出雲祝神社(延喜式内論社)/埼玉県入間市

20131129

住所:埼玉県入間市宮寺1

式内社めぐりですが、武蔵国では家から近いほうからだと地元廣瀬神社、川越氷川神社に行ったので、今回27日(水)には、入間市の出雲祝神社と所沢市三ヶ島の中氷川神社に行ってきました。

最初の入間市・出雲祝神社には近くの小学校をナビに入力したので、スムーズに行けました。

駐車場にはここの社叢「寄木の森」の説明がありました。
天穂日命の子孫が出雲の国よりこの地にやってきた時に樹種を携えてきて植樹したのがこの森で、市内ではめずらしいオガタマノキや野生のヤブツバキなどがあり、林相としては主にヒノキ・スギ・ヒサカキなどから構成されている。
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駐車場から本殿前への近道があり、これも良い感じでしたが、まずは一の鳥居に回ります。
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社号標
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なお、「入間郡・出雲伊波比神社」に比定されている論社としては、川越氷川神社、毛呂山・出雲伊波比神社、所沢・北野天神社に合祀されている物部天国渭地祇神社、および当社ということになります。

当社は、狭山丘陵の北麓、不老川(としとらずがわ)の流域にあります。
氏子区域宮寺は古くから人々の居住した所で、縄文中期の石塚遺跡、古墳後期の元狭山久保地坑遺跡がある。 当社創建を語る社伝も古く、景行天皇の代、日本武尊が東夷征伐のとき、当地小手指ヶ原に至り、天穂日命、天夷鳥命を祭祀して出雲祝神社としたといいます。

由緒:
もと寄木明神。第十二代景行天皇の頃(約2000年前)、日本武尊が東夷征伐に当たられた時、当地に立ち寄り、天穂日命・天夷鳥命を祭祀して、出雲伊波比神社と崇敬したことに始まる神社。
天穂日命の子孫が、出雲国より当地にやってきた際に樹種を携えて播種したのが、出雲祝神社の社叢で「寄木の森」といわれているという。

社号標の反対側に「牟佐志國造御社」と刻まれた石碑があった。祭神の兄多毛比命(えたもひのみこと)のことですね。
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一の鳥居(八幡型)
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鳥居の社号額は「寄木宮」となっています。
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参道が直線に続き、石段を上がると二の鳥居です。
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昭和7年(1932)建立の、流れ尾狛犬。
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二の鳥居(八幡型)
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こちらの社号額は「出雲祝神社」
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二の鳥居の横に、拝殿と向かい合う形で神楽殿があります。
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手水舎
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境内
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拝殿
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拝殿内部
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祭神は天穗日命(あめのほひのみこと)、天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)、兄多毛比命(えたもひのみこと)。
(合祀神)天照皇大神、大国主命、伊弉諾命、伊弉冉命、倉稻魂命、菅原道真、大山祇命、市杵嶋姫命、速玉男命、事解之男命、大屋毘古命

神紋は「亀甲剣片喰」でした。
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拝殿の後ろに本殿の覆い屋があります。
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この覆い屋に設けてある隙間は、極々狭く、中は真っ暗で、まったく本殿は見えませんでした。
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次に境内社ですが、社殿の右側には八雲神社があります。
前には落ち葉がすごい。きれいな落ち葉でした。
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八雲神社
祭神:建速須佐之男命
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社殿の左側には護国神社があります。
前には銀杏の落ち葉が積もっていました。
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お賽銭受けの箱には、手彫りの可愛い大国さんと恵比須さんが置いてありました。
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社殿の裏手には、茶業に関係する碑があります。
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重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)といいます。
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天保3年(1832)に撰されたもので、狭山茶の由来が記されています。題額は前縫殿頭(さきのぬいとののかみ)松平定常、碑文は後の大学頭(だいがくのかみ)林韑(はやしあきら)が作り、当時の一流書家であった巻大任(まきのたいにん)(菱湖)が筆をとったものです。
宇治の蒸し製煎茶法による新たな茶づくりを確立した狭山茶業復興の記念に建てられたといいます。
鎌倉時代栄西によってもたらされたという茶は、各地に広まり、この地方にも川越茶がつくられた。その後戦国の乱をへて衰微したが、江戸時代の後期に狭山茶復興の機運が起こり再興され、文化・文政時代に至って茶の復興し、茶戸五十有余におよび江戸との取引も盛んに行われた。
  碑文には、日本での茶の歴史、武蔵河越茶から狭山茶に至る経緯、復興に尽力した人物 吉川温恭と村野盛政、そして江戸の茶商山本家の六代目、山本嘉兵衛徳潤の名が記されています。また 茶の効能、茶づくりに対する心構えなどがまとめられて います。
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この碑の後方には、一つの畑に茶が栽培されていました。
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html






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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

「立派な村社」と言う感じの神社ですね。祭られている神様達、「菅原道真」以外はみんな「命」なのですから、やはり、道真は別格なのですね。

狭山と言えば、「狭山茶」が有名ですが、神社のそばの茶畑を含めて、ここ30年間位の宅地化に伴い、茶畑の面積って、随分、減ってしまったのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
そうですよね。
狭山市、入間市ともにベッドタウン化しましたからね。
私も、まぎれもなく侵入者の一人ですが(笑)
土地もさることながら、後継者でしょうね、問題は。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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