前玉(さきたま)神社(延喜式内社)/埼玉県行田市

20130927

9月24日(火)にさきたま古墳群の二子山古墳、将軍山古墳など見たあと、昼食・休憩したあとにここにお参りしました。
道からの入り口のところに、大きな槇がそびえています。
御嶽山信仰の奉納植樹で、推定樹齢600年のご神木。
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幹に空洞ができていて、中に木曽御嶽山の石碑が置かれています。
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社号標
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一の鳥居
この鳥居は、延宝4年(1676)に忍城主阿部正能家臣と領民氏子たちによって建立されたもの。
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明神系の形式で、笠木、島木が一体に作られ、両端に反増を持ち、さらに笠木、島木は二本の石材を中央額束の上で組み合わせています。
また、扁額(へんがく)には「富士山」と書いてあります。
なので、これは境内にある浅間神社が当時強く信仰されていたことがわかります。
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参道
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古式な感じの狛犬
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建立時期が読み取れませんでしたが、立派な石灯篭一対。
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二の鳥居
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手水舎
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柱四本ともに立派な龍の彫刻がありました。
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神楽殿
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三の鳥居
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石の祭壇がありました。結界をしてあります。神事に使用するのでしょう。
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その横に「浅間塚古墳」の説明が。当社は古墳の上にあるのです。
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石段を上がると、右手に浅間神社があります。
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浅間神社は近世初頭、忍城中にあった浅間神社を勧請し、古墳上にある社を「上の宮」、中腹にある社を「下の宮」と呼んで、浅間さまの名で親しまれるようになりました。
また、当社には富士浅間信仰が盛んになってから、富士の行者が己の命の終わるとき、当所にのみ雪を降らすと言い残し、その予言通り6月1日亡くなった日に雪が降り、これを奇異とした忍城主下総守氏長が、この地に浅間神社を祀ったという一説もあります。
浅間神社の御祭神は木花(桜だけを指すという説もある)の様に美しいとされる木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)です。子育て・安産・産業の神様として関東一円に崇敬されています。
中でも当歳児から三歳児の額に朱印を押し、富士山の御利益をいただき、子供の無事成長を祈る「初山」は有名で、県内にとどまらず関東圏外からも参拝に訪れているそうです。

正面に大きな絵の額がかかっています。
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浅間神社の祭神は木花開耶姫命ですが、そうではなさそうですね。端に居るし、艶めかし過ぎる(笑)
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木花之佐久夜毘売といえば、さきたま古墳で開催される「さきたま火祭り」の主役です。
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浅間神社からむ先に進むと、二つの小さなお社があります。
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恵比須社
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中には、大きめなのが二体、小さいのが二体、祀られていました。
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天神社
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中には天神様が祀られている。
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西行の歌碑があります。
西行は二度武蔵の国を通過していますが、この歌は二度目の旅の時に立ち寄ったものと推定されています。
「和らぐる 光を花にかざされて 名をあらはせる さきたまの宮」
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いよいよ社殿に上がる石段ですが、両側に「万葉灯篭」が立っています。
元禄10年(1697年)10月15日、当神社の氏子たちが所願成就を記念して奉納したものです。この地を詠んだ万葉集の歌、「小崎沼」と「埼玉の津」が刻まれています。
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右側「埼玉の津」の碑
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『佐吉多万能  津爾乎流布禰乃  可是乎伊多美
 (埼玉(さきたま)の 津(つ)に居(を)る船の  風をいたみ)
       都奈波多由登毛  許登奈多延曽禰』
       (綱は絶ゆとも  言(こと)な絶えそね)
巻十四 三三八〇
◇ 訳 ・・・
 埼玉の渡し場に停まっている船の(船を留めておくためのその)綱が、烈しく吹く風のために切れることがあっても、私たちの恋は切れて絶えないでおくれ(例え二人は逢えずとも、決して心伝える便りは絶やさないで下さい)。
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左側「小埼沼」の碑
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『前玉之 小埼乃沼爾 鴨曽翼霧 
 (埼玉の  小埼の沼に  鴨そ翼(はね)霧(き)る)
   己尾爾   零置流霜乎  掃等爾有欺』
   (己(おの)が尾に 降りおける霜(しも)を 払(はら)ふとにあらし)
巻十四 三三八〇
◇ 訳 ・・・・・
 埼玉の小埼の沼で、鴨が羽ばたきをして水しぶきを上げている。自分の尾にふり降りた霜を払おうとしていようだ。
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石段を上がると社殿です。
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拝殿
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本殿は覆屋に囲われていました。
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社額
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前玉神社が最初に祀られた時代については、一説には大化の改新(645年)より一世紀以上さかのぼる安閑天皇、宣化天皇あるいは雄略天皇の頃の古墳時代(400年代後半~500年代前半)ではないかと考えられています。その名残として社は古墳群に向かって祈願するように建立されています。
由緒:
前玉神社は「延喜式」(927年)に載る古社で、幸魂(さいわいのみたま)神社ともいいます。700年代の古代において当神社よりつけられた【前玉郡】は後に【埼玉郡】へと漢字が変化し、現在の埼玉県へとつながります。前玉神社は、埼玉県名の発祥となった神社であると言われています。
武蔵国前玉郡(むさしのくにさきたまのこおり)は、726年(神亀3年)正倉院文書戸籍帳に見える地名だと言われており、1978(昭和53)年に解読された稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文から、471年には大和朝廷の支配する東国領域が、北武蔵国に及んでいたのは確実であると言われています。

御祭神は、『古事記』所載の出雲系の神である、前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。天之甕主神(アマノミカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母です。

欄間の彫刻
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向背柱の彫刻が二段にわたって設けられています。
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神紋は「右三つ巴」ですね。
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拝殿から、本殿が置かれているのが見えました。
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欄間の左右に、猿田彦命と天の鈿女の彫刻があります。
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あと細かな彫刻を撮れるだけ撮ってきたのですが、帰ってから整理していて気が付きました。
十二支を彫っているんですね。
あわてて、確認したら、残念!!
二つ欠けています(泣)
10月にも、あちらに行くので、そのときに撮ってきましょう。
(2013.10.19に「さきたま講座」を受講した際に撮ったので追加しました。)


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辰・巳
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(2013.10.19撮影)
親子の犬が戯れている図ですね)
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(2013.10.19撮影)
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蚊の来襲に悲鳴を上げながら、写真を撮り終え、下ってきて
浅間神社の前の石碑を眺めました。

宝暦6年(1756)奉納の常夜燈
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「富士登山三十三度大願成就」の石碑
「丸正」という富士講が、明治42年に建てたもの。
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最後に、三の鳥居の前から入っていく「明治神社」にお参りしました。
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明治時代に埼玉地区の神社を合祀したものだそうです。
祭神ですが、いろいろ調べたのですが合計16柱という数しかわかりませんでした。
内訳を知りたいものです。

社額がきれいな色でした。
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html




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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

前玉神社と言う名前は初めて聞きましたが、手水舎も彫刻は立体的で素晴らしいですね。勿論、本堂の彫刻も素晴らしいです。

富士講の碑もすごいですが(33回と言うのもすごいですが)、もしかして、前玉神社の本殿がある場所を、富士塚に見立てていたのかもと思いました。

そう言えば、例の鉄剣の文字ですが、私は読んだことがありませんが、古田武彦著「関東に大王あり」と言う本が出ています。博物館にある文字の読み方は、何でも大和王朝にしてしまう恣意的な読み方のような気がします。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
この神社の名から、埼玉の県名になっているんですから、
それだけでもすごいです。
手水舎の彫刻に気付いたときはビックリしましたね。
延喜式内社めぐりは、歴史があるだけに楽しいです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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