深川七福神めぐり

20140105

4日、高島屋で木遣と梯子乗りを楽しんだ後、門前仲町に電車で移動し、富岡八幡宮から「深川七福神めぐり」をしました。
下図の右側から左に向かっていくルートです。
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【富岡八幡宮/恵比須】
富岡八幡宮は、初詣客で大変な混雑でした。
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当社については、既に詳しく記事を書いています。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1137.html

恵比須神は、富岡八幡宮境内の西側にある恵比須宮に奉祀されていますが、幸いこちらはさほど混雑していませんでした。
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恵比須さん
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【冬木弁天堂/弁財天】
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冬木弁天堂は、木場の材木豪商、冬木弥平次が宝永二年(1705年)、茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置しました。そのためいまでもこの町を冬木町といいます。この弁財天は、等身大の裸形弁天にして、毎年一回衣装の着替行事をおこなってきましたが、大正十二年の関東大震災に焼失しました。冬木弁天は、明治三年から一般に参詣を開放しました。現在の弁天堂は、昭和二十八年に再建されました。尾形光琳が、冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために書いた秋草の小袖が、上野国立博物館に保存されています。冬木弁天堂は、古義真言宗に属しています。

弁天さま
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【心行寺/福禄寿】
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福禄寿の安置してある心行寺は、元和二年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立された浄土宗の寺で開山は観智国師の高弟である屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室、養源院殿であり、寛永十年(1633年)現在地深川寺町に移った由緒ある名刹である。関東大震災と昭和二十年の戦災により二度も焼失したが、現在の本堂は昭和四十二年に再建された。

昭和五十年に福禄寿が安置されている六角堂が完成した。
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ところが、非常に目の細かい金網が張られていて、ほとんど像がわかりません。
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その横に石造の福禄寿が置かれていますが、六角堂内の福禄寿とは杖を持っている手が違うなど、異なりますね。
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「影窓院地蔵」
当寺に在った塔頭の影窓院にあったお地蔵さまで、縁結び、願い事成就のお地蔵さまとして、江戸時代から信仰されているという。
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「江東区最古の五重石塔」
元享4年(1324)の銘があり、江東区最古のものだという。
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清澄通りを行き、「海辺橋」で仙台堀川を渡ります。
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渡ってすぐ、「滝沢馬琴誕生の地」があります。
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【円珠院/大黒天】
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円珠院は、享保のころ旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立しのち、円珠院殿妙献日寄大姉の法名で、享保十五年末(1730年)に此の寺に葬られました。
享保五年(1720年)十一月十三日画かれた大黒天の掛軸があり、木造の大黒天が安置、境内に石造の破顔大黒天が安置されています。江戸時代から、深川の大黒天として有名でした。

木造の大黒天
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石造の破顔大黒天
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【龍光院/毘沙門天】
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龍光院は、浄土宗雲光院の塔頭寺院で、慶長十六年(1611年)馬喰町(中央区)に創立、明暦三年(1657年)の大火に焼失し、岩井町(千代田区)に移転、天和二年(1682年)の大火に焼失し、同年深川の地に移転しました。
龍光院が現在地に移ったとき、鬼門除けとして境内東北角に、三尺ほどの石造の毘沙門天が安置され、昭和十一年には境内の東南角に一間半四面の毘沙門堂が建立されました。昭和二十年、戦災のため、堂宇は焼失しましたが、復興し、昭和五十年、木彫の立派な毘沙門天が安置されました。
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石造五輪塔
総高349cmという、区内有数の大きさ。貞享3年(1686)の銘あり、由緒不明。関東大震災後いまの場所に移築されたと伝えられる。
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次に移動する途中、素敵なトイレを発見。
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全国グッドトイレ10選に入選している。
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中には、こんな情報が掲示されていました。
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清澄庭園入り口を過ぎてすぐ、「ビリケンさん」を発見。
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大阪串かつのお店でした。
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【深川稲荷神社/布袋尊】
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深川稲荷神社は、寛永七年(1630年)の創立、深川地区では、創立の古い神社です。祭神は、宇賀魂命、西大稲荷ともいいます。この付近の旧町名は、深川西大工町でしたが、昭和七年八月一日深川清澄町と改称し、その旧名から西大稲荷と称しました。この神社の裏の小名木川は、江戸時代初期から、船の往来がはげしく、この付近一帯に船大工が住み、船の修繕、造船をしていましたので、この町名が生まれたといわれています。この神社は、無住社にして、町会によって管理運営されています。

布袋さん
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「萬年橋」を渡ります。
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橋から、小名木川と隅田川を。
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橋を渡ったところに「川船番所跡」の説明が。
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寄り道をして「芭蕉稲荷」にお参りしました。
ここは、以前「深川参歩」と称して芭蕉がらみの地を歩いたときに、こともあろうに寄らなかったところです。
詳細は別途記事にします。
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ついでに隅田川のテラスに出て、芭蕉翁の碑にも挨拶しました。
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そこからの隅田川の眺め。
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【深川神明宮/寿老人】
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深川神明宮は、深川において創立の最も古い神社であります。大阪摂津の深川八郎右衛門が、この付近に、深川村を開拓し、その鎮守の宮として、慶長元年(一五九六年)伊勢皇大神宮の御分霊をまつって創建しました。
徳川家康が、この村に来て、村名を尋ねたがないので、深川八郎右衛門の姓をとって、深川村と命名せよといわれた由以来深川村が発展し、深川地区の各町に冠せられたりし、深川の地名のもとになりました。

鳥居をくぐると、両側に神輿庫が並んでいます。
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注連縄をくぐると、社殿が。
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寿老人のお宮
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ピントが合っていません(汗)
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これで、めでたく完結となりました。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

深川七福神に行かれたのですね。さすがに、1/5(日)だとまだ、混んでいますね。

さて、「富岡八幡宮」の本殿左奥には「深川八幡富士」があるのですが、寄られなかったのでしょうか。この深川八幡富士は1722年頃に「石尊山」として築造され,1819年に再築されたが,1964年に破却、そして、2002年に再築されたと言う歴史があるものです。大昔、雑誌「AERA」の記者から都内の富士塚についてインタビューを受けた時、「最近、富士塚ができたのですよ」と言う話をしたら、その富士塚が写真と共に紹介されたと言う思い出があります。

matsumoさん

富岡八幡宮の富士塚については、知らなかったですね。
今回の七福神ではなくて、それ以前に富岡八幡宮の記事を
書いたときは、まだ富士塚については意識してませんでした。

matsumoさんは、インタビューを受けるほど
富士塚の大家なんですね。
すごいですね。
私も、けしかけられたように埼玉県の富士塚をものに
しなけりゃいけませんね(笑)
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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