縄文後晩期~ムラとまつり(祀り)の景色~

20140114

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昨日、13日に浦和の埼玉会館で行われた表題の発表・講演を聞いてきました。
これは東京・神奈川・埼玉三都県の埋蔵文化財関係団体が合同で行う公開セミナーで、今回は埼玉県埋蔵文化財調査事業団が主催しています。

【報告1.石を使ったムラの景観】
かながわ考古学財団・小川岳人氏報告
3500~4500年前、縄文時代中期末~後期に竪穴住居の床に石を敷いた住居が造られた。
神奈川県伊勢原市 子易・大坪遺跡
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平面形状から「柄鏡住居」とも呼ばれる。
特別なイエではなく、一般的な住居だった。

これだけの石を集める、しかも石の配置には色とかデザイン的に考えられていたらしく、運ぶのは家族だけでは駄目で、大勢の人を集めて、遠くから良い石を運ぶという、「マツリ」であったらしい。
良い石は30Kmくらい遠方から運ばれている。
・真鶴半島で採れる「根府川石」が伊勢原市や厚木周辺で
・長瀞など荒川上流部の「結晶片岩、緑泥片岩、紅簾片岩」がさいたま市大木戸遺跡、川越市牛原遺跡などで
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県埋蔵文化財調査事業団が、川越市下広谷で発掘した縄文後期(約4000年前)の牛原遺跡から、床面にカラフルな石材を敷き詰めた住居跡が見つかった。最大の石は約100キロもあるが、周辺で採取したものではなく、長瀞町や小川町に産する、結晶片岩の中でも珍しい「紅簾片岩(こうれんへんがん)」が好んで使われている。
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説明の中でも言及されていましたが、昨年の伊勢遷宮において、神領民が奉仕する「御白石持行事」は記憶に新しい。
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【報告2.環状盛土が現れるまで】
埼玉県埋蔵文化財調査事業団・渡辺清志氏報告
後晩期的な集落景観の成り立ちとその意味するところを説明されました。
年代順に、下記の特徴ら説明があった。
・大規模環状集落の解体と小規模拡散
・柄鏡形(敷石)住居跡
・屋外配石
・掘立柱建物跡
・袋状土壙
・水場遺構
・環状盛り土出現

縄文時代中期、後期、晩期においての「生業」、「集落景観」、「建築物」、「特殊施設」の分布が図で示されて、わかりやすくて、ありがたかった。
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【報告3.さいたま市氷川神社遺跡の調査結果】
さいたま市遺跡調査会・柳田博之氏報告
私は、昨年8月に全国一之宮めぐりの一環で、また10月に観月雅楽の会で、大宮氷川神社を訪れていたが、その時本殿に向かって右側に工事の大きな囲いがあって、何の工事だろうと思っていたが、これがこの発掘調査の場所だったとわかり、驚いた。
昨年8月に撮った写真。赤の矢印の場所。
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これは社殿建設事業に伴うもので、調査期間は平成24年4月9日から11月6日とのことなので、私が訪ねた頃は既に発掘調査は終了し、あるいは基礎工事とか社殿の建設にかかっていたのかもしれない。

この場所は、塚状盛り上がりになっていて、同じ場所に三層にわたって住居跡が発掘された。

縄文時代晩期中葉の住居跡群
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その下の縄文時代後期後葉の住居跡
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その下の縄文時代後期中葉の住居跡
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この塚状盛り上がりは、途切れながら馬蹄状に神社本殿を取り囲むかたちで、社叢内に存在しているそうです。

【報告4.ムラと貝塚とまつり(祀り)】
東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター・西澤明氏報告
明治時代から知られている著名な貝塚「西ヶ原貝塚」での発表でした。
下記二点が報告のテーマでした。
・再葬行為を伴う葬送儀礼
・動物骨の出土状況からの儀礼的行為の想定

土坑の貝層
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その下から出土したイノシシの下顎骨
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貝層直下から出土した鹿骨で男性器を模したもの。
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【記念講演.縄文後晩期の時代像と地域社会】
明治大学文学部教授・阿部芳郎氏講演

いままで全縄文時代を通じて最も遺跡数が少ないことから、「生産力の限界によって発展性を失い、停滞的な社会を営んでいた」とか「生活の行きづまりを物語る」と評価されてきた。
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それに対して、今回の報告など最近の調査結果からわかってきたこと。
・盛り土中に住居跡がある
・住居は壁柱穴構造
・同じ場所に反復して建てる

・環状盛り土遺構の集落は1400年ほど継続した期間存在する。これは日本列島人類史上最長の期間である。
・遠隔地資源の流通があった
・祭祀が複雑化している

・人口支持力の維持機能は活性化している

栃木県寺野東遺跡の環状盛土遺構
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今回の発表・講演を聞いて、この時代の全体像が整理されて、非常に有意義でした。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

竪穴式住居は土を掘り下げたことにより、地中の温度はほぼ一定と言うことを受けて、冬は暖かく、夏は涼しいと言うことは理解できるのですが、日本には梅雨はありますし、秋雨もあるので、雨に日は土から水が湧いてくると思うのですが(外からは入ってこないように縁の部分を上げていると思いますが)、どうなんでしょうね。もしかして、粘土で固めるとかしているのでしょうか。ううん、それとも、上記で石が敷かれているのもあると言うことは、それを防ぐため? でも、石が敷かれていると、冬場は寒そうです。中二階があったなんて言う説もあるようですので、梅雨や秋雨の時はそちらに避難していたのかもなんて考えています。

いずれにしろ、学者達が1年間くらい竪穴式住居で暮らしてみれば、実際のところどうなのか、わかると思うのですが。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
このころの暮らしを想像すると、ほんとに
色々なことが考えられますね。
あれこれ想像しているのが楽しいです。

今日読んでいた本には、縄文時代晩期というのは、
日本書紀での皇室系譜では神武天皇あたりだと
書いてありました。
(実存はかなり疑わしいですが)

また楽しくなってきました。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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