二子山古墳の工事・将軍山古墳の整備/さきたま古墳群

20130925

このあいだ朝日新聞の埼玉欄に、二子山古墳で内堀の水を抜いて埋め立て、空堀にする工事を進めているという記事がありました。それによると、浸食により墳丘外周の崩落が深刻になったためとあります。また出土した微生物の死骸から、6世紀初めに築かれたときは空堀だったと考えられており、埋め立てで当初の姿に戻るとも。
現在の姿は1968年に復元されたときに水堀として整備されたものだそうです。
記事にあった航空写真。
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それで、昨日9月24日(火)に見に行ってきました。
さきたま古墳の全容。
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二子山古墳の全貌
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駐車場から道に沿って歩いていき、上の図で右下隅のところから入っていきました。
目の前にあるのが外堀です。
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内堀のところに来ると、埋め立てられてなにか作業をしています。
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方墳の底辺のところですが、発掘をしている感じですね。
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もう一列、こちらも発掘しています。
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方墳の底辺の左端まできました。
内堀の、テントから向こうは水堀になっています。
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さっき入って来た位置まで戻ります。方墳の底辺の右端のところです。
内堀のまわりを人が歩けるようになっているので、反時計まわりに一周することにしました。
灌木の垣根の向こう側が内堀です。
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少し行くと、埋め立てが途切れます。こちらが早く埋め立てられたみたいで水辺には草がびっしり生えています。
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また少し行くと、サギが悠然としていました。水堀が無くなったらこのサギも困るだろうな。
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円墳の端まできました。
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円墳の外周を囲む内堀。
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反対側まで来ると、向こうの方、方墳のところで埋め立てられているのが見えます。
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望遠にズームします。
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埋め立ての端まできました。こちらは埋め立てられたばかりですね。
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振り返って、円墳の周囲を眺めます。これが来年には水堀でなくなってしまうというわけです。
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最初の全貌の写真で、左側外堀の外縁のところに曼珠沙華が咲いていたので、一緒に。
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それから将軍山古墳に向かいました。さっき将軍山古墳が見えた時に、とても気になったので。

途中、きれいにコスモスが咲いていたので、一緒に二子山古墳を。
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ポピーも咲いています。
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そして、気になったのが将軍山古墳。
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将軍山古墳の全貌。
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方墳の右端のところから。
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建物が見えますが、あそこから中に入れ、内部の石室を見ることが出来ます。
今年の春に行った時の記事があります。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1203.html

私が、さっきとても気になったと書いたのは、その春に来た時にはこの古墳は草ぼうぼうで置かれている埴輪がかろうじてわかる程度だったのです。
春の状態
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それが今は、こうです。
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おまけに、凧が上がっています(笑)
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方墳底辺の左端からの眺めが、起伏に富んでいていいですね。
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望遠でひきつけると、迫力があります。
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置かれている埴輪
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ついでだから、稲荷山古墳の上にあがって、周りを見ることにしました。
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方墳の中央に階段があります。
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方墳の上に上がると、一旦下って円墳に上がります。
あの円墳から、有名な「金錯銘鉄剣」が発掘されました。
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将軍山古墳が見えます。
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反対側には、忍城を水攻めにしたときに石田三成が本陣にした「丸墓山古墳」が見えます。
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丸墓山古墳の横の「石田堤」に曼珠沙華が咲いていて綺麗でした。
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これでちょうどお昼の時間になったので、近くの東屋で途中コンビニで買ってきたおにぎりで昼食。
そのあとベンチでしばらくウトウトと寝ました。

休憩して、また元気が出たところで、「前玉神社」の写真を撮ったのですが、それは次回の記事にします。

その後、「さきたま史跡の博物館」で企画展「古代の豪族~将軍山古墳とその時代~」を見ました。
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展示されていたのは、いずれも6世紀後半に築かれた「将軍山古墳」、千葉県木更津市「金鈴塚古墳」、群馬県高崎市「八幡観音塚古墳」、同じく高崎市「綿貫観音山古墳」から出土したものでした。

古墳時代に浅学の私は、新鮮なことばかりでしたが、ここで印象に残ったのは、ここ「さきたま古墳群」にあるような全長100m前後の巨大前方後円墳は、畿内でも大和地方を除くとそう多くなく、山陰、北陸、四国、東海地域ではほとんど築かれず、千葉・埼玉・群馬の関東地方に多いことがわかりました。
つまり古墳時代には、大和地方と関東地方が突出していたようです。
これは、稲荷山古墳から発掘された「金錯銘鉄剣」に書かれていることでもわかります。
はしょって書くと「先祖代々大王(大和朝廷の長、つまり天皇)の親衛隊長をし、私はワカタケル大王(雄略天皇)が天下を治めるのを助けてきた」とあります。
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またちょっと、知識を広げられて嬉しく思いながら博物館を出て、以前来た時に気になっていた建物に寄ってみました。
「行田市 はにわの館」です。
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ここで、埴輪のレプリカでも買えるかなと期待したのですが、そうではなく、「はにわ作り体験」をする所でした。その日は、もう受付は終了していました。
入り口の前には、製作された埴輪がたくさん置かれていました。
どれも立派な出来で、感心しながら見てきました。
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(続く)





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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

1968年の時に、空堀から水堀にしたのは、盗掘や荒らされるのを防ぐ意味合いがあったのかもしれませんね。

巨大前方後円墳は大和と関東しかないと言うことでしたら、普通に考えれば、「関東に大王有り」でしょうね。鉄剣に彫られていたと言う大王は「獲加多支鹵大王」で、これを普通に読めば「ワカタシロ」ですので、これではどんなに無理しても雄略天皇の「大長谷若建」とは関係ありませんし。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
たしかに水堀には、そういう効果がありますね。
ただ、大和地方でも崩落には大変苦労していると、
新聞記事にありましたね。

金錯鉄剣の文字には、論争があるのですか?
私は、さきたま博物館の説明しか知らないので。
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とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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