鷲宮神社/埼玉県久喜市

20131122

住所:埼玉県久喜市鷲宮1丁目6番1号

13日(水)の歴史クラブの見学会で、玉敷神社、行田市真名板(まないた)の古墳・板碑・薬師堂、加須市龍輿寺、大福寺、騎西城(郷土資料展示室)の次に、最後に訪れたのがここでした。

社号標
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由緒:
当神社は、出雲族の草創に係る関東最古の大社である。由緒は神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。
崇神天皇の御世には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。
景行天皇の御世には、日本武尊が当社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。
桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当社の御分社を奉祀した。
中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有利な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。なかでも江戸時代には、四百石の神領を与えられ、代々の将軍の名で朱印状が残されている。
 明治天皇の御世には、神祗官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。そして明治天皇行幸の際、当社に御少憩され、祭祀料として金壱封を賜り、昭和天皇の御世にも、幣帛を賜った。

大鳥居
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参道
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狛犬
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八幡太郎源義家の駒つなぎの桜
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ここのお神楽の説明板がありました。
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鷲宮の神楽が書物に登場するのは、『吾妻鏡』の建長3年(1251)の記事であり、鷲宮神社の神前で神楽を行ったところ見事な託宣(神のおつげ)が現われ、祈願が成就したといいます。しかし、この神楽が今に伝わるものと同じであるかは明らかではありません。
この他にも神楽を知る上で貴重な書物が残されています。一つは、享保11年(1726)、大宮司藤原国久の筆写による『土師一流催馬楽神楽歌実録』です。これには、神楽の中で歌われる催馬楽などの歌詞や神楽で使われる衣装、持ち物などが詳しく書かれています。
もう一つは、天保年間(1830~1843)に鷲宮神社の大宮司藤原国政が記した『鷲宮古式神楽正録』の写本で、神社の由来や神楽の詳細な内容が書かれています。これによると、藤原国久が廃れた祭祀を再興しようと「当社奥秘を社人に伝授」し、宝永5年(1708)に十二座神楽を行ったことがわかります。
これらの記録などから、現在の十二座の神楽が編成されたのは、宝永5年~享保11年頃、今から270~290年ほど前のことであったと推定されます。
なお、この神楽は、関東神楽の源流といわれ、江戸の里神楽の基礎を形成しました。『海録』(19世紀前半)という書物によると、当時江戸で行われていた十二座の神楽の原形に、「土師の舞」と呼ばれるものがあり、これは17世紀の後半頃江戸に入ってきたものであることがわかります。この「土師の舞」とは、十二座に編成される以前の鷲宮神社の神楽のことでありました。このことは、『鷲宮古式神楽正録』に書かれており、鷲宮側でもそのことが伝えられています。
日本を代表する神事芸能である神楽とは、神をまつる音楽や舞いのことです。
古くは、神遊びといい、その語源は、カムクラ(神座)からきたと言います。のちに様式化・芸能化され神楽となりました。
鷲宮神社に伝わるこの神楽は、国の重要無形民族文化財に指定されています。一般に「鷲宮催馬楽神楽」と言われていますが、正しくは「土師一流催馬楽神楽」と言います。
「土師」というのは、「土師の宮=鷲宮」転訛説に準じたものです。また、「催馬楽」とは、平安時代に広く流行した歌謡で、この神楽の各曲目ごとに歌われます。
曲目は、以前三十六座あったといわれていますが、現在は十二座形式になっています。
曲目の大半は、記紀(『古事記』と『日本書紀』)の神話を題材としています。演劇的な要素の強い江戸の里神楽に対し、演劇的な要素はなく一種の舞踊劇となっています。
舞いは、二人以上の連れ舞いが多く、宗教味の濃い動作が含まれており、古い祭りの儀式や作法をしのばせる格式をもっている典雅な舞いです。
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立派な灯篭がありました。
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手水舎
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社殿
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拝殿
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ご祭神は、天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)

神紋は「右三つ巴」でした。
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拝殿の奥に、ご本殿が鎮まります。
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最初に祀られたという「神崎神社」が本殿と並んであります。
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神崎神社は玉垣の隙間が小さくて、よく見ることが出来ませんでした。
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これが精一杯でした。
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神楽殿
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いろいろな絵馬がかかっています。
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これは「天石屋戸」を描いています。
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鷲宮の神輿
約3トンあり、いわゆる「千貫神輿」です。県内では最大ですが担ぐのに300人くらいが必要とあって、なかなか担げないでいました。近年は関東一円から担ぎ手が集まり、毎年9月の第一日曜には勇壮に担がれているとのことです。
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光天之池(みひかりのいけ)
古くから所在していたこの池は、経年とともに次第に土砂が水面に流れ込み、長らく地中に埋もれていた。この場を含む境内地にて平成11年(1999年)から境内整備事業の一環として復元作業および土砂の搬出が行われ、今日の姿となっている。また、池には「龍神様が住んでいる」という伝承がある。
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境内社もたくさんありました。

久伊豆神社
御祭神:大己貴命
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左:八坂神社、右:八坂神社神輿庫
御祭神:建速須佐之男命
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鹿島神社
御祭神:武甕槌神(タケミカヅチノカミ)
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八幡神社
御祭神:誉田別尊(ほんだわけのみこと)=応神天皇
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諏訪大神=建御名方命(たけみなかたのみこと)
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姫宮神社
御祭神:宗像三女神(多紀理毘売命(たきりびめ)、市寸島比売命(いちきしまひめ)、多岐都比売命(たぎつひめ))
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社務所の前にあったのが、「寛保治水碑」
県指定史跡です。
高さ2.6mの石灯籠に「刀禰上流以南修治告成り碑」と記し、長文の文字が刻まれています。
寛保2年(1742)8月、利根川が氾濫し、江戸市内にも達し、幕府は諸大名に堤防等の修築を命じた、その中で、羽生、騎西領を含めた上利根川南側の地域を担当した毛利家の工事は、特に困難を極め、人足100万人以上を要した。その完工記念にたてられた碑で、当時の難工事の様子が詳しく記されている。 なお、文章は江戸時代中頃の代表的儒学者である服部南郭の撰文である。
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おみくじに光があたって・・・・
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ご神木(?)のまわりに絵馬が。
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アニメ&ゲーム「らき☆すた」の舞台のモデルに当神社がなったそうで、絵馬も若い人のものが多いようです。
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ちなみに、このような由緒がある当社が式内社でないのは、恐らく当地一帯が利根川や中川の乱流地帯で、まだ開発が行き届かず、これを祀る氏族もその勢力が弱かったためだと思われます。



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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html



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コメント

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四季歩さん、こんにちは

鷲宮って、聞いたことがあると思って調べてみたら、東武伊勢崎線に鷲宮駅があるので、多分、そこから行ける神社ですね。

千貫神輿って、結構、方々にあるのですね。今は神輿同好会と言うのが沢山あるようで、お祭りに行くと、結構、集団で来ている人達が来ていますね。と言っても、今は、その町内の半纏がないと担げない仕組みになっているので、事前に話し合いが行われているのだと思います。まあ、都区内は住んでいる人が少ないので、神輿の担ぎ手も少ないので、仕方がありませんが。私は生まれてからずっと都区内に住んでいますが、神輿を担いだのは、小学生の前半だけです。その頃は、半纏ではなく、揃いの浴衣で担いでいました。

matsumoさん

コメントありがとうございます
お神輿は、私は全く担いだことがありません。
あれは大変ですね。
今年、密着して写真を撮ることがあったのですが、
担ぎ手の交代のやり方も面白いものですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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