川崎大師境内の石碑

20130722

昨日の風鈴市の記事の時に書いたように、「踊り練りこみ」を待つあいだ、境内の石碑を撮ってまわりました。

まずは山門前にありました。
「石観音道標(兜巾型)」  貞享元年(1684)のものです。
正面には: 従是  石 観 音 道  七町
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右側面には: 従是  石 観 音 道  七甼
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山門を入って右手、聖徳太子堂の右に「纏魂碑」があります。
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この碑は昭和48年、川崎古式消防纏保存会二十周年を記念して建てられたもので、昭和48年(1973)というのはは弘法大師生誕一千二百年の往年であったそうです。碑面には、川崎古式消防纏保存会の一番から七番までの人びと、川崎若鳶会、川崎木遣会、川崎鳶工業連合会などの組織名が刻まれています。
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祈りと平和の像の後ろに「まり塚碑」があります。昭和26年建立。
まりや曲芸の道具などに感謝を込めての供養だそうです。
毎年5月21日の「まり塚祭り」には、境内で有名芸能人の演芸が奉納されて賑わうそうです。
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旧本堂礎石
天保5年(1834)建立の旧本堂は、昭和20年の戦災により諸堂とともに焼失したそうです。
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宝篋印塔 
宝暦6年(1756)、田安家より寄進されたもの。
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いろは歌頌徳碑
大正五年(1916)
弘法大師が国字を発明されたのを記念して建立したもの。
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弘法大師一千御忌塔
文政三年(1820)建立
正面には: 弘 法 大 師 一 千 御 忌 供 養 塔   米山
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立派な玉垣に囲まれています。
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右側面には:(梵字) シャ ロ ナウ カ ダラ ニ ドマ ラ バ ヤ オン ア ウン
   ボ ベイ シャ マ ボ マ ハン ヂンバ ハラ リタ
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左側面には:(梵字) ア  ビラ  ウン  ケン
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弘法大師道標  寛文三年(1663)のもの
川崎宿の渡し場(現在の六郷橋のたもと)近くに、川崎大師に至る道の入り口に建てられていたもの。
正面には:大師河原  従是弘法大師江之道  厄除消除
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右側面には: こうぼう大し江のみち
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六世綱太夫碑  明治十六年(1883)のもの
    六世 竹本綱太夫
 辞世 ものいわ傳立出る那里秋の昆昏

とあります。
江戸で生まれ、六世綱大夫を襲名し、東京と大阪を何度か往来した。
江戸っ子肌の人で、艶のある美声家だった。美声で「忠臣蔵」七段目の一力亭主の語りを工夫して、今に残る型をつくった。また師の三世竹本長門太夫作「佐倉宗吉」を得意とし、その曲を質屋に入れたときは、返済するまで語らなかったというエピソードの持ち主でもあった。
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施茶翁の碑 天保6年(1835)のもの
羽佐間宗玄、雅号「瓢仙」を称し、奇人にして常に「ふくべ」を愛した。
「地獄いや 極楽とても望みなく 又六道の辻で」
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高浜虚子の句碑 昭和34年建立
その前年、高浜虚子を招いて句会で詠んだ句
「金色の 涼しき法の 光かな」
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芭蕉の句碑
真言の霊場高野山(和歌山県)で詠んだものという。『礦野集』や『笈の小文』に、「高野」と題して載っているという。元禄元年(1688)に、芭蕉は坪井杜国を伴って、高野山などに行脚の旅に赴いた。
「父母の 志きりに恋し 雉の声」

この日、屋台がたくさん出ていたが、この芭蕉の句碑の前が屋台に占領されてしまっており、斜めからやっと撮った。
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消防記念碑  明治28年建立のもの
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びっしりと書かれている。
「千金の寶も、たちまち一塊の灰となり、積年の富も、ミるミる一刻の煙と消えるは、火の災よりはなはたしきハあらさりけり。玉のうてなをはしめ、ふるき工のこゝろをつくせる宮寺も、石すゑのミなんのこりける、そのときとき烟とゝもに消失たる人々のまよへる魂はさるものにて、のこれるうからの、にはかに、道にさまよへるなど、いふもおろかなり。
(中略)
享保三年に町奉行所より、町ことに消火人夫をまうけ、名主町役人をしてこれをすへしめたり、これそ江戸の町に、火消し人足をおかれしはしめなりけり。同四年其組を六十四にわかち、仮名の四十七字に,数字を加へて目しるしとし、これをすへていろは組ととなへたり。
(中略)

明治元年におよひて、江戸を東京とあらため、町奉行をやめて、北南の市政裁判所にて、これをすへた。同二年八月東京府□のあつかりしるところとなり,又六年十二月に、警保寮に□せられたり。七年にいたりて、警視□の所轄とさためらる。其時に府下をわかちて六大□とし、□ことに警視出張所をおかれたり。消防人夫も又六組にわかち、これまてのいろは組をあらためて、何大□消防何番組と、となふることとハなりぬ。
(以下省略)」
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茶筅塚  平成3年建立
毎年10月第1日曜日に「茶筅供養」が行われるそうです。
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(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

まり塚、茶筅塚ですか。日本人はこう言う供養塚は好きですね。消防記念碑も神社等で時々見ますね。

ちなみに、先日行った不忍池には、いと塚、スッポン碑、扇塚、ふぐ供養碑、めがねの碑、魚塚、包丁塚、鳥塚、暦塚 等があります。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
ほんとに、供養塚は方々で見ますね。

不忍池にそんなにありますか(笑)
今度撮りにいこうかな。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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