素盞雄神社(夏越の祓)

20130701

昨日6月30日(日)に、素盞雄神社、王子神社、王子稲荷、装束稲荷に行ってきました。
「夏越の祓」の茅の輪くぐりをまだしたことが無かったので、どこでしようかと思い調べたら、素盞雄神社が良さそうだし、掲載している「古事記を知る」も須佐之男命が終り、大国主命の話に移ったので、今のうちに行っとかないと、というわけです。
公式サイトから入手した境内図。
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南千住の駅から歩いて6、7分で着きました。
境内図によると、鳥居が三か所あるので、まずは全部の鳥居をくぐります。
正面
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社額は「素盞雄大神」となっています。
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正面の右側の入り口鳥居
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社額は「素盞雄大神と飛鳥大神」になっています。
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正面の左側からの入り口鳥居
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ここで、この社の由緒を見ると、当社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾はスサノオ大神・アスカ大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て鄭重にお祀りし、当社が御創建されました。

スサノオ大神は問題ないですが、アスカ大神はどういう神様かというと、大国主神の御子神で、別名を事代主神(ことしろぬしのかみ)・一言主神(ひとことぬしのかみ)といいます。
葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。
更にタケミナカタもタケミカヅチに服従すると、大国主は国譲りを承諾し、事代主が先頭に立てば私の180人の子供たちもは事代主に従って天津神に背かないだろうと言った。
名前の「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神である。言とも事とも書くのは、古代において「言(言葉)」と「事(出来事)」とを区別していなかったためである。

さて、正面から入ります。
文化5(1808)年建立の狛犬、なかなか風格があります。
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手水舎
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拝殿の前には、獅子山があります。年代は探したがわからず。
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拝殿
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拝殿内部
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後ろに本殿が、ちょっと軸線がずれた感じであります。
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さて、神紋です。
二つあり、一方は「左三つ巴」ですが、もう片方がわかりません。
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神職の方に聞いたら、「祇園です」と。
頭に浮かんだのは、京都の八坂神社です。あそこも祭神は須佐之男命だからなあ。
それにしても図案が、よくわからない。何を表わしているのか?
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家に帰ってから、ネットで調べました。
「素盞雄神社 神紋」で検索しても、全然引っかかってこない。
頭にきて、エイヤッと「紋 祇園」で検索しました。
ピンポーーン(嬉)
「祇園守紋」というのがあるんですね。説明がついていました。
祇園守とは、京都東山にある八坂神社のお守りをさす。祇園守紋の由来には、三つの説がある。すなわち祇園社の森の図案化、キリスト教の十字架の図案化、牛の頭部の図案化だが、いずれも決めてを欠いている。しかし、キリシタン大名やその家臣がクルス紋を祇園守紋に変えてカモフラージュしたことは確からしい。単に守紋ともいう祇園守紋は、クロスした筒が特徴。後世筒は巻き物に変わったが、呪府のシンボルであることは変わらない。
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神職さんは「祇園守り」と云ったのを、私が聞き漏らしたのかもしれません。
真ん中のクロスしているものは、「巻物」でした。そう思って見直すと、たしかに巻物だ(笑)

さて、「茅の輪」です。
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神社の大事な行事、大祓(おおはらえ)は、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事です。知らず知らず犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という[1]。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいます。

夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。これは、氏子が茅草で作られた輪の中を左足からくぐって左まわり、右足からくぐって右まわり、また左まわりと八の字に三回通って穢れを祓います。

なぜ茅の輪かというと、「蘇民将来」の伝説からきています。
旅の途中で宿を乞うた、みすぼらしい恰好をしたスサノオを裕福な弟の巨旦将来〈こたんしょうらい〉は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪したスサノオは、兄に礼を言い、もし疫病が流行ったら茅の輪を腰につけなさい、と伝えて帰った。そして疫病が襲ったとき兄一族は難を逃れたが、弟将来の一族はを滅んでしまった。以後、村の人たちは駅びょえが流行ると「蘇民将来子孫也」と唱えて腰に茅の輪を付け、疫病から避けることができるようになった。

参拝に来た人は、皆さんやっています。
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もちろん私もしましたよ。

人形の紙を使った祓もあります。「形代」といいます。
神社で用意してありますが、それに住所、名前を書いて、三回息を吹きかけ、体を撫でて、わが身の代わりとしたものを神社に納めると、流し清めてくれます。
境内にあった、説明板によると、このお宮では隅田川に舟を浮かべて流すようです。
その写真が説明板に載せてありました。
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この神社では「茅の輪守り」というのを授与していたので、いただいてきました。
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境内に芭蕉の碑がありました。
「奥の細道」に出立するとき、住んでいた深川から船で隅田川を遡り、千住大橋のところで陸に上がり、歩き出しました。
千住大橋を模した、小さな橋の奥に碑があります。
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「千寿といふ所にて船をあかれは、前途三千里のおもひ胸にふさかりて幻のちまたに離別の泪をそゝく
行春や鳥啼魚の目はなみた
   はせを翁    」
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その近くには、「献句」がたくさんぶら下がっていました。
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その前には、桔梗が綺麗に咲いていました。
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「子育て銀杏」
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幹には、たくさんの絵馬が下がっています。「初宮」詣でのときに奉献するみたいですね。
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神楽殿
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金龍の立派な奉納額がありました。
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庚申塔が三基並んでいました。
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左から、延宝6(1678)年、寛文13(1673)年、文化8(1811)年といずれも江戸時代のものです。

中央のは、聖観音を主尊として、光背に「庚申講供養」と「念仏講供養」の文字があり、庚申信仰と阿弥陀信仰が習合したものとなっています。
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左側のは、上に日月、下に「見まい、言うまい、聞くまい」の三猿があり、庚申塔の特色が出ていますが、主尊がよくある靑面金剛でなく、半跏趺坐の仏様になっているところが特徴となっています。
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境内図では「飛鳥の杜」と書かれていますが、富士塚と瑞光石です。
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富士塚登り口と、瑞光石のところに鳥居が立っています。
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瑞光石の前には、なんとも古風な狛犬が。年代不明。
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これが、ご祭神二柱が出現したという「瑞光石」です。
鳥居がたくさん供えられています。
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荒川区教育委員会の説明板には、下記説明がありました。
この塚を「古塚」と呼んだことから、「小塚原」の地名の由来となったという説がある。
万延元年(1860)に編纂された「江戸近郊道しるべ」には、千住大橋架橋の際、この石の根が荒川(現隅田川)まで延びていたため、橋脚がうちこめなかったという伝承を紹介している。

瑞光石の横に、富士塚の登山道がありますが、上れないようになっていました。
たぶん山開きがされていないからと思われます。
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富士塚は、こんもりとした森になっています。
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まわりには、たくさんの「蘇民将来子孫也」と書いた幟がたくさんあった。
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富士塚のまわりに、すごくたくさんの碑があります。
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境内には、桃がたくさん植えられていました。
この神社のパンフレットにも、中国では古来より邪気を払う霊木とされている。古事記では伊弉諾尊が災難から逃れるのに桃の実で助けられた。など紹介して4月8日の「疫神祭」での「桃の御守」があるそうです。
桃の節句も、通常より長く桃が咲き揃うまでの4月8日までとしているとか。

拝殿前の「源平桃」
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実がついていました。
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桃の絵馬があります。
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素盞雄神社の次には、王子まで電車で移動し、まずは東京十社の一つ「王子神社」にお参りしました。
次回の記事とします。

(続く)


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

素盞雄神社に行かれたのですね。さすがに私より、詳しく写真を撮られていらっしゃいますね。

おそらく、ここでも、夏越の祓の式?が開かれていると思いますが、それには出会わなかったのですね。

ここの富士塚、もしかして、6/30あるいは7/1に登れるのではと思っていたのですが、ポスター等で山開きの告知がされていないようですので、多分、ダメなのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
夏越の祓の式については、たぶんそれを撮ってると
ほかが全然撮れなくなると思い自重しました。
このお宮の全体を、きちんと撮りたかったので。
いろいろな行事を撮れるのは、もうちょっと先かな、
とも思います。

富士塚は、登ることもさることながら、
廻りに建っている石碑がものすごい数で、
これも、こんどきちんと撮りたいな、と思いました。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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