三和神社(延喜式内社)/栃木県那須郡

20131031

25日(金)の歴史クラブ式内社めぐりですが、健武山(たけぶやま)神社から向かったのは、那珂川町三輪にある「三和神社」です。

ずいぶんと高い樹が茂っている森にありました。森の手前の駐車場でバスを降りると、入り口に朱塗りの両部鳥居が迎えます。
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ここの注連縄も中央で左右からのを結んでいました。
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ここは鎮守の守りといった規模のお宮さんです。
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社伝によると、推古天皇12年(604年)に大和国の大神(おおみわ)神社から勧請して創建されたという。
藤原資家(すけいえ)が賊を征伐する際に戦勝を祈願した。資家は平安時代の人物で、藤原北家道長流の一族、 那須氏の祖で、天養元年(1144年)に社殿を造営した。以後は資家の子孫である那須氏によって那須氏が除封されるまで守られ続けてきた。
那須氏除封後は、地元の氏子により維持されている。

沿革は、境内案内より転記します。
始め毛野国三輪山と称する当山の三つ又の槻木(現在のケヤキ)の大木を御神体として芽の 輪を捧げて奉祀する。
元明天皇和銅六年(七一三)に初めて神殿を建立する。
称徳天皇神護景雲二年(七六八)神祇官(勅使)の奉幣に預かり三和の神号を勅宣される。
仁明天皇承和五年(八三八)九月下野国那須郡三和神官社に預かる。〔続日本後紀〕
陽成天皇元慶四年(八八〇)八月下野国従五位下三和神、正五位上を授けられる。〔三代実録〕
光孝天皇仁和元年(八八五)二月下野国正五位上三和神、従四位下を授けられる。〔三代実録〕
醍醐天皇延喜五年(九〇五)延喜式神名帳に選載され式内社となる。〔延喜式〕
堀河天皇長治二年(一一〇五)須藤権守貞信、八溝討伐に際し三和神に祈願する。
近衛天皇天養元年(一一四四)八月本社拝殿造立、現社殿は明治一六年新築、昭和四五年改築する。
また、神社には氏子により五穀豊穣を祈願する天祭(町指定無形民俗文化財)が天正年間 (一五七三~一五九一)から伝えられている。

拝殿
御祭神は大物主命。
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拝殿前の狛犬。溶岩を石材にして彫った感じですね。
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拝殿を斜めから
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社額
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拝殿内部
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拝殿正面に「飛天(翼があるので、仏教では迦陵頻迦となるが)」の額があった。
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お寺では「飛天」は珍しくないが、神社で飛天とは?

帰ってきて、ネットで調べてみると「神社と飛天」に関しては2件見つかった。
一つは、高砂市の曽根神社の観音堂の釣鐘に彫られているという。
これは神社にあるけど観音堂でしかも釣鐘である。やはり仏教系。
福岡県古賀市、天降神社神殿の彫刻である。本殿を飾る木造彫刻は、江戸時代中頃(18世紀前半)の作で市内随一の見事な彫刻であり、本殿入口の海老紅梁(えびこうりょう)の飛天像は、明治維新の廃仏毀釈の際、地元住民の配慮で難を逃れた、とある。
明治維新の廃仏毀釈のときに問題になったとあるので、これも神仏混淆の産物らしい。

やはり、三和神社の奉納額も神仏混淆の産物であろうか。

神紋は、手彫りの感じだが「菊」ですね。
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神明流れ造りの本殿
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拝殿の左側に伝承館の建物があります。
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三和天祭りというのが平成6年(1994年)に町指定無形民俗文化財に指定され、この建物で行われていたようです。しかし、残念ながら5年前から途切れてしまっているそうです。

境内社の八雲神社
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境内社の稲荷神社
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なお、当社の駐車場の近くに、春になるとカタクリが群生するそうです。

東国の三和神社創建の順をたどると、崇神天皇の御世に東国の豪族たちが大和政権に屈していったルートを知ることが出来るそうです。
豊城入日子の東国征討の話と相まって、とても興味を引く話です。
私も、そういう観点からも、これから注意してみていきたいな、と思いました。


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html





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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

「三和大明神」を祭っていて、御祭神は「大物主命」? ううんと思ったのですが、そう言えば、「三輪大神=大物主命」でしたね。

神仏混合ですが、先日読んだ本によると、江戸時代は神社はお寺が管理していたようで、例えば、上中里駅近くにある「平塚神社(当時は、平塚権現)」はすぐそばにある「城宮寺」が管理していたのだそうです。どうも、「神仏混合」と言う状態は、実際は神社はお寺の支配下にあったと言うことのようです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
神と仏ということになると、
明治維新で廃仏毀釈ということで、仏教は
痛い目に合いましたし、
終戦で、進駐軍から神社は大変に痛めつけられました。
ようやく元気になって来たお宮さんと、
相変わらず寂れたままのお宮さんと
分かれてきましたね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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