利田(かがた)神社と鯨塚/品川宿を歩く(2)

20130918

9月17日(火)の、歴史クラブの催し「旧東海道『品川宿』を歩く」で、北品川橋から「品川浦の舟だまり」を見たあと、ここにやってきました。

安政の古地図「芝 三田 二本榎 高輪邉絵図」で、細~い出島になっている先端に「弁財天」と書いてあります。今ではまったくの陸地ですが、ここが「利田神社」です。
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今は、このとおり埋め立てられてしまって、まるっきり陸地ですね。
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利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
洲崎弁天ともいわれ浮世絵師歌川広重の名所江戸百景の一つにも描かれているそうです。

鳥居
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灯篭と中門
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狛犬が良い感じでした。
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社殿
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祭神は、かっては弁才天だったようですが、いまは市杆島姫命にかわっています。
神紋は、「波に三つ鱗」です。
「三つ鱗」の鱗は龍が大蛇となって海中に去る時に鱗を三つ落としたというところから来ているそうです。
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利田神社の横に鯨塚があります。
この鯨碑(鯨塚)は、寛政十年(一七九八)五月一日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨の体長は九間一尺(約十六・五メートル)高さ六尺八寸(約二メートル)の大鯨で、江戸中の評判となった。ついには十一代将軍家斉(いえなり)が浜御殿(現、浜離宮恩賜庭園)で上覧するという騒ぎになった。
全国に多くの鯨の墓(塚・塔・碑など)が散在するが、東京に現存する唯一の鯨碑(鯨塚)である。また、本碑にかかわる調査から品川浦のように捕鯨を行っていない地域での鯨捕獲の法を定めていることや、鯨見物に対する江戸庶民の喧騒ぶりを窺い知ることができる貴重な歴史資料です。

本来の鯨塚
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新しい鯨塚
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説明に、谷素外の句が添えられている。
「江戸に鳴 冥加やたかし なつ鯨」
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新しい鯨塚の噴水の龍
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当時の品川での生活の説明板
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広場にはモニュメントが。
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(続く)


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