「菅谷館跡周辺を歩く」&「観音霊場と武士」/嵐山史跡の博物館

20131221

昨日、20日(金)に、歴史クラブの先輩に誘われ参加しました。
嵐山の史跡の博物館の企画です。
天気予報は、朝は弱雨だが9時から晴れという予報だったのですが、かえって雨が強くなってしまい、雨の中を3時間半歩き回りました。

コースは、史跡の博物館を出発、班渓寺、鎌形八幡、大蔵館跡、源義賢墓、史跡の博物館に帰着。
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今回訪れた場所は、全て「鎌倉街道散歩」で行ったことがある場所でした。
その記事は下をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/ranzan.html

それでも、新たな発見もありました。

班渓寺
ここは、木曽義仲の妻で、清水義高の母である「山吹姫」が二人の菩提を弔うために草庵を結び、寺になりました。
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雨の中、一列になって鎌形八幡に向かいます。
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鎌形八幡
前回来た時には無かった、木曽義仲の幟がたくさん立てられていました。
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今回配布された資料には、「新編武蔵風土記稿」の文章が添えられていて、これが有難かった。
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参道とTの字になっている道は、かって流鏑馬が行われた馬場だったそうです。
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大蔵館跡
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「新編武蔵風土記稿」の記事
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発掘で明らかになった地図
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傘をさして説明を聞く参加者
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前回来た時気が付かなかった「空堀」
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源義賢墓
前回、一人で来た時は場所がわからず、グルグル廻ったりしましたが、今は畑の中の入り口に大きな碑が立っています。
「帯刀先生」というのは、皇太子の護衛官(776年設置)の指揮官です。
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「新編武蔵風土記稿」の記事
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個人の人の畑の中にあり、好意で道を設けてくださっています。
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その道の脇に、高さ40cmほどの小さな板碑がひっそりとありました。
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公道を挟んだ反対側にこんな碑が。
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「馬場文治郎義綱」とは誰だろうと読んでみたらビックリ!!
木曽義仲の遺児が生き残っていたんですね。
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私の旧姓は「依田」です。
木曽義仲が旗あげをして、信州に入り頼ったのが依田七党の頭領、依田六郎為実です。依田六郎為実の妻が源義賢の妹だったからです。
それで、木曽義仲の軍勢は大きくふくれあがり、京にのぼることができました。

また、清水義高が鎌倉に居た時の、お付きの者は海野幸氏と望月重隆です。
海野も望月も依田七党の一族です。
ちなみに「海野幸隆」が真田に移住してから「真田幸隆」と名字を変え、その子が真田正幸と幸村です。

これで雨中の史跡巡りは終り、史跡の博物館に戻り、持参の弁当で昼食。
やっと人心地が戻りました(笑)

昼食休憩後、いま博物館で行っている企画展「観音霊場と武士」を学芸員の方が案内・説明をしてくれました。
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その中から、幾つか紹介をしておきます。

「観音霊験記」という錦絵がすごかった。
江戸時代末期出回ったもので、西国札所と秩父札所については全て現存しているが、坂東札所は15枚しか存在しないようです。

「坂東札所第二番海雲山岩殿寺」
石橋山の合戦に敗れた源頼朝が船で房州に逃れたとき、観音が船頭になったと描かれています。
船の中で平伏しているのが頼朝。
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「秩父札所第三十一番鷲窟山観音院」
畠山重忠の忠臣本多次郎親常の話が描かれている。
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「観音霊験記」の錦絵が本になったのが無いかなと思い、アマゾンで検索すると、やはりあったようだが「現在取り扱っていません」となっている。出品者が居ないようだ。
これは、そのうち手に入れたいなと思っている。

比企郡ときがわ町の「慈光寺」は頼朝が深く信仰していたそうで、ここにある「法華経一品経」は、厳島の平家納経、静岡県鉄舟寺の久能寺経とともに「日本三大装飾経」の一つだそうです。
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さいたま市岩槻区にある慈恩寺にある、徳川家康寄進状。
「大納言源朝臣」とあり、印文は「恕家康」
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秩父札所案内絵図
江戸時代のもので、現在とまったく同じ。
江戸時代に、江戸からやって来た人が効率よく回れるように、それ以前と番付が変わり、しかも34番と一つ増え、西国、坂東と合わせてちょうど百番となるようになった。
増えたのが、第二番真福寺。
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そのあと、希望者には菅谷館を案内することになっていましたが、私たちは既に何度も来ているので、これで終了としました。



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コメント

No title

四季歩さん こんばんは
以前、四季歩さんのご紹介通りにこのコースを歩いたので、写真を見て懐かしくうれしくなりました。

天気予報が悪いほうに外れて残念でしたね。
冷たい雨の中を歩く皆さんの熱心さに感心しました。

No title

四季歩さん、こんにちは

いや、あの雨の中、大変でしたね。でも、参加している人、結構、多そうですね。

さて、「観音霊験記」ですが、「国会図書館」の「デジタル化資料」を確認してみたところ、あるようです。白黒ですが、インターネット経由のパソコン画面で見られるほか、印刷もできるようです。

コメントありがとうございます

Jさん
ほんとに、皆さん熱心です。
私は、たまたま先輩に引っ張られていったのですが。
ですが、以前行ったところでも、また新たな発見が
あるので、楽しいですね。

matsumoさん
「観音霊験記」は錦絵なので、やはりカラーでないと、
その魅力を楽しめません。
神田の古本街で探そうかな、とも思っています。
例えば秩父の札所で該当する錦絵を売っていれば、
私なんか、すぐに駆けずり回りますが(笑)
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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