地域の歴史と文化を子供たちに語る/学校支援ボランティア

20130612

昨日、担当する柏原小学校の6年生に、「柏原の歴史・文化にふれよう-お話を聞く会」を実施しました。
三年前から始まった企画で、社会の時間2時限を使って行います。
去年からコーディネーターの私が窓口になり、私もメンバーでもある「狭山歴史ガイドの会」の協力で行っています。

二部構成で、一部では生徒101人全員を対象に15分「柏原の歴史についての概要」を話しました。
ガイドの会の会長さんとか、班長さんにお願いしようとしたら、「柏原に住んでるアンタがやらなくてどうする」と押し切られて、今年は私が話すハメになりました。

話したのは、以下の話を子供向けにわかりやすく話しました。

1.歴史から生き方を学ぶ。
「東日本大震災」での原発事故の放射能で、多くの人が被害。
関係者は「想定外」と云ったが、普段歴史に関心があった人は首をかしげた。
というのは、平安時代に発生した「貞観地震」というのが今回の場所に近く、やはり巨大な津波が発生していたから。しかし、原子力関係者は「具体的なデータが無いからよくわからない」として、その地震が無かったかのように無視してしまった。
一方で、こういう事もあった。
その昔の津波のときに、ここまで津波が来たと石碑を置いて、そこより下には家を建てなかった。
海岸から遠くなるけど高いところに住んで海辺に通って仕事したり漁に出たりしていた。
今回の津波のときには、大きな地震のあとには津波が来るぞと、子供たちも聞かされていたので、おじいちゃん、おばあちゃん逃げようと云って、子供たちがお年寄りを助けて避難して、死んだ人は一人も居なかったという地域があった。
とても、素晴らしいことです。
「伝承」といいますが、昔からの言い伝えを大事にして、暮らし方や生き方の参考にしていきましょう。
2.柏原の縄文時代
柏原には24もの遺跡が見つかっている。
柏原が住み易かった。
入間川という大きな川が近いので、そこで魚や貝が取れて、高台なので入間川が氾濫しても安全だった。
智光山公園のところで大量の湧水が出ていて、それが柏原のほうに流れてきていた。
生活するのに必要なきれいな水があった。
遺跡のへんの畑のわきを歩いていると、今でも縄文土器のかけらが拾える。
私も、こんなふうに拾ったものを、持っています。
小さなカケラだが、5000年前の人が作って使っていたものだと思うと、とても不思議な気がする。
「勝坂式土器」とか「加曾利式土器」とか貴重なものが発見されている。
3.中世の「城山砦」に関する話
最初に出てくる名前は「柏原太郎」。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の家来で「畠山重忠」という有名な人がいる。
源頼朝が東北を攻めたときに、畠山重忠の名前と一緒に「柏原太郎」の名前が書かれている。
この人が最初に城山砦を作ったと思われている。
それから、天文14年(1545年)、467年前、それまで関東を納めていた上杉氏と、小田原から勢力を広げてきた北条氏の勢力争いの戦があった。
川越城をめぐる戦いのときに、大将の上杉憲政(のりまさ)が城山砦に陣を敷いた。
なので、ここを「上杉砦」とも言う。
残念ながら「川越夜戦」で上杉がたは敗れ、越後に落ちていった。
越後では上杉謙信が出て武田信玄と川中島の戦いなどをする。
上杉謙信の先祖が城山砦に陣を構えたことがあったというわけです。
4.この頃の柏原の産業
鉄を鍛えて主に武器を作っていた。槍や刀を作っていた。
大和郡山から、甲冑師の明珍家系の人が招聘されて槍鍛冶を始めたのがはじまり。
入間川で良質な砂鉄が採れた。
鋳物師といって鉄の鋳物でいろいろな製品を作る人もいた。
5.江戸時代の生活
柏原のお百姓さんは、貧しかったんでしょうか?
いろいろな文書で、柏原ではちゃんと朝も夕もお米を食べていたことがわかっている。
これは当時としては豊かだった証拠。
柏原には、よみ・書き・そろばんを教える寺子屋という学校が3つあった。
柏原は豊かだったようですから、子供の80%くらいは寺子屋で勉強していた。
同じころイギリスのロンドンだと、10%だと云います。
日本はすごかった。
江戸時代は、とてもリサイクルが上手な社会でした。
植物の利用が徹底していました。
藁で何を作っていたか? あげてみましょうか。
蓑(雨具)、ぞうり、米俵、肥料、屋根の材料、土に混ぜて壁の材料、畳、ムシロ、縄、飼葉(牛や馬)
竹で何を作っていたでしょう?
ざる、ホウキ、熊手、かご、傘、竹の皮でくるむ、遊び道具、楽器
和紙(木の繊維)、服の材料(絹、木綿、麻など)
こういうものは、駄目になったら、土の上に捨てておけば、自然に土になります。燃やせば灰は、肥料に役立ったりします。
柏原でも、狭山市全体でも雑木林は、いま人気がある。
あの雑木林は、自然に昔からあったものではありません。
江戸時代に、ここに住む人が作り上げたもの。
薪をとって燃料にしました。落ち葉も燃やして燃料にしたり、落ち葉を集めて堆肥(肥やし)にしました。燃やした灰を畑に撒くと、アルカリ性のものだから土が中和されて、作物が良く取れるようになる。
栗の樹が生えていれば、栗ごはんになるし。きのこも生えてくるし。
だから、全部を畑にしないで雑木林を作った。

現在の私たちが参考にすることが江戸時代にはたくさんあります。
いま環境問題という言葉がニュースなどでよく言われます。
実は、環境を大切にしようという法律が、世界で一番最初に出されたのが日本です。
これも江戸時代なんですね。寛文(かんぶん)6年(1666年)に出された「諸国山川掟」というものです。

時間の関係で、このくらいにしますが、歴史を勉強すると、自分たちの生き方にとても参考になるので、ぜひ興味を持ってください。


二部は、体育館の中で7つの場所に分かれて、並行進行でお話をしました。
今年は「予習タイプ」ということで、生徒は学校に置いてある本で勉強し、現地に行って観察し、インターネットで調べて、結果わからないこと、疑問なことを、質問集として出してきました。
こちらはあらかじめもらってあるので、それを組み込んでお話をしました。本でもインターネットでも書かれているのが大人向けなので、子供たちはやはりあまりわかっていません。

お話は、休憩を挟んで同じことを二回繰り返すので、子供たちは聞きたいテーマを二つ聞くことができます。
話は以下の7つのテーマでした。
私も一つ受け持ちました。
ア)上宿の庚申塔と下宿の馬頭観音について
イ)西浄寺のねずみの図と大六天の碑・大山灯篭
ウ)城山砦跡
エ)常楽寺の七観音と大水正金の槍および五百年碑
オ)永代寺の本尊、不動明王および霊場巡拝供養塔など
カ)影隠し地蔵と円光寺のお地蔵さん
キ)白髭神社の子返しの図、御正体、韋駄天の図、柏原祇園囃子

子供は行きたいところに行けるので、人気・不人気がありましたね。
30人くらいあつまったところと、10人くらいのところ。
お寺にあった河鍋暁斎の「ねずみの図」とか、神社の絵馬で「子返しの図」、「韋駄天の図」とか絵は人気がありました。石仏は、お地蔵さんはかろうじてまあまあ。それ以外の石仏は振るいませんでしたね。

話をしながら見ていると、グループの中で熱心に聞いている子もいれば、そうでない子もいます。
それでも、その子たちが何かを得てくれれば嬉しい。

今思っていることは、狭山市内でもこういう事をやっている学校がまだまだ少ないので、
他の学校にも展開していくよう努力したい。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

大地震が毎日あればともかく、何十年間に一度しかなければ、私の場合は、普段の生活が優先になってしまいますね。東日本大震災の時は私の部屋は、部屋中に積んである本、雑誌、CD等が崩れてしまい、部屋中、足の踏み場もない状態になってしまいましたが、今はその当時より、ひどい状態で積み重ねています。

私の家では、大昔、祖父と父親が餅菓子屋をやっていました。その頃は結構、竹製品、すなわち、竹でできた駕籠や、蒸籠の底に敷くもの等を使っていたことを思い出しました。また、子供の頃、竹を小刀で加工して、竹のナイフを作ったことを思い出しました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は、信州の山村で育ったので、
ほんとに藁で作ったもの、竹で作ったものが
多かったですね。
今では、記憶の中で懐かしがっているものばかりですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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