井口城址/富山県旧井口村

20130808

3日から6日まで帰省してました。
以前は「富山県西砺波郡福光町梅原」でしたが、今は「南砺市梅原」となり、福光町が無くなってしまっています。
全国的に「井波彫刻」で有名な井波町も、真宗大谷派城端別院がある城端町も、我が家のルーツである井口城址のある井口村も、みーーんな「南砺市」となってしまって、私にはいまだに受け入れられません。。
というか、それぞれの町や村の歴史が失われていくような感じを覚えます。

今回記事にする井口城址の地名も、以前は「井口村池尻」だったのが、現在は「南砺市池尻」だって・・・・
これじゃあ、住所を頼りに訪ねてきても、たどり着けません(笑)

まして、この辺は「散居村落」ですから。
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今回、娘たちに我が家のルーツを教えるべく「井口城址」に連れていきました。

Wikipediaに載っている記事に、私がちょっと加筆しました。なので三人称になっていますが、ご勘弁を。
井口城(いのくちじょう)は、富山県南砺市池尻にある平城です。南砺市指定史跡となっています。
城と云っても、中世ですから館に毛の生えたくらいのものです。
この城の築城年代は明確には判明していません。鎌倉時代後期にこの一帯を支配していた豪族井口氏がこの城を築かれたものと思われます。
井口氏は、「越登賀三州志」によると藤原利仁の後裔である斎藤氏の流れを汲む豪族で、福光城主石黒氏、野尻城主野尻氏や宮崎氏などの越中国の有力国人の多くは井口氏と同族と言われていますが、詳細は不明です。
南北朝期初頭、建武2年(1335年)7月、井口氏は越中国守護名越時有の子名越時兼と共に中先代の乱に参加して、京都に攻め上ろうとしています。しかしこの時は名越軍が大聖寺城で敗れて挙兵は失敗に終わっています。
また足利尊氏の御教書を得た越中国守護普門年清に従って挙兵して同年12月、越中国国司中院貞清と戦いこれを石動山にて敗死させています。それにしてもけっこう活躍していますね。
正平年間(1346年 - 1370年)には、南朝方の有力者だった越中国守護桃井直常が越中国庄ノ城を拠点として周辺を支配するようになり、井口氏もこれに従い井口城は庄ノ城の支城となっています。井口氏は、野尻氏らと共に桃井直常の配下として各地を転戦しています。その様子が『太平記』に記載されています。
康安2年(1362年)には桃井直常が信濃国より越中国へ侵入して兵を集め、北朝方であった加賀国守護の富樫氏を 攻めるも撃退されて井口城へと退却しています。その後応安2年(1369年)に桃井直和(直常の子)が再び富樫氏を攻めていますが再度失敗に終わり、逆に能登国守護の吉見氏に追撃されて同年9月24日、井口城は越中国千代ヶ様城と共に落城しました。桃井勢はこれに伴い越中国松倉城へと逃れ、井口氏もそれに従って越中国大家庄(現富山県下新川郡朝日町大家庄)へと拠点を変えたと考えられます。

我が家は、井口城の家老だった家だそうです。落城後梅原に住んだのか、もともと梅原に住んでいたのか、その辺は判然としません。車で15分くらいの距離です。

城の規模は、昭和63年~平成3年にかけて実施した発掘の結果、東西135m、南北99mと判明しています。東西に長い方形の主郭を堀で囲い、堀を挟んだ東側には出丸があったことが判明しています。また川跡が城の西側にあることから堀は水堀であったと考えられます。
現在の遺構としては、主郭の土塁の形跡は確認できますが、郭内が墓地になっています。堀は水田へと形を変えており、その形跡は確認できません。

説明板の図
真ん中の赤いのが、城址の石碑のある場所
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立派な石碑だけが城址だと教えてくれるのみ。
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横に宗長親王の歌碑が立っています。
「雪つもる越の白山 冬深し 夢にも誰か思いおこさん」
南朝方として戦ったからでしょうか。
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かって濠だったあたりから、石碑を眺めました。
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すぐ近くに「いのくち椿館」という施設ができていたので寄りました。
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樹齢400年の椿の木があったりするので、もともと椿が多かったようです。
椿の研究と保存を目的として、「むらおこし」の一環として始めたようです。

井口村の航空写真が飾ってありました。
「井口城址」は右隅の真ん中あたりです。
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原種椿園温室の入り口
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まわりは芝生でとても気持ちがいい空間でした。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

今、住んでいる場所も、昔、住んでいた場所も新町名になりましたが、祭りとか、ラジオ体操とか、その他、色々ありますが、それらを主催する町内会は昔の地名で、また、昔の町単位で行われています。勿論、町内会の会費も取られますし。と言っても、福光町の場合は、幾つかが合併しての新しい市ですから、ちょっと違いますね。

それにしても、城跡って、やはり、信長以降の天守閣があるものでないと、お城と言う感じがしませんね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
この城址は、一時越中の国の守護が拠って戦ったことも
あるらしいですが、一面の田んぼのみで(笑)

まったく、当時の姿をしのばせるものがなく、
寂しいかぎりでした。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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