品川神社/品川宿を歩く(3)

20130919

9月17日(火)の歴史クラブの催しで、「旧東海道『品川宿』を歩く」の続きです。
品川宿本陣跡から品川神社に向かいました。
第一京浜道路をはさんで眺めます。左側に富士塚がそびえています。
130919shina01.jpg


品川神社の由来は、後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃畔命を勧請して、品川大明神と称した。
洲崎神社(すさきじんじゃ、すのさき-)は、千葉県館山市にある神社であり、夫の天太玉命を祀った安房神社と后神天比理乃咩命を祀った洲崎神社が共に館山にあり、共に安房国一宮となっています。
源頼朝が勧請したのは洲崎神社のほうですが、それにはこういう事がありました。
治承4年(1180年)8月、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ海路で安房国へ逃れた。『吾妻鏡』治承4年(1180年)9月5日の条によれば、安房に逃れた源頼朝は上総介及び千葉介へ参上を要請する使者を送り、当社へ参拝して使者が交渉を成功させて無事帰還した場合には神田を寄進するとの御願書を奉じている。この使者は無事に役目を果たし、同年9月12日の条では当社に神田が寄進された。
後醍醐天皇の御世(1319年)に、当国の守護職二階堂出羽入道道慈、(貞藤と云い北条高時の臣、鎌倉に二階堂と云う、地名があるそこに住していた)宇賀之売命を勧請し社殿等を再建し社地を吉端岡と名付けた。永享四年正晴入道幸純社殿等を再建す。(幸純は道慈の子孫なること南品川海婁寺に詳かなり)、文明十年六月太田道濯、素蓋鳴尊を勧請す。
慶長五年徳川家康関ケ原の戦に出陣の折神前にて祈願し太々神楽を奏し、後神輿、償面等奉納す。寛永十四年将軍家光の命により東海寺鎮守と定められてから幕府の御修復所となり、元縁七年将軍綱吉社殿等再建、嘉永四年将軍家慶社殿再建した。
明治元年准勅祭神社に定められた。

東海七福神の「大黒天」が鳥居前に立っています。
130919shina02.jpg


社号標
130919shina03.jpg


鳥居の前に狛犬
130919shina04.jpg


130919shina05.jpg


一の鳥居
130919shina06.jpg


鳥居をくぐろうとして驚いた。なんと龍が巻き付いている、珍しい鳥居だ。
130919shina07.jpg


石段を登っていくと、左手に富士塚への登り口があったので、登っていく。
130919shina08.jpg


品川丸嘉講300名の人により、1869年(明治2年)から1872(明治5年)の三年をかけて築かれた。富士山から溶岩を運んで作ったので、この富士塚に登ることで富士山に登ったのと同じご利益があるとされている。
毎年7月に行われる「品川丸嘉講」による山開きの神事は、品川区の無形民俗文化財に指定されている。

登り始めてすぐに、猿田彦の祠
130919shina09.jpg


役小角の神変堂
130919shina10.jpg


途中から急こう配に
130919shina11.jpg


頂上からの眺めはいいですね。
130919shina12.jpg


130919shina13.jpg


一の鳥居から真っ直ぐ石段を登って、上がりきると二の鳥居。
130919shina14.jpg


さらに三の鳥居。下総(千葉県)佐倉城主で、家光の側近であった堀田正盛が寄進したもの。
130919shina15.jpg


狛犬は、既に一の鳥居のところに一組ありましたが、石段を登ってから拝殿までに更に三組あります。
二番目の狛犬
130919shina16.jpg


130919shina17.jpg


三番目は焼き物なので、金網で保護されています。
130919shina18.jpg


130919shina19.jpg


社殿前の、大きくて立派な狛犬。
130919shina20.jpg


130919shina21.jpg


立派な能舞台もありました。
130919shina22.jpg


手水舎。ここの水盤も堀田正盛が寄進したもの。
130919shina23.jpg


ここに「天下一なめの面」と神輿を説明する額があります。
130919shina24.jpg


慶長5年(1600年)徳川家康公が、関が原の闘いに出陣の際、当社に戦勝を祈願して参拝したことも有名です。合戦を終えて、家康公は、勝利の御礼として品川神社に御神面(赤いお面)を奉納しました。
「国の常立命」だと云われます。
その御神面というのが、写真のように、口から舌を出している赤面です。
これが、『天下一嘗(ひとなめ)の面』というものです。
130309shina50.jpg


そして、江戸に疫病が流行ったある年のこと、 「御神面を神輿(みこし)に付けて町々を廻れば、人々を苦しみから救う」とのお告げがあり、それ以来、祭礼の神輿(みこし)に御神面をつけて渡御することになったのだそうです。
130919shina26.jpg


本殿
130919shina27.jpg


130919shina28.jpg

祭神は天比理乃咩命
合祀神が素盞嗚尊と宇賀之売命

神紋は「三つ葉葵」と「流水三つ巴」ですね。
130919shina29.jpg


130919shina30.jpg


本殿の裏手に板垣退助のお墓がありました。右が板垣退助、左が奥様絹子夫人の墓。
130919shina31.jpg


板垣退助のお墓
130919shina32.jpg


絹子夫人の墓。4番目の奥様で、社会改良特に女子教育に功績のあった方だそうです。
130919shina33.jpg


その近くに「板垣死すとも・・・」の碑が。
130919shina34.jpg


佐藤栄作氏の書でした。
130919shina35.jpg


境内に浅間神社がありますが、
130919shina36.jpg


鳥居の奥に一対の石灯篭があり、三代将軍家光の時代である慶安元年(1648年)に、亀岡政重、後藤光利が寄進したもので、江戸時代初期の石像遺物として価値が高いそうです。
130919shina37.jpg


火消しの組合が奉納したもので、各組の纏が彫りこまれています。
130919shina38.jpg


130919shina39.jpg


東海七福神発祥の碑がありました。
130919shina40.jpg


(続く)


「続き」に飛ぶ


「歴史クラブ行事記事一覧」に飛ぶ



いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

龍の鳥居はいいですね。また、狛犬の多さにも驚きました。

さて、品川富士ですが、私が持っている資料「富士市立博物館編:富士塚調査報告書」、これ、関東一円にあるほとんどの富士塚が記載されているものですが、それによると、

明治2年:「駒込富士塚」を移築
明治5年:再建
大正11年:移築

と言うことだそうです。おそらく、当初、品川神社の境内に造られたが、何らかの理由で廃棄あるいは壊れたため再建、そして、更に、現在の場所に移築されたのだと思います。

No title

すいません

駒込富士塚ではなく、馬込富士塚です。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
最初馬込富士塚を移したんですか。
どうしてか知りたいと思い、検索しましたが、
わかりませんでした。
馬込には、浅間神社とか、富士講灯篭、富士山の溶岩とかが
残っているようですね。
どうして移したかが知りたいですね。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop