出雲伊波比神社(延喜式内論社)/埼玉県入間郡毛呂山町

20131216

12月15日(日)に、武蔵国式内社めぐりをしてきました。まず向かったのが毛呂山です。隣の小学校をナビに入力したのでスムーズに現地に到着しました。

社号標
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当社に伝わる「臥龍山宮伝記」によると、景行天皇の53年に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征を成し遂げ、がい旋した際、この地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)をまつったとされ、また、成務天皇の御代に武蔵国造兄多毛比命(エタモヒノミコト)が、出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)をまつり、大己貴命とともに出雲伊波比神としたとされています。
奈良時代の宝亀3年(772)の大政官符によると天平勝宝7年(755)に朝廷から幣帛(ヘイハク・神前に供えるもの)を受けたという記載があり、出雲伊波比神社が官弊社であったことが明らかにされました。
平安時代には、醍醐天皇の勅命で編さんされた延喜式神明帳のなかで武蔵国入間郡五座の筆頭にあげられており、古来より格式の高い神社であったことが解ります。鎌倉時代以降、武士の信仰も集め、源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、また、大永7年(1527)の焼失後、翌亨祿元年(1528)には、毛呂顕繁が再建しました。

場所は、町の中にある山、臥龍山(がりゅうざん)の上にあります。
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長い参道が続きます。
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一の鳥居の前に、大正7年建立の流れ尾型狛犬があります。
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どういうわけか、猫が沢山いて、この通り(笑)
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一の鳥居は、享和三年(1803)建立の石造八幡型。
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二の鳥居に並んで手水舎があります。
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とてもきれいな水で気持ちよかった。
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二の鳥居は、大正11年建立の石造八幡型。
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境内は広々と清潔な空間となっていました。
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拝殿の様式は、唐破風&千鳥破風付きの入母屋造
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社額
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ご祭神は、大名牟遅神(おおなむちのかみ)、天穂日命(あめのほひのみこと)、品陀和気命(ほんだわけのみこと・応神天皇)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)他16柱です。

拝殿の彫刻が立派です。
拝懸魚の鳳凰
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向拝蟇股の龍
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木鼻の獅子
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虹梁には鯉の彫刻が施されています。
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一般的に、神社の形式では権現造りなど新しい様式ほど拝殿と本殿が幣殿を通じて繋がっているものが多い。が、この社は古い様式で拝殿と本殿には距離がある。
右が拝殿の裏
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拝殿と本殿の間には神門があり、瑞垣で囲われています。
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ベストショットを求めて、右側に回りました。
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本殿の様式は、一間社流造。この本殿は、焼失した本殿のあと、大永八年=享禄元年(1528)に、当地を治めていた武士:毛呂顕繁(もろあきしげ)により再建されたもの。
埼玉県内最古の本殿だそうで、国指定重要文化財になっている。
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神紋は「五七桐」で決まりと思ったのですが、拝殿と本殿の屋根に「三つ葉葵」もありました。
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境内社の八幡宮。品陀和気命が祀られています。
瑞垣内にはないが、形式上本殿と並列配置となっている。
この八幡宮は、康平6年(1063)源義家が奥州を平定し凱旋の際冑のいただきに鎮め奉った八幡大神の魂を大名牟遅神の御相殿に遷し奉られ、後に別宮を建てて八幡宮と称えられてきたが、現在は本社に合祀されている。
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神楽殿
流鏑馬神事の日には、神楽も奉納されるそうで、来年のたのしみとなりました。
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絵馬も流鏑馬ですね。
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社殿の横に、長い流鏑馬の馬場があります。
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康平六年(1063)に源頼義(みなもとのよりよし)・源義家(みなもとのよしいえ)父子は、奥州反乱=前九年の役(ぜんくねんのえき)を平定し、その凱旋の際にこの神社で、「流鏑馬騎射」を奉納した。これが流鏑馬の始まりとか。
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馬場の写真を撮っていたら、産子の代表ではないかと思われる方に声をかけられ、お話を伺いました。
そのお話と、帰ってから調べたことをここに書いておきます。
例祭(11月3日)には、町内の家の長男(小・中学生)が乗り子を務める流鏑馬神事があり、一の馬・二の馬・三の馬に別れ、白(源氏)・紫(藤原氏)・赤(平氏)に色分けし奉納される。因にこの流鏑馬が埼玉で見られるのは当社だけとなっている。
ちなみに子供は三年間乗るそうで、一回だけではないので安心しました。
神事までは10月上旬から準備され、当日は午前0時のもちつきから始まり、朝的(あさまとう)、野陣、夕的(ゆうまとう)と続く。夕的の神事では願的、矢的、扇子、のろし、みかん、鞭などがあり、これは戦国時代の武士の鍛錬・出陣から凱旋までを表現しているといわれ、乗り子は町内の家の長男(小・中学生)が務めている。乗り子の服装は陣笠、陣羽織、袴で騎射の際に烏帽子をかぶり、そして花笠に馬印や母衣を背負い、帯刀した正装は夕的の出陣の時に見ることが出来る。
馬は、日高とか近くの牧場の馬を借りるそうで、乗り手の子供は牧場に通って練習する。

長い馬場を歩いてみました。突き当たりを曲がると山道になり、参道にもなっているようです。
本殿の裏手のあたり。
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反対側にも、杉の林が続いています。
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街からの道路に降りました。
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馬場に引っ返してくると、社殿に並んで巨樹が生えています。
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馬場の端から、拝殿、神門、本殿の並びに一礼をして、駐車場に戻りました
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html






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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

立派な神社ですね。特に、彫刻がいいです。

さて、どこにあるのかと思って地図を調べてみたら、東毛呂駅と毛呂駅の間にあるのですね。この辺り、大昔、仕事の関係で、多分、20回は歩いている所です(と言っても、行きは東毛呂駅からタクシーで、帰りは歩きで、毛呂駅のそばを通って東毛呂駅までと言う行程でしたが)が、残念ながら、神社の記憶はありません。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
あの辺に通ったことがあるとは驚きました。
東京からだと、大変ですよね。
また、仰るようなコースだと、当然山(丘?)には
上がりませんからね。
通らなかったと思います。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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