大我井神社(延喜式内論社)/埼玉県熊谷市

20131107

11月2日(土)に、さきたま古墳群にある史跡の博物館の「さきたま講座」を受講しました。内容は5日の記事のとおりですが、その日それではと、あの辺にある式内社に午前中行くことにしました。
何処に行こうかと考え、10/26日に「奈良神社」に行きましたが、その先のやはり407号線沿いにある大我井神社(おおがいじんじゃ)を選んだわけです。
407号線というのは、東山道武蔵野路だったと推定されている道です。
407号から入っていくと、まず妻沼聖天山歓喜院があり、そこの駐車場に停めました。大我井神社の場所がだいたいの方角しかわかっていなかったので。

鳥居は神明式です。
131106ogai01.jpg


鳥居をくぐると左右に祠がありますが、表示はありません。門神だと思います。
131106ogai02.jpg


手水舎
131106ogai03.jpg


参道の左側には、まだかろうじて高い樹が残っていました。
131106ogai04.jpg


参道の右側にもあったのだと思いますが、切り株と大きな穴があったので、樹が枯れたか倒れてしまったかのようです。
131106ogai05.jpg


なので、唐門と社殿だけが目立ち、左に富士塚があるのが見えます。
131106ogai06.jpg


唐門の由来
当唐門は明和7年(186年前)若宮八幡社の正門として建立された 明治42年10月八幡社は村社大我井神社に合祀し唐門のみ社地にありしを大正2年10月村社の西門として移転したのであるが爾来40有余年屋根その他大破したるにより社前に移動し大修理を加え両袖玉垣を新築して面目を一新した。
時に昭和30年10月吉晨なり
131106ogai07.jpg


彫刻は立派ですね。
131106ogai08.jpg


拝殿
131106ogai09.jpg


131106ogai10.jpg


131106ogai11.jpg


御祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命。
配祀が大己貴命。
合祀は、倉稻魂命、誉田別命、天照皇大神、速玉男命、事解男命、天穗日命、石凝姥命、菅原道眞。

日本武尊、東夷征伐のみぎり、軍糧豊饒の為に二柱大神相殿二神を合祭、始て大我井の森に稲置を建給いし神社という。鎮座地は利根川右岸の自然堤防の上。
奈良期に入植した渡来系氏族が、大我井の森に神社を祀ったことにはじまる。
平安後期に当地を支配した斎藤実盛が、自らの守護神であった聖天社を勧進し、以来総鎮守として発展するが、同時に白鬚神社の信仰は衰退。その後聖天宮は、忍城主成田氏や徳川家康によって庇護された。
当社は神仏分離令によって明治元年12月に聖天社境内を分割し、東側に伊邪那岐神・伊邪那美神を祀る「二柱神社」を建立。聖天社そのものは聖天山歓喜院が寺院として運営。
明治2年に社名を二柱神社から、古来以来の森にちなむ大我井神社と改称し社殿を造営。
女沼村聖天宮を式内社楡山神社の論社とする説もある。

住僧と神職の争いの話もあります。
慶応4年(1868)9月、神仏分離の布達に際し、当宮に奉仕する彌宜職の三人(田島河内・堀越大和・橋上宮内)は、密議を交して村役人に相談もせず、京都及び東京の裁判所に願い出て聖天宮を神宮の掌中に獲得しようと謀った。そのため時の住僧稲村英隆は入獄の難を受けたが、氏子一般民は寺院側に加担する者多く、神職側に不利が生じて止むなく時の判事の斡旋により、当時の聖天境内十二町九反余を二分し、七町九段余は聖天宮境域とし、残り五町余は大我井神社社地となし、「如絵図面、宿井往來可爲境事」と定めた。また「当村外廿八箇村、二柱之神之可爲氏子事」・「聖天之儀者、從是後、当村外二十八箇村永代可爲講中事」として円満に解決をみたのである、とあります。

拝殿内部
131106ogai12.jpg


神紋は、拝殿屋根瓦に「連珠三つ巴」があります。
131106ogai13.jpg


また、唐門には「連珠三つ巴」と「笹竜胆」の神紋があります。
131106ogai14.jpg


拝殿の後には神明造の本殿があります。
131106ogai15.jpg


131106ogai16.jpg


131106ogai17.jpg


本殿の千木と鰹木ですが、祭神が男女の神なので、どうなのかなと思い見ると、千木が外削ぎ、鰹木が奇数という事で、いずれも男の神を表わしていますね。
131106ogai18.jpg


本殿の後ろから
131106ogai19.jpg


拝殿の左に富士塚があります。
131106ogai20.jpg


頂上への石段の左右には、富士講にちなむ石碑が立っています。

○行(?)神霊(教祖・長谷川角行ではないかと思います)
131106ogai21.jpg


何の祠か不明
131106ogai22.jpg


角行霊神(富士講教祖)
131106ogai23.jpg


富士浅間大神
131106ogai24.jpg


小御嶽大神
131106ogai25.jpg


身禄神霊(食行身禄(伊藤伊兵衛))
131106ogai26.jpg


頂上に冨士浅間大神
131106ogai27.jpg


頂上からの境内の眺め。見えているのは唐門。
131106ogai28.jpg


西の鳥居。笠木に屋根がかかっている。木製の八幡鳥居が傷まぬよう屋根をかけたのか。
もしかしたら柱に穴があるので、両部鳥居だったものを稚児柱を取ってしまったのかも知れない。
131106ogai29.jpg


西の鳥居から入ったところに石碑が並んでいる。
131106ogai30.jpg


右から、正面に「是より西 摩多利神道」、側面に「従是北 御社領」と記された標石。
131106ogai31.jpg


冨士嶽大神
131106ogai32.jpg


浅間大神
131106ogai33.jpg


浅間大神
131106ogai34.jpg


冨士嶽
131106ogai35.jpg


伊奈利大神
131106ogai36.jpg


高尾山
131106ogai37.jpg


御山改修記念碑
131106ogai38.jpg


参道の左側に石が祀られています。
131106ogai39.jpg


傍に「福石由来坐碑」という碑が立っています。
131106ogai40.jpg


131106ogai41.jpg


その下に彫られているのは、下記の文章です。
『福石由来坐碑
敬神尊王帝国大典亦我国民通社也故古今不乏
其事蹟盖福石玉垣造營其一事也謹接乏由来當
天明二年関東大洪水山霊流下巨石丂停字森下
地先人々感尊奇蹟祀神称福石神社爾来霊験不
浅廡民仰其徳故官下論告合祀村社大我井神社
是實明治四十二年十月也??然神付臣石徳在
神庭森下荒井氏子寄竊??神慮佛今上陛下行
給即位大禮展大掌大義哉其孝奉祝?不能??
諮畫福石玉垣造營以為永久不滅祈念????
可謂教神尊王兩行今竣工茲記其概要以傳??
云爾時大正四年星次乙卯十一月也』

境内に芭蕉の碑があるというので、探しました。
社務所の傍らにひっそりとありました。
「春の夜は櫻に明けてしまひけり」
131106ogai42.jpg


131106ogai43.jpg


与謝蕪村の句碑もありました。こちらは、すごい立派です。芭蕉が気の毒になった(笑)
131106ogai44.jpg


「菜の花や月は東に日は西に」
131106ogai45.jpg


蕪村の句碑の前に、現代俳句の句碑が並んでいます。
131106ogai46.jpg


その横にも、猪俣千代子の句碑
「武蔵野に明日は初日となる夕日」
131106ogai47.jpg


131106ogai48.jpg


猪俣千代子は『寒雷』『杉』同人、埼玉県俳句連盟会長だそうです。

鳥居の前に、藤原光俊の歌碑
「紅葉ちる太我井の杜の夕だすきまた目にかゝる山のはもなし」
131106ogai49.jpg


131106ogai50.jpg


藤原光俊は鎌倉時代の歌人。新三十六歌仙のひとり。書は相馬御風。

最後に、宮崎利秀の句碑。
「下駄はきの一教師たり稲の花」
131106ogai51.jpg



いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

初めて名前を聞いた神社ですが、郷社を立派にしたような感じの神社ですね。

さて、富士塚ですが、手持ちの資料を調べてみましたが、ここの富士塚は「明治21年築造、昭和12年修復」と言うもので、毎年8/27は「火祭り」が行われるのだそうです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
matsumoさんは、毎年どこかの富士塚の山開きに
参加してますよね。
ずいぶんと富士塚に詳しいみたいですね。
私も、あちこちで富士塚に出くわすので、
大分関心が出てきました。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop