国宝「那須国造碑」(笠石神社)

20131028

25日(金)、那須温泉神社のあと、黒羽の那珂川河原の「ヤナ場」の小屋で、鮎の塩焼き、鮎の釜めしと鮎尽くしの料理を楽しみました。小屋と云ってもガラス戸で囲まれ暖かくてとても良かった。

それから大田原市湯津上の笠石神社に行きました。式内社ではありませんが、番外としてこの神社のご神体である、国宝の「那須国造碑(なすのくにのみやっこのひ)」を拝観しました。

笠石神社の入り口には、神明式の石の鳥居があります。
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碑は現在 徳川光圀公創建になる笠石神社の御神体として祀れています。
とても親切な宮司さんが、実に豊富な資料を惜しげもなく見せて下さり、説明してくれました。
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碑の拓本
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那須国造碑(国宝・700年築造)は 多胡碑(群馬県・特別史跡・711年築造)、多賀城碑(宮城県・重要文化財・762年築造)と並ぶ日本三大古碑の一つとされています。
高さ120cm 幅約48c皿 厚さ40cm角柱形の砕身の上に高さ約28cmの笠石がのる。石材は八溝山地の花崗岩を用いている。

19字×8行=152字の碑文が刻まれており、古代国家確立期の興味深い内容を伝えている数少ない金石文の資料です。
「金石文」とは金属や石などに記された文字資料のこと。紙、布などに筆で書かれた、文字に対し、刀剣、銅鏡、青銅器、仏像、石碑、墓碑など刻出、鋳出、象俵などの方法で表した文字を指します。
碑の価値は金石文以外にも、六朝的な書風を保つ、槽・行書の文字は、書道史上からも貴重なものです。
六朝槽書とは、中国の南北朝時代(439~589)に使われていた書体で現在の槽書の起源となった書体の-つ。
このような立派な書がどうして出来たかというと、これより少し前14名の帰化人がこの地方に送られてきて、そのうち5名が僧侶だという記録があります。その帰化人の中に教養の高い人物が居たのでしょう。

永昌元年(689年)、那須国造で評督に任ぜられた那須直葦提の事績を息子の意志麻呂らが顕彰するために、700年に建立されたものである。「永昌」という元号は唐のものであるが、日本の元号は686年に天武天皇の崩御により701年の大宝まで停止されていた為、唐の元号を使用したと考えられている。

碑発見の経緯は、延宝4年(1676)僧侶・円傾が湯津上村を通りかかった時、里の人が近寄ると怪我をしたり、  馬をつなぐと足をくじいたり、血を吐いたりするという、草むらに横たわる不思議な崇り石があるという話を聞き、これを馬頭村の大金重貞に話したところ、重貞はその碑を調べ自身の著作「那須記」に記し、天和3年(1683年)巡行してきた水戸光囲にその書を献上し光園の知るところとなりました。
光囲は石碑の保存顕彰の為、元禄4年(1691年)には碑堂の建立を開始し、同5年には、碑の主を求めて、日本で最初の学術的な発掘調査を上・下侍塚古墳(国指定史跡)で行いましたが、被葬者は明らかになりませんでした。同年6年には完成した、碑堂に自ら参詣しました。
この一連の作業は大金童貞が現地指挿をとり、光囲の指示は家臣の佐々介三郎(さっさ・すけ・さぶろう)宗淳(むねきよ)を通じて行われました。重貞は事の経緯を「笠石御建立起(かさいしごこんりゆうき)」に記しています。
銘文が鮮明なのは1000年近くの間、碑文面を下にして埋もれていた為とみられています。

佐々介三郎の文書
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2008年に読売新聞夕刊に載った、「古代遺跡の発掘調査は水戸光圀公が初めて行った」という記事。
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「光圀公古碑大墳墓の調査年表」もいただきました。
この古碑が日本で一番古く貴重なものだと判断した光圀公はやはり、すごい人だと思いました。

碑文の解読に挑んだ人々。新井白石とか青木昆陽の名前があります。
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碑文の内容は、宮司さんからいただいた「笠石神社縁起」に書かれているものが、一番私には良いなと思ったので、それを載せておきます。
碑文
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仮名交り文で解釈。
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祭神「那須国造直韋提」の略歴
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いよいよ、碑を拝観します。

社殿前の狛犬。とても良い姿をしています。
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中門
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社殿の中に、ご神体として碑が納まっています。
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ご神体故、写真の撮影は許可されませんでしたので、境内の説明板にあった写真を載せておきます。
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宮司さんに見せてもらった本に載っていた碑文の刻字の写真です。
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

仏教では一部の例外を除いて仏像は見せてくれますが、神社のご神体は普通、見せてくれないのに、石碑のほか、碑文の内容まで見せてくれるとは驚きました。それにしても、西暦700年頃のものがよく残っていたものです。これならば、後に筆写されたものと異なり、内容的に変更と言うことはありませんので。

ただし、上記の仮名交じり文を読むと、納得できない部分がありますので、中国人の研究者の解釈を見たいと思いました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
碑の銘文が鮮明なのは、碑文面が下で土に埋もれていたため、
風化しなかったという幸運なことがありましたね。

まだ完全に解明されてないようなので、
今後が楽しみですね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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