下が鷹山に語る件があります。

この商い、今も無人の野菜売り場の形で畑の近くで、ほうぼうで見られます。
ある程度みんな豊かになってるから、成り立っているんでしよう。
売れた野菜の数と缶に入ってるお金が合わないのは、どこの無人売り場でも共通の問題だと聞いたことがあります。
これは、貧しくてやるんじゃなくて、現代人の心が荒んでいるからだと思う。

童門冬二は、人民への「愛」の心を基礎にした改革ゆえに、鷹山による藩政改革は、幕府による寛政の改革(松平定信)、天保の改革(水野忠邦)とは異なり、成功したとしている。

現代の視点からも、彼がその跡継ぎ(養子)治広に伝えた「伝国の辞」は、おそらく孟子の影響を受けているのだろうが、単なる美辞麗句ではなく、実績と関連して考えるとき、その開明性、啓蒙性は時代を大きく先んじている。

一.国家は、先祖から子孫に伝えられるもので、決して私すべきものではないこと
一.人民は国家に属するもので決して私してはならないこと
一. 国家人民のために立ちたる君であって、君のために人民があるのではないこと

これを突き付けてやりたい人が、たくさん居ますねえ・・・・・・・・・・(ハァ)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

上杉鷹山は名前しか知らなかったので、WikiPeidiaで調べてみると、その施策は基本的には倹約みたいですね。勿論、そこに学校や殖産も加わっていますが。

それにしても、伝国の辞は、今の日本の政治家は勿論、中国の政治家達に実行させたいものですね。

そう言えば、裏高尾の街道沿いに無人店舗結構、あったのですが、最近は全く見かけなくなりました。やはり、お金を払わない人が多かったのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私も、これまで名前しか知らなかったので、
読んでみた次第です。
いろいろと驚きはありましたね。

いま、どこのスーパーでも地元の野菜とかを
コーナーを設けているので、道ばたの農家直売を
買う人が少なくなったこともあるでしょうね。

それと、すごくイタズラは増えていると思います。
イヤですね。

著者は

取り上げた人物を美化する傾向がありますが、それにしても、こういう君主が実在したというのはすごいことですね。元同僚の息子が米沢興譲館高校に入学したとき、入学式の式辞は上杉鷹山の話だったそうです。米沢では今も、鷹山公は、と敬称を付けて呼ばないと怒られる雰囲気だそうです。
亡父が買った単行本では上下二冊でしたが、集英社文庫では合本されて一冊になっていました。

narkejpさん

コメントありがとうございます。
私は、前田藩の藩主を5代まで追いかけ、
保科正之公を追いかけ、上杉鷹山公も知りました。
やはり、あのころはトップの人の資質で
決まってしまうところがありますね。
小さい藩から養子に入ったので、開きなおれたことが
大きかったと思います。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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