大福寺、騎西城(郷土資料展示室)/埼玉県加須市

20131121

13日(水)の歴史クラブの見学会で、玉敷神社、行田市真名板(まないた)の古墳・板碑・薬師堂、加須市龍輿寺の次に訪れたのがここでした。

【大福寺】
住所:埼玉県加須市内田ケ谷1110

大福寺は、熊野山弥陀院と写し、真言宗智山派の寺院です。宥幸和尚により開山されたと伝えられています。本尊には不動明王を奉安しています。
 平安時代の末期、大福寺一帯は武蔵七党の野与党に属していた多賀谷氏が、ここに館を構えていたといわれています。発掘調査では、当時の陶磁器なども出土しているそうです。多賀谷氏は、源頼朝の上洛の随兵や弓始め射手として活躍したと伝えられています。 
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山門をくぐると、左手に板碑が並んでいます。
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大福寺の板碑は、14基あります。中でも中央には全国で6番日に古いとされる天福2年(1234)の板碑があります。

左から順に撮影しました。
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武士などの名を連ねた交名板碑
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全国で6番日に古いとされる天福2年(1234)の板碑
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幅広の青石に大日如来の梵字を大き<刻み、月輪で囲んでありす。
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下部には大日如来を受ける蓮座が深<刻まれています。
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まだまだ板碑が続きます。
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阿閦如来(あしゅくにょらい)如来種子を刻んだ板碑
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境内には、このように沢山の石仏が集められていました。
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その中で、皆の関心をひいたのがこちら。
子供を抱いているのではないかという意見が多かった。
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【騎西城(郷土資料展示室)】
住所:加須市上三俣2255

続いて訪ねたのは、稲田に浮き立つ白亜の城。町制20周年を記念し昭和50年に建てられた。史実の騎西城は土塁を廻らした平屋の館だが、天守閣を持つ城として復元された。館内には発掘訴査による出土品が展示され、豊富な陶磁器や武器・武具が在りし日の騎西城を偲ばせてくれます。
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騎西(私市)城は根古屋城・山根城とも呼ばれた城。いつ誰の手による築城か不詳だが康正元年(1455)には上杉・長尾・庁鼻和(こばなわ)氏らが守るこの城を足利成氏が攻略、数百人を討ち取り、敗走させている。
さらに永禄6年(1563)には上杉輝虎(謙信)に攻められ、惜しくも落城した。
 天正18年(1590)、徳川家康の関東入国により、騎西城へは松平康重が入封。騎西領48ケ村、2万石の領主となった。この領域は現騎西町のほか、加須市・鷲宮町・久喜市・菖蒲町の-部に及ぶ。
寛永9年(1632)、大久保忠職の美濃国加納城(現岐阜県岐阜市)への移封により、騎西城は廃された。

館内の入り口には、いかに騎西城が重要だったかを説明していた。
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発掘された障子堀 
障子堀とは堀の中に畝を残し、敵の進入を阻害するもの。ここで発見された障子堀は戦国時代のもので、幅約50mの堀一面に深さ釣1.5mのすり鉢状の穴が整然と並べられていた。
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障子梅から出た、南北朝期の特徴を残す兜。鉢の部分は16枚の鉄板を矧ぎ、錣(しころ)や吹返しの小札は革を黒漆で固めたと思われるが、革が腐食し漆だけが残っていた。
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出土した銅銭
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馬甲(馬の鎧)
障子堀から140枚見つかっている。
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短刀
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冑の前立ての一部
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戦国時代の鉄鍋鋳型
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徳川家康から騎西城主に、朝鮮出兵の準備を進めるように言ってきた手紙。
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騎西城から出された「年貢割り付け状」
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年貢の納付が済んだという「皆済状」
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安政2年の地震被害届
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伊勢暦
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縄文時代の出土品で、いままで講義を受けたが実物を見たことが無かったものがあって、嬉しかった。

穴を掘る、木を切る石斧。
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つぶす、たたき石
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粉にする摩石(すりいし)、石皿。
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縄目をつけた石
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砥石
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古墳時代の埴輪にも、いいのがありました。

馬形埴輪と水鳥形埴輪
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人物形埴輪と猪形埴輪
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(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、板碑も当たり前ですが、壊れたものもあるのですね。やはり、古いものだったのですね(笑)。

そう言えば、以前にどこかの城跡に観光用に城を造ると言う話があった時、史実になかった天守閣を造るかどうかで話題になっていたことを思い出しました。やはり、城は天守閣がないと城らしくないですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
板碑は埼玉の誇りですね。

天主閣については、江戸城の天守閣再建を
しりぞけた保科正之、松平信綱の英断を
知っているだけに、
なんだかなあ・・・・・
と思ってしまいます。

天主閣は実に恰好いいですけどね(笑)
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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