古事記を知る(23)

20131206

4-6 少名毘古那神と御諸山の神
故大國主神坐出雲之御大之御前時。自波穂。乗天之羅摩船而。内剥鵝皮剥爲衣服。有歸來神。爾雖問其名不答。且雖問所従之諸神。皆白不知。爾多邇且久白言。
自多下四字以音此者久延毘古必知之。即召久延毘古問時。答白此者神産巣日神之御子少名毘古那神。自毘下三字以音故爾白上於神産巣日御祖命者。答告此者實我子也。於子之中。自我手俣久岐斯子也。自久下三字以音故興汝葦原色許男命爲兄弟而。作堅其國。故自爾。大穴牟遅興少名毘古那二柱神相並。作堅此國。然後者。其少名毘古那神者。度于常世國也。故顕白其少名毘古那神。所謂久延毘古者。於今者山田之曾富騰者也。此神者。足雖不行。盡知天下之事神也。
於是大國主神愁而。告吾獨何能得作此國。孰神興吾能相作此國耶。是時有光海依來之神。其神言。能治我前者。吾能共興相作成。若不然者國難成。爾大國主神曰。然者治奉之状奈何。答言吾者。伊都岐奉于倭之青垣東山上。此者坐御諸山上神也。


(読み)
 カレオホクニヌシノカミイヅモノミホノミサキニマストキニ ナミノホヨリ アメノカガミノフネニノリテ ヒムシノカハヲウツハギニハギテキモノニシテ ヨリクルカミアリ カレソノナヲトハスレドモコタヘズ マタミトモノカミタチニトハスレドモ ミナシラヌトマヲシキ ココニタニグクマヲサク コハクエビコゾカナラズシリタラムトマヲセバ スナハチクエビコヲメシテトハストキニ コハカミムスビノカミノミコスクナビコナノカミナリトマヲシキ カレココニカミムスビミオヤノミコトニマヲシアゲシカバ コハマコトニアガミコナリ ミコノナカニ アガタナマタヨリクキシミコナリ カレミマシアシハラシコヲノミコトトアニオトトナリテ ソノクニツクリカタメヨトノリタマヒキ カレソレヨリ オホナムヂトスクナビコナトフタバシラノカミアヒナラバシテ コノクニツクリカタメタマヒキ サテノチニハ ソノスクナビコナノカミハ トコヨノクニニワタリマシキ カレソノスクナビコナノカミヲアラハシマホセリシ イハユルクエビコハ イマニヤマダノソホドトイフモノナリ コノカミハ アシハアルカネドモ アメノシタノコトヲコトゴトニシレルカミニナモアリケル
 ココニオホクニヌシノカミウレヒマシテ ワレヒトリシテイカデカモコノクニヲエツクラム イヅレノカミトトモニアハコノクニヲアヒツクラマシトノリタマヒキ コノトキニウナハラヲテラシテヨリクルカミアリ ソノカミノノリタマハク アガミマエヲヨクヲサメテバ アレトモドモニアヒツクリナシテム モシシカアラズハクニナリカテマシトノリタマヒキ カレオホクニヌシノカミマヲシタマハク シカラバヲサメマツラムサマハイカニゾトマヲシタマヘバ アレヲバモ ヤマトノアヲカキヒムカシノヤマノヘニイツキマツレトノリタマヒキ コハミモロノヤマノヘニマスカミナリ

(現代語訳)
 さて大国主神が出雲の美保の岬におられる時、波頭の上から蘿藦(ががいも)の実の船に乗って、蛾の皮を丸剥ぎに剥いで衣服に着て、近づいて来る神があった。そこでその名をお尋ねになったけれども、答えなかった。またお供に従っている神々にお尋ねになったけれども、みな「知りません」と申した。そのとき蝦蟇が申すには、「これはクエピコがきっと知っているでしょう」と申したので、すぐさまクエピコを呼んでお尋ねになると、「この神は神産巣日神の御子の少名毘古那神ですよ」とお答え申しあげた。
そこで大国主神が、神産巣日の御祖神にこのことを申し上げなさったところ、答えて仰せられるには、「これは本当に私の子です。子どもの中で、私の手の指の聞から漏れこぼれた子です。そしておまえは、葦原色許男命と兄弟となって、その国を作り固めなさい」と仰せられた。こうしてそれから、大穴牟遅と少名毘古那の二柱の神が共々に協力して、この国を作り固められた。そして後には、その少名毘古那神は、海原のかなたの常世国にお渡りになった。さてその少名毘古那神であることを顕わし申しあげたいわゆるクエピコは、今では山田のソホドという案山子である。この神は足は歩けないけれども、ことごとく天下のことを知っている神である。
そこで大国主神が心配して仰せられるには、「わたしは一人で、どうしてこの国を作り固めることができようか。どの神がわたしと協力して、この国を共に作るのだろうか」と仰せられた。このとき、海上を照らして近寄って来る神があった。その神が仰せられるには、「丁重にわたしの御魂を祭ったならば、わたしはあなたに協力して、共に国作りを完成させよう。もしそうしなかったら、国作りはできないであろう」と仰せられた。そこで大国主神が、「それでは御魂をお祭り申しあげるには、どのように致したらよいのですか」と申されると、「わたしの御魂を、大和の青々ととり囲んでいる山々の、その東の山の上に斎み清めて祭りなさい」と答えて仰せられた。これが御諸山の上に鎮座しておられる神である。

(注)
○御大の御前 島根半島の東端の美保関町の岬。
○天の羅摩船 「羅摩(かがみ)」は多年生蔓草の蘿藦(ががいも)の古名。長さ10センチほどの楕円形の実を割ると舟の形になる。
○鵝の皮 原文の「鵝」は「蛾」の誤りであろうとし、ヒムシと読んだ宣長の説に従っておく。
○たにぐく 「谷蟆(たにぐく)」はヒキガエルの古名。
○くえびこ 「崩え彦」の意で、案山子に与えた神名。
○少名毘古那神 小人の神で、常世国から訪れる農耕神。オホナムヂノ神に協力する神として説話に現われる。
○葦原色許男命 大国主神の亦の名。
○常世国 海のかなたにあると考えられた永遠の世界で、豊饅をもたらす神も、常世固から訪れると考えられた。○そほど 案山子の古名。
○我が前を治めば 私の御魂を祭ったならば。
○倭の青垣の東の山上 大和の青垣山の東の山の点の意で、桜井市の三輪山の上をいう。
○御諸山 「みもろ」は神霊のこもる神座をいう。「御諸山」は神体山のことで、ここは三輪山をさす。

(解説)
『伯耆風土記』や書紀には、スクナビコナノ神が粟を蒔き、粟が実ったとき粟茎にはじかれて常世国に渡った、という説話を伝えています。
海のかなたから寄り来たり、海のかなたの常世国に去る神であることは、海彼の異郷ニライカナイから豊穣をもたらすとされる、沖縄の穀霊信仰と相通じるものがあります。この神の正体を明らかにしたのが、蝦蟇や案山子であったというのも、スクナビコナノ神が、生産や農耕に関係の深い神であることを示唆しています。
案山子も、古くは田の神の依り代として立てられたもので、田の守り神でした。
オホナムヂ・スクナビコナ二神の農耕生活に関する興味深い説話は、「播磨風土記』にも記されている。
スクナビコナノ神が去って後、大国主神に祭りを要求したという三諸山の神の物語は、三輪山を御神体とする大神神社の鎮座縁起です。三輪の神もまた、農耕に関係の深い水を支配する神として、古くから大和で信仰された神である。
『日本書紀』では、三輪山の神はオホナムヂノ神の幸魂・奇魂であると伝え、オホナムヂノ神と同神化されているが、本来は別神でした。
なお三輪山の神に関する著名な三輪山説話は、崇神天皇の段に記されています。


神田明神にある、大国主神と少名毘古那神の像を載せておきます。

大国主神
131206kojiki01.jpg


131206kojiki02.jpg


少名毘古那神
131206kojiki03.jpg


131206kojiki04.jpg






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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この話しも私には訳のわからないもので、出てくる人達が、神様だか、人間だか、よくわかりません。だって、神様(大国主)に神様を祭れと言うのですから。その上、大国主は自分だけでは国を作れないですし。ここで描かれている大国主はもう人間と言ってもよいと思います。

また、海から現れて、また、海に戻ってしまうと言う話も、その後、祭られる訳でもないですし。ううん、出雲の後は、日本海に面したどこかに行ってしまったと言うことなのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
大国主命は、最初から人間ぽいですよね。
兄弟神から二度も殺されますし、スサノオにも
殺されかけます。

「常世の国」というのは、中世でも存在が信じられて
いたようで、特に熊野地方では。
熊野三山の僧が、たくさん常世の国に渡るのだと
船出したようですね。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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