古事記を知る(22)

20131003

4-5 大国主神の神裔
故此大国主神。娶坐胸形奥津宮神多紀理比賣命生子。阿遅
二字以音鉏高日子根神。次妹高比賣命。亦名下光比賣命。此之阿遅鉏高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。
大国主神亦娶神屋楯比賣命生子。事代主神。亦娶八嶋牟遅能神
自牟下三字以音之女鳥耳神生子。鳥鳴海神。訓鳴云那留此神娶日名照額田毘道男伊許知邇神鳴田下毘又自伊下至邇皆以音生子。國忍富神。此神娶葦那陀迦神自那下三字以音亦名八河江比賣生子。速甕之多気佐波夜遅奴美神。自多下八字以音此神娶天之甕主神之女前玉比賣生子。甕主日子神。此神娶淤加美神之女比那良志比賣此神名以音生子。多比理岐志麻流美神。此神名以音此神娶比比羅木之其花麻豆美神木上三字花下三字以音之女活玉前玉比賣神生子。美呂浪神美呂二字以音此神娶敷山主神之女靑沼馬沼押比賣生子。布忍富鳥鳴海神。此神娶若晝女神生子。天日腹大科度美神。度美二字以音此神娶天狭霧神女遠津待根神生子。遠津山岬多良斯神。
右件自八嶋士奴美神以下。遠津山岬帯神以前。稱十七世神。


(読み)
カレコノオホクニヌシノカミ ムナカタノオキツミヤニマスカミタキリビメノミコトニミアヒテウミマセルミコ アヂシキタカヒコネノカミ ツギニイモタカヒメノミコト マタノミナハシタテルヒメノミコト コノアヂシキタカヒコネノカミハ イマカモノオホミカミトマヲスカミナリ
オホクニヌシノカミマタカムヤタテヒメノミコトニミアヒテウミマセルミコ コトシロヌシノカミ マタヤシマムヂノカミノムスメトリミミノカミニミアヒテウミマセルミコ トリナルミノカミ コノカミヒナテリヌカタビチヲイコチニノカミニミアヒテウミマセルミコ クニオシトミノカミ コノカミアシナダカノカミマタノナハヤカハエヒメニミアヒテウミマセルミコ ハヤミカノタケサハヤヂヌミノカミ コノカミアメノミカヌシノカミノムスメサキタマヒメニミアヒテウミマセルミコ ミカヌシヒコノカミ コノカミオカミノカミノムスメヒナラシビメニミアヒテウミマセルミコ タヒリキシマルミノカミ コノカミヒヒラギノソノハナマズミノカミノムスメ イクタマサキタマヒメノカミニミアヒテウミマセルミコ ミロナミノカミ コノカミシキヤマヌシノカミノムスメアヲヌマヌオシヒメニミアヒテウミマセルミコ ヌノシトミトリナルミノカミ コノカミワカヒルメノカミニミアヒテウミマセルミコ アメノヒバラオホシナドミノカミ コノカミアメノサギリノカミノムスメトホツマチネノカミニミアヒテウミマセルミコ トホツヤマザキタラシノカミ
ミギノクダリヤシマジヌミノカミヨリシモ トホツヤマザキタラシノカミマデ トヲマリナナヨノカミトイフ

(現代語訳)
 さてこの大国主神が、宗像の沖つ宮に鎮まる神の、多紀理比賣命を妻として生んだ子は、阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネノ)神、次に妹の高比賣命で、またの名を下光比賣(シタテルヒメノ)命という。この阿遅鉏高日子根命は、賀茂の大御神といっている。
 大国主神が、また神屋楯比賣(カムヤタテヒメノ)命を妻として生んだ子は、事代主神神である。また八嶋牟遅能(ヤシマムヂノ)神の女の鳥耳神を妻として生んだ子は、鳥鳴海神である。この神が、日名照額田毘道男伊許知邇(ヒナテルヌカタビチヲイコチニノ)神を妻として生んだ子は、國忍富神である。この神が、葦那陀迦(アシナダカノ)神、またの名は八河江比賣を妻として生んだ子は、速甕之多気佐波夜遅奴美(ハヤミカノタケサハヤヂヌミノ)神である。この神が、天之甕主(アメノミカヌシノ)神の女の前玉比賣(サキタマヒメ)を妻として生んだ子は、甕主日子神である。この神が、淤加美神の女の比那良志比賣(ヒナラシビメ)を妻として生んだ子は、多比理岐志麻流美(タヒリキシマルミノ)神である。この神が、比比羅木之其花麻豆美(ヒヒラギノソノハナマヅミノ)神の女の活玉前玉比賣(イクタマサキタマヒメノ)神を妻として生んだ子は、美呂浪神である。この神が、敷山主神の女の青沼馬沼押比売(アヲヌウマヌオシヒメ)を妻として生んだ子は、布忍富鳥鳴海(ヌノオシトミトリナルミノ)神である。この神が、、若晝女(ワカツクシメノ)神を妻として生んだ子は、天日腹大科度美(アメノヒパラオホシナドミノ)神である。この神が、天狭霧神の女の遠津待根(トホツマチネノ)神を妻として生んだ子は、遠津山岬多良斯(トホツヤマサキタラシノ)神である。
 右にあげた八嶋牟遅能神神から、遠津山岬多良斯神までの神々を、十七世の神という。

(注)
○胸形の奥つ宮 福岡県宗像郡の宗像神社の沖つ宮。前出(八五真)
○阿遅鉏高日子根神 「あぢ」は美称で、農具の鉏を神体とする農耕神であって、雷神として信仰されたらしい。奈良県御所市鳴神にある高鴨阿治須岐託彦根命神社の祭神である。
○高比売命 「高比売」は「高日子」に対応する美称。
○下光比売命 「した照る」は赤く照りはえる意。下に「下照比売」とあり、天若日子の妻となったことが記されている。
○迦毛の大御神 カモは氏族名に品名に用いられた。葛城の賀茂社の祭神である意。
○事代主神 「ことしろ」は「言知る」の意で、託宣をつかさどる神である。奈良県御所市の鴨都味波八重事代主命神杜(鴨都波神社)の祭神。
○前玉比賣 「前玉」は幸魂の意であろう。
○淤加美神 竜蛇神で水をつかさどる神。
○活玉前玉比売神 「活玉」は生魂、「前玉」は幸魂の意であろう。
○天狭霧神 霧の神。
○十七世の神 須佐之男命の子の八嶋士奴美神から数えて十五世である。

(解説)
 この系譜の最後に、「右の件の八嶋士奴美神以下・・・・・」と記されている。八島士奴美神は、須佐之男命の神裔を述べた系譜の中に、スサノヲノ命とクシナダ姫との間に生まれた神として記されている。よって、この大国主神の神裔を述べた系譜は、元来、須佐之男命の神裔を述べた系譜と一続きのものであったのが、分断されたものとみられている。
大国主神の神裔としてあげられた神々の中には、名義未詳のものが多くあるが、これらの神々の中で特に重要性を有するのは、大国主神の子とされたアヂスキタカヒコネノ神と、コトシロヌシノ神とである。アヂスキタカヒコネノ神は、天若日子の神話に現われる神であり、コトシロヌシノ神は、大国主神の国譲り神話に重要な役を演じている。もともとアヂスキタカヒコネノ神は、コトシロヌシノ神とともに、大和の葛城の賀茂の神として信仰された神であって、オホナムヂノ神との関係はなかった神であるとする説が多い。
アヂスキタカヒコネノ神は、水神としての農耕神であり、コトシロヌシノ神は、神の託宣をつかさどる神として信仰された。

ここで、前玉比賣が出てくるが、「さきたま古墳群」の中にある「前玉神社(延喜式内社)」の祭神である。
そして「前玉」から「埼玉」と字が変化して「埼玉県」となっているわけですね。
このお宮さんは、最近訪ねたばかりです。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1311.html

そこから考えられることは、「さきたま古墳群」を作り上げた豪族は「出雲族系」と云っていいだろうと思います。
100m前後の大型前方後円墳は、畿内でも大和地方を除くとそう多くなく、山陰、北陸、四国、東海地域ではほとんど築かれず、千葉・埼玉・群馬の関東地方に多いことがわかりました。
つまり古墳時代には、大和地方と関東地方が突出していたようです。

「古事記」を編纂していたころ、確かに朝廷は大和系が主流だったのでしょうが、全国に存在する「出雲族」はかなりの勢力だったとみられます。

だから、「天地はじめのとき」最初に出現する「造化三神」が、天之御中主神は絶対の最高神として、残り二神が大和系の高御産巣日神、出雲系の神産巣日神となっている。そして天皇の系譜につながっていく大和系と、出雲系の二つの大きな流れがあります。
大和系朝廷がまとめた「古事記」ですが、さすがに出雲系を無視することが出来なくて、かなり気を使っていることがわかります。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

確かに現在、残っている文献では、出雲系と大和系が確認できますが、しっかりした日本語の文献は残っていませんが、中国の文献では北九州系も書かれているので、もしかして、埼玉系とか、千葉系もあったのかもしれませんね。確か、残っている風土記も結構、その地方のことが色々と書かれていたようですので。

でも、出雲の方は大きな古墳が見あたらないとのことならば、埼玉は大和系あるいは埼玉系と考えた方が良いような気がします。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
matsumoさんも古代史には関心がお強いようで、
視点がまた私と違うので、とても刺激になります。
古代史は、未知な部分が多いので、其の分
ロマンも詰まっているんですよね。
いつも貴重なご意見ありがとうございます。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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