高瀬神社(越中国一之宮)/富山県旧井波町

20130807

3日から6日まで富山県福光町に帰省しましたが、今回はまったく観光は計画せず、そろそろ藏の中身を整理しなくちゃ、と娘二人も含め家族で取り組みました。

それでも、4日には作業に疲れて夕方「どこかに行こうか」と家族で行ったのが、車で15分くらいの、ここでした。

一時郷里に住んでいたころは、毎年初詣とか、娘のお宮参りなどで馴染みの深いお宮さんでした。
律令制下に神階では越中国で最高位を占め、一宮であったとされます。
なお越中国一宮を名乗る神社としては、このほかに射水神社、気多神社、雄山神社があって、一之宮の話の際に、「越中は、なんと・・・・」と笑われてしまっています(苦笑)

境内前の二の鳥居と社号標。
社号標に相対して立っている巨大な石灯篭にビックリしましたが、これは、昭和62年に地元の建設会社「藤井組」の社長さんが奉納したものでした。
130807takase01.jpg


ちなみに、高瀬神社の一の鳥居は、境内から500mほど離れた場所に立っていて、今回は省略。

社号標は、立派だなと以前から思っていましたが、今回確認したらなんと近衛文麿氏の書でした。
130807takase02.jpg


130807takase03.jpg


注連縄付きの、石造の二の鳥居も立派なものです。
130807takase04.jpg


鳥居をくぐって、手水舎の手前の灯篭。
130807takase05.jpg


そこの獅子が可愛いと、家族にバカ受けでした。
130807takase06.jpg


手水舎の水が流れる岩は、「水神石」と言われる霊石だそうです。
130807takase07.jpg


水中に木が保存されていますが、これは高瀬遺跡(1200年前の役所跡)から発掘された建物の柱。
130807takase08.jpg


昭和47年建立と新しいですが、なかなか威厳のある狛犬。
130807takase09.jpg


130807takase10.jpg


かなり苔むしてきていました。
130807takase11.jpg


注連縄つきの三の鳥居。神橋を渡って奥に拝殿。
130807takase12.jpg


神橋の赤い色が実に印象的です。.
130807takase13.jpg


ちょうど巫女さんが鯉に餌をあげに来ました。
130807takase14.jpg


神橋と巫女さんの緋袴の赤が映えます。
130807takase15.jpg


拝殿
130807takase16.jpg


祭神は、大国主命(大己貴命)、天活玉命、五十猛命です。

御鎮座は遠く神代の昔、また景行天皇11年の御代とも云われています。
社伝に大国主命が北国御開拓の折、この地に守り神を祀り、国成りおえて後、自らの御魂をも鎮め祀られ、出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてきました。
故に、能登の気多大社と同神であると考えられています。
また、一説には、祭神は高麗より渡って来た神であり、社前の川で足袋を濯いだので、「たび川」と呼ぶ、ともあります。

天武天皇の御代に勅使を派遣されたことが文献に見えるという、由緒旧きお宮さんです。
毎年6月に行われる祈年穀祭は、除蝗(イナゴ)祭とも呼ばれますが、これは天武天皇の時代に蝗が大量発生して甚大な被害が出たので、勅使が参向され祭りを行った故事によるものです。

中世期、戦乱のため衰退したが、前田家の保護を受け、現在に至ります。

神紋は「菊」でよろしいと思います。
130807takase17.jpg


資料によると、『神社名鑑』では、稲穂とあり、『神紋』では、雉。『官國幣社例祭と由来と神紋』では、「蒲穂に兎」の紋となっているようですが、菊以外の紋はまったく見当たりませんでした。

この地は、全国的に有名な「井波彫刻」の地ですから、拝殿の彫刻も素晴らしいものでした。
130807takase18.jpg


130807takase19.jpg


拝殿の正面にあった、以下の彫刻はもしかしたら「干支」にちなんでいるのではないかと思ったのですが、他のものがどこにあるのかわかりませんでした。
130807takase20.jpg


130807takase21.jpg


130807takase22.jpg


130807takase23.jpg


祭神の大国主命にちなんで「なでうさぎ」が。
130807takase24.jpg


拝殿の前の石もいい感じでした。
130807takase25.jpg


相撲場も健在。
130807takase26.jpg


立派な銀杏の木の根元に「子育て公孫樹」の碑が。
130807takase27.jpg


130807takase28.jpg


功霊殿
明治、昭和の時代に砺波地方から出征し、戦場の露と消えた尊い霊を合祀した御霊舎です。
のち郷土の発展に尽くした方々の霊も合祀してあるそうです。
130807takase29.jpg


功霊殿から拝殿に通じる渡り廊下。
130807takase30.jpg


茶筅塚
130807takase31.jpg


境内にあった灯篭。新しいものですがとても気に入りました。
130807takase32.jpg


獅子と牡丹
130807takase33.jpg


130807takase34.jpg


そして六面に干支を彫ってありました。
あんまり良い彫刻ではありませんが、珍しい。

子・丑
130807takase35.jpg


寅・卯
130807takase36.jpg


辰・巳
130807takase37.jpg


午・未
130807takase38.jpg


申・酉
130807takase39.jpg


戌・亥
130807takase40.jpg


「アイラブ一宮」のポスターに惹かれて、ここの社務所で「全国一之宮めぐり」の本を買いました(笑)
130807takase41.jpg


この高瀬神社のポスターも良かった。
130807takase42.jpg



いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html







スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

私は福光町って、小学4年生の時だったかに、母の実家(新町)に1週間程、そして、10年位前に1日と言うか半日と言うか、行ったことはありませんが、棟方志功の記念館のそばに結構、大きな神社があった記憶があります。七五三や新年に福光町の人達はそこに行かれるのかと思っていましたが、福光町って広いので、井波の方に行かれる方もいらしたのですね。

井波は一度も行ったことはありませんが、大きくて、結構、立派な神社ですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
我が家の場合、今日の記事のように、
ルーツは井口村、その手前が井波という感じなので、
あちらの方面が多いですね。

井波の隣の庄川町に、庄ノ城があり、越中國守護の桃井氏の居城
だったので、あの辺は栄えていたわけですね。
信長に滅ぼされるまで百姓王国が百年続いた時代も、
金沢御坊と共に井波御坊がありましたから。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop