品川宿を歩く(4)

20130921

9月17日(火)の歴史クラブの催しで、「旧東海道『品川宿』を歩く」の続きです。
品川神社でちょっとのんびりしてから、次は東海寺に向かいました。

東海寺
臨済宗大徳寺派の東海寺は、萬松山と号し、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵宗彭を招聘して開山しました。寺領5,000石、境内地4万7000坪を賜った別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭でした。明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いで現在に至っています。
元禄5年(1692)住持天倫宗忽が撰文し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名伊予守良寛によって造られたものです。

参道入り口。境内は大幅な工事を行つていて、こちらの山門からは入れませんでした。
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庭は工事中で、庭らしいかんじはまったくありません。わずかに残っている植え込み。
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古学殿の建物
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本堂らしき建物をのぞいたら、石庭がありました。
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梵鐘は、元禄5年(1692)住持天倫宗忽が撰文し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名伊予守良寛によって造られたものである。総高198cm、口径106cm、撞座は竜頭の側面方向に2ヶ所、乳は乳の間ごとに縦横5箇ずつ配列されている。
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少し離れた東海寺の大山墓地には、沢庵和尚のお墓のほか、本居宣長も教えを受けたという国学者・賀茂真淵、天文学・数学・暦学で有名な渋川春海(安井算哲)、明治時代に鉄道の国有化に尽力した「日本の鉄道の父」と呼ばれる井上勝のお墓があります。
私は、最近「天地明察」という本で、渋川春海(安井算哲)に夢中になったことがあったので、その墓に詣でたかったのですが、時間の関係で果たせませんでした。
近々、お参りしたいと思っています。

次いで海蔵寺です。
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宗派は時宗、本尊は阿弥陀如来立像。永仁6年(1298)藤沢遊行寺二祖他阿真教上人が、宗祖一遍上人の教えをつぎ、念仏をすすめて諸国を巡化の途中、たまたま当地にとどまること三年間、多くの衆生を教化された時に、妙覚庵運心称する妙好人があり、上人の徳風に帰依され祖先伝来の三尊仏を上人に寄進し、伽藍を結構して運心の寄附の三尊仏を安置したのが現在の本尊である。
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江戸時代に入り、品川宿がおかれ、ここで死亡した人達も葬られたのである。元禄4年(1691)から明和2年に至るまでその数7万余人といわれている。宝永5年(1708)7月8日土地の有力な信者の集まりがこれを改葬し、その骨を集め、墳墓を築きその上に観音像を安置したのが巷間に伝えている頭痛塚である。頭痛を病めるものがその平癒祈願をすると利益があるといって、香煙の耐えたことがないといわれている。また当時鈴ヶ森刑場で処刑された人や、品川遊郭に於いて死亡した遊女等も葬られている。

本堂の向かいには、関東大震災のときの死者を供養する大きな石仏があります。
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頭痛塚は、墓地の一番奥にありました。
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次いで、妙蓮寺です。宗派は顕本法華宗系単立。総本山妙満寺11世寂光院日遵上人が長享元年現在地に創建した。2世中世院日存上人は、日遵上人の弟子で妙満寺14世に列せられ、「本亦対論用意抄」の著述を残した学者でもあった。
現在の本堂は寛政年間建立の本堂を中に組入れた近代建築である。
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墓所には江戸時代の由比正雪の乱に加わったことで知られる丸橋忠弥の首塚があります。
丸橋忠弥は出羽の国の人で、徳川家光が死去した後、江戸幕府の転覆を計画した一人でしたが、事前に事件が発覚して、忠弥らは捕らえれた。首班の油井正雪は自害した。丸橋忠弥は宝蔵院の槍の達人で、現在の千代田区御茶ノ水に道場を持っていたという。こうして捕らえられた二人は大森の鈴が森にて、処刑され丸橋忠弥の首級は、ここ北品川の妙連寺に埋葬されたといいます。
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近くに「薄雲太夫の墓」があったので、帰ってから調べてみました。
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「古今比売鑑・薄雲」(ここんひめかがみ・うすぐも)は、江戸元禄年間に評判だった遊女・薄雲を描いたもので、作者は月岡芳年(つきおかよしとし)。
「薄雲」という女性は江戸時代、吉原京町1丁目の三浦屋四郎左衛門のお抱え遊女だったと伝えられています。大変な猫好きとして知られ、肌身離さずべったりくっついていたとか。真偽のほどは定かではありませんが、一説では招き猫の発祥にこの薄雲がかかわっているという話があるようです。
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そして、ここから第一京浜を日差しの中ちょっと長い距離を歩いて、青物市場近くの「さくら水産」で昼食です。午前中はほんとによく歩いた。

昼食を食べて休憩して、元気が出たところで午後の部スタートは「品川寺(ほんせんじ)」です。
品川寺
東海七福神は、毘沙門天。
品川寺の歴史は、町そのものです。遠く、大同年間(806年~810年)に開創された品川で最も古いお寺です。本尊「水月観音(すいげつかんのん)」は、弘法大師空海上人(774年~835年)が東日本を教え導いた時、この地の領主、品河(しなかわ)氏に授け、以来、応永2年(1395年)品河左京亮(しなかわさきょうのすけ)の代まで代々同家に伝えられました。同年、足利(あしかが)・上杉(うえすぎ)の合戦(上杉禅秀の乱)で品河一族は滅び、それ以後は、草堂に安置され「観音堂」と称され、町の人々の信仰を集めてきました。
門前に「江戸六地蔵」の一つが鎮座されていて、迎えてくれます。
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その向かいには、場所柄「溺死者供養の塚」の石碑が。
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門のむすぐ前には、立派な亀に乗った供養塔が。
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山門
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本堂
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ここの梵鐘は、一度海外に流出したが奇跡的に戻ったことで有名です。
明暦3年(1657年)の銘があり、徳川幕府第四代将軍徳川家綱の寄進とされる。鐘身に六観音像を鋳出する。この鐘は幕末に海外へ流出し、パリ万博(1867年)・ウィーン万博(1873年)に展示されたと伝えるが、その後所在不明となっていた。大正8年(1919年)、当時の住職であった仲田順海は鐘がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止め、返還交渉を開始した。外務大臣幣原喜重郎ほか多くの人々の尽力により、ジュネーヴ市議会は鐘を日本へ戻すことに同意し、昭和5年(1930年)、同市の好意により品川寺に返還された。平成3年(1991年)には品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られた。品川区とジュネーヴ市は平成3年に友好都市となったが、交流の契機となったのはこの梵鐘である。
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鐘身に六観音像を鋳出しています。
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ジュネーブとの友好の碑
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境内左奥には龍宮城の雰囲気がする弁天堂が建っている。
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中にはカラフルな弁才天が祀られていました。こちらの弁才天像は琵琶を持たず、手が八本ある八臂弁財天です。八本の手には剣・弓・矢など武器を携えています。
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そして鐘楼の近くに、点々と七福神が祀られていました。

布袋尊
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大国さん
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恵比須さん
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寿老人
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福禄寿
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弁財天
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毘沙門天
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自然石を利用した庚申塔
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その横に文字と三猿の庚申塔
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ここから、また品川に向かって旧東海道を戻ります。

松岡畳店
旧東海道散歩地図にも載っている、創業安永8年(1779)という、江戸時代からの畳屋さんです。
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住所を、わざと二つ掲示して皮肉ってるのかな(笑)
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現存する旧東海道の海岸線の跡。ここ数メートルほどが当時の石垣。ずっと形は残っていますが、他の場所はコンクリートとか新しくなってしまっている。
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この辺の、当時の写真です。左側の海岸の石垣が今見た場所にあたります。
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(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、品川寺の1ヶ所七福神も全部撮られていますね。これを機に、七福神のページもいかがですか。そう言えば、私は「江戸六地蔵」もやっていて、内、5つは撮影したのですが、品川寺のがまだです。ううん、来年の初めの七福神巡りは東海七福神にしようかなあと思いました。

由比正雪とか丸橋忠弥は、私にとっては講談本の世界ですが、確か、伊賀の影丸にも出てきたような記憶があります。

後、頭痛塚って珍しいですね。多分、昔から頭痛持ちと言うか、偏頭痛の人が多かったのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
七福神は、けっこうたまってはいますね。
一度まとめてみるのも面白いですね。

やはり頭痛持ちは多かったのでしょうね(笑)
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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