健武山神牡(延書式内社)/栃木県那須郡

20131029

25日(金)に、笠石神社から向かったのが健武山(たけぶやま)神社です。
馬頭町(現那珂川町)の中心市街地から県道52号線によって、武茂川沿いに東進すること約2.8キロメートル、古歌にも「那須のゆりがね」と歌われた産金の地に鎮座するのが健武山神社で、土地の人々は「健武山」よりむしろ「健武さん」と親しみを込めて呼んでいる。

道より石段を上がったところに、銅製の大鳥居(神明鳥居)が聳えている。
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社号標
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社号標と対をなす左手のほうに「古代産金の里」という大きな碑がありました。
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石碑建立の由来が書いてあります。
奈良時代の天平19年(747)奈良に大仏鋳造が始められ、仏像に塗る黄金に不足し聖武天皇は大層お悩みになられた。この年下野国から黄金の発見が奏上された。これが我が国最古の黄金である。この地の黄金は長年にわたって朝廷に献上され大陸文化の輸入に役立った。後、平安時代の承知2年(835)黄金を産する山に鎮座する武茂の神に従五位下の位が授けられた。かくの如くこの地はわが国最古の産金の里であった。
これを後世に伝えるため「古代最古の里」の碑を建立するものである。
昭和63年3月  天生目順一郎

先に進みます。
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杉の巨木が聳えています。
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手水舎
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岩石を組み合わせた素朴な感じがいいですね。
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狛犬
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社伝によれば806 〈大同元)年の創祀といわれるが、詳しいことはわからない。
『続日本後紀』の835(承和2)年2月23日の条に、「下野国武茂の神に従五位下を授く。この神は沙金を採る山に座す」とあるのは、この健武山神社のことであるが、創祀後わずか30年ほどで贈位の事があるのは不自然である。恐らくそれ以前から、産金の守りとして祀られていたのではあるまいか。
この9世紀初頭の創祀とされる社伝よりも古く、下野国ではすでに金の産出が知られていた記録がある。『東大寺の要録』には、「747(天平19)年12月、下野国で黄金が採れた」旨の記載がある。聖武天皇は743(天平15)年に諸国の国分寺・国分尼寺の中心として、東大寺本尊の慮舎那大仏(るしやなだいぶつ)の造立を発願された。
 747(天平19年)という年は、その大仏鋳造の大工事が開始された年にあたる。新たに黄金は産出されたという報告は一大朗報であったに違いない。以来、この地で採取された砂金は、下野国交易の商品として,正私以外のその他の特産物として中央政府に献上されていた。『延書式』には、「沙金150両、煉金84両」が記され、その採金には格夫(ようふ)を用い、それらの食糧は正税で賄えと定めている。つまり私的で集めた人夫ではなく、公的に認められた労働力を用い、食糧も公費をもって賄う、いわば国営事業として公認されたものであったということになる。このような黄金産出の地の鎮守として健武山神社が中央に知られ、その神恩に対して贈位のことが行われたのが9世紀初めであったわけで、恐らくこの神社の創祀は奈良時代の747(天平19)年前後の頃まで遡って考えてよさそうである。

由緒沿革:
806 〈大同元〉年に創祀され、835(承和二)年に従五位下の贈位が奉ったというこの神社について、その後幕末に近いころまでの推移は伝えるものがない。
中世にはこの地は宇都宮氏から分出し武茂氏の支配するところであった。武茂泰宗をはじめ歌人としても知られた人々を出している武茂氏は、当然領内の鎮守のこの神社への崇敬厚いものがあったと思われるが、中世に関しては神社の沿革を伝えるものは残っていない。近世に入ってからは、武茂郷一帯は徳川御三家の一つ水戸徳川領となる。武茂の古名も廃されて、馬頭の名に改められた。それまでは中世からの神仏混合の姿のまま、神社は修験大泉院が累代にわたり奉仕していた。1717(享保二)年に健武山神社と改称したと伝えられるが、1761(宝暦11)年には那須三社健武大権現と称した。
1884(天保15)年は12月に弘化と改元されるが、その正月に水戸徳川斉昭は修験大泉院の神社奉仕を廃止し、改めて神官を任命して奉仕にあたらせた。そして健武山神社を那須郡16村の鎮守とし、社殿の修営、大遷宮を行い、これに要する神器、遷宮費用の全ては水戸藩により奉納された。さらに斉昭は社領17石の地を寄進し、毎年3月29日の例祭には奉幣師を遣わした。明治維新の廃藩の後は、こうした保護を失うことになるが、後に郷社に列せられた。

神明造り拝殿
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御祭神は、日本武尊と金山彦命。

神紋は「三つ葉葵」ですが、水戸徳川家のものでしょう。
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本殿は「神明流れ造り」
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これで参詣は終わりましたが、隣の民家の巨大な二階建ての倉庫か作業所が気になりました。
養蚕をやっていたのではないかと思われます。
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また、そのお宅の庭に山茶花の巨木もありました。
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

雨の中、3つめの神社ですか! みなさま、熱心な方ばかりなのですね。健武山神牡は「村の鎮守」と言う位置づけなんだと思いますが、狛犬は立派と言うか、風格がありますね。

さて、砂金が採れたと言う所に反応してしまいました。砂金と言うことから、武茂川で採れたと言うことだと思いますが、当然、その砂金は山から流れてきたのだと思います。多分、その後、その元の山の金も採掘されたのだと思いますが、現在の技術だと、昔より低品位の鉱石でも採算が合うと聞いたことがありますので、後はどれだけ金が残っていると言うことなのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
このあいだ、ボランティアで中学の歴史の授業に
出たら、江戸時代まで日本からの輸出は、金と銀が
メインだったと教えていました。
さすがに金が少なくなって、金の禁輸出令を出したり
していますね。

できれば、日本でまた金が生産されれば、
いいですよね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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