山手七福神めぐり

20140109

7日に歴史クラブの行事として、回ってきました。
私も企画に参加し、12月に下見を行い、この日も案内役でした。

なんでも、白金高輪から目黒に向って巡拝すると御利益は「無病息災・長寿祈願」、その逆コースは「商売繁盛祈願」だそうです。
で、私たちは白金高輪からスタートすることにし、都営三田線の白金高輪駅下車で、歩き出したのは11時ころでした。
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【覚林寺/毘沙門天】
日蓮宗寺院の覚林寺は、最正山と号します。覚林寺は、小湊誕生寺十八世可観院日延が開山となり寛永8年(1631)に創建したといいます。可観院日延は、朝鮮の王族出身ですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正に捕えられ、後小湊誕生寺十八世となり、当地に隠居、当寺を創建したといいます。当寺では加藤清正を祀った清正公堂が著名で、毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与されるという他、軍神の毘沙門天を祀っており、山手七福神の一つとなっています。
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清正公堂
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龍の彫刻がすごかった。
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「破魔軍」の扁額の周りにも龍の彫刻があります。
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毘沙門天は「毘沙門天堂」に祀られていましたが、横に飾られている御幣が黒いのが変わっていた。
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【瑞聖寺(ずいしょうじ)/布袋尊】
宗派は黄檗宗系の単立。山号は紫雲山。本尊は釈迦如来。開山は木庵性瑫、開基は青木重兼である。
瑞聖寺は寛文10年(1670年)に創建された。開山(初代住持)は日本黄檗宗2代の木庵性瑫である。木庵は日本黄檗主の祖・隠元隆琦の招きで明暦元年(1655年)に中国・明から来日し、寛文5年(1665年)に江戸入りした。開基(寺院創設の経済的基盤を提供した人物)は摂津麻田藩(大阪府豊中市)の2代藩主・青木重兼である。重兼は黄檗宗に深く帰依し、晩年には家督を譲って出家している。江戸時代には江戸の黄檗宗の中心寺院として「一山之役寺」と呼ばれていた。
大雄宝殿および通用門1棟は昭和59年(1984年)東京都指定有形文化財に指定され、平成4年(1992年)に国の重要文化財に指定された。

大雄宝殿
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本尊の木造釈迦如来と阿難・迦葉像
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布袋尊は本堂向かって右端の堂内に安置。
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このお寺は、ご朱印料は全て日本赤十字社に寄贈されることになっていた。
素晴らしい。
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【妙円寺/福禄寿&寿老人】
妙圓(円)寺は、妙見大菩薩を奉じる日蓮宗の寺院で、誠滝山と号します。江戸時代初期 、元和年間(1615~1624)に瀧本院日忍(俗称瀧本采女、元和6年 1620年 寂)が開山となり開創されたといわれています。瀧本采女が室町幕府に仕えていた時に足利義輝より拝領したという妙見大菩薩の他、山手七福神の寿老人尊・福禄寿尊が祀られて います。
妙見大菩薩は北辰妙見大菩薩とも呼ばれ、北極星・北斗七星を神格化したものとされ、日 蓮上人は「我は北辰菩薩、名付けて妙見と言う。今諸々の国土を擁護せんとす」と残され 、国土を守り災厄を除き福寿を増す菩薩とされています。
妙円寺の妙見大菩薩は霊験あらたかで、「開運妙見」または「白金の妙見さま」として親 しまれ、信仰されています。
右手のお堂に福禄寿と寿老人を安置する。
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妙見大菩薩と、寿老人尊・福禄寿尊
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庭に梅がほころびていました。
今年初めての梅です。
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【大円寺/大黒天】 
天台宗の寺院。山号は松林山。本尊は木造清涼寺式釈迦如来立像(国重文)。
この寺は、寛永年間(1624年 - 1644年)湯殿山修験道の行者大海が創建したのに始まると伝えられる。1772年(明和9年)2月に発生した大火(明和の大火・行人坂火事)の火元となった寺であることから、江戸幕府から再建の許可が得られなかった。江戸時代後期の1848年(嘉永元年)になって薩摩藩主島津斉興の帰依を得て、その菩提寺としてようやく再建された。明治に入り隣接した明王院がこの寺に統合されている。
境内にある五百羅漢石像はその時の死者の供養のため置かれたという。
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大国天
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五百羅漢石像
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八百屋お七が恋い焦がれた相手の吉三は、お七の処刑後僧となり名を西運と改め諸国を行脚後、大円寺の下の明王院(現雅叙園)に入り、お七の菩提を弔うため往復10里の道のりを浅草観音まで夜から明け方にかけて隔夜日参り一万日の行を27年と5ケ月かけて成し遂げ、お七が夢枕に立って成仏したことを告げられた。
西運は多くの江戸市民から浄財の寄進を受け、行人坂に敷石の道を造り、目黒川に石の太鼓橋を架けたという。
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いずれも江戸時代の庚申塔だが、三猿などの彫刻が見事だった。
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【蟠龍寺/弁財天】 
目黒行人坂付近にあった称明院〔慶安元年(1648)開創〕を、増上寺の 霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709 )「霊雲山称名院蟠龍寺」と改名再建されました。
次いで、寛致6年(1794)律院となりましたが、「不許辛肉酒入山門」 の結界石がその名残りを今にとどめています。
本堂には本尊として「木造阿弥陀如来像」(都指定文化財)があり、天明 年間(1781~1788)に東都三番札所となり善光寺式阿弥陀三尊像も祀られています。
「江戸名所図会」にのった境内は、当時の風趣が偲ばれ、元禄11年(1 698)建立の地蔵尊があります。また、山手七福神の一つであり、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石像弁財天、弁天堂内に木造弁財天(八臂( はっぴ)の天女像)が安置されています。
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本堂前の万両を使った花活けが立派だった。
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岩屋弁財天
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弁天堂の弁財天
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【滝泉寺(目黒不動)/恵比寿神】 
天台宗の寺院。山号は泰叡山(たいえいざん)。不動明王を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれる。江戸五色不動の一つ。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もある。青木昆陽の墓があることでも知られる。
寺伝では、808年(大同3年)円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して創建したという。東国には円仁開基の伝承をもつ寺院が多く、本寺の草創縁起もどこまで史実を伝えるものか不明である。860年(貞観2年)清和天皇より「泰叡」の勅額を下賜され、山号を泰叡山とした。1615年(元和1年)本堂が火災で焼失した。1630年(寛永7年)寛永寺の子院・護国院の末寺となり、天海大僧正の弟子・生順大僧正が兼務するようになった時、徳川家光の庇護を受けて、1634年(寛永11年)50棟余におよぶ伽藍が復興し、「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めた。1812年(文化9年)「江戸の三富」と呼ばれた「富くじ」が行われた(他は湯島天満宮、谷中感応寺)。富くじ興行は1842年(天保13年)天保の改革により中止となった。寺名の由来となった、境内の独鈷の滝(とっこのたき)を浴びると病気が治癒するとの信仰があった。江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ、江戸名所図会にも描かれている。また、落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。
恵比寿神は仁王門手前左の池の奥にあります。   
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外に出てきてくれている恵比須さん。
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そのあと、45分ほど時間を取って、目黒不動にお参りしてもらいました。
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当寺については、以前お参りした記事があります。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/megurofudou.html

今回、正面の鬼瓦のすごいことに気が付きました。
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これで、今回の行事としては解散しました。疲れている人はここからバスで五反田などに出られるので。
希望者には、参道の途中にある蛸薬師に案内しました。

【蛸薬師成就院(番外)】
天台宗の宗祖、比叡山開山伝教大師最澄の高弟、慈覚大師円仁は栃木県壬生町生まれ、幼くして伝教大師をしたって比叡山に登り、学問修行に励まれました。
承和5年(832)唐に渡り、同14年帰国されるまでいろいろと苦学して、唐各地をまわり、たくさんの仏法を伝えて帰国されました(この時の旅行記が有名な「入唐求法巡礼行記」です。この本は先年、米国の元駐日大使ライシャワー氏が研究し、英訳出版されました。)大師は若いときから眼病を患い、40歳のとき、自ら薬師さまの小像を刻み、御入唐の時もこれを肌身につけて行かれましたが、お帰りの海路、波風が荒れましたので、その御持仏を海神に献じて、危急をのがれ、無事に筑紫の港に帰り着かれました。その後大師、諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。大師は随喜の涙にむせび給い、その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえまつられました。かくして本尊の殊勝の12大願による福徳威力、信心の人は、心願ことごとく成就し、除災長寿の利益あまねく千年のいまに至るまで、広く信仰されてきました。
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蛸薬師
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お静地蔵
この石仏像は、徳川二代将軍秀忠公の側室、お静の方の発願で奉納されたものです。お静は江戸城大奥にあがり将軍の寵愛を受け「お腹さま」となることを願い、三体の観音像を納め奉り、その素願かない慶長16年(1611)に男子「幸松麿」が授かります。その後、秀忠公正室、浅井崇源院(お江与)の威勢をを畏れながらもその恙ないご成育を祈り3体の地蔵を刻み納められます。そして再び願いが叶い、また江戸城に居た見性院殿(武田信玄公の娘)の庇護もあり、保科正光公の養子となり、元服後、保科正之公となります。
元和年間、三代将軍家光公は、目黒で鷹狩のみちすがら、当山に参拝され、瞬興和尚(中興第15世)とのご法談の折、正之公との浅からぬ縁を知り、それにより寛永8年、正之公は信州高遠城主となります。お静は、大願成就の御礼として、阿弥陀如来像を納め奉りました。
正之公は後に山形城主、さらに正保元年会津藩二十三万石の城主となり、会津松平家の祖となります。また家光公の命により四代将軍家綱公の後見人として、幕政に力を注ぎ、善政を施されました。
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名君、保科正之公についての本を読むと、必ず目黒のお静地蔵が登場するので、ここはぜひお参りしたかった。

准胝観音
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聖観音
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十一面観音
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金剛願地蔵
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金剛幡地蔵
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金剛宝地蔵
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阿弥陀如来
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これで、完結です。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、七草の日にまわられたのですね。このコースは3回か4回まわりましたが、普段は人気がほとんど無い大雄宝殿も結構な人がいますね。ところで、大円寺には1ヶ所七福神があったと思いますが、撮影されましたか。

それにしても、今年は紅梅の咲くの、早いですね。私も先日、板橋区の北野神社で撮影しましたし、新聞にも浜離宮恩賜庭園で咲いていると書かれていましたし。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
大円寺に1ヶ所七福神があったのですか(驚)
全然気がつきませんでした。

今年の春は早いのでしょうか。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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