歴博フォーラム「初春の馬」

20140119

昨日、毎年新橋のヤクルト・ホールで行われる、国立歴史民俗博物館の干支にちなむフォーラムに行ってきました。
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【開会の挨拶】
国立歴史民俗博物館長の平川南氏から、あいさつもそこそこに「馬の戸籍」についての報告がありました。

人の戸籍に関しては、最古のもので『日本書紀』での540年(欽明元年)八月の条「秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」
全国的では、『日本書紀』に670年(天智9)二月条に「戸籍を造り、盗賊と浮浪とを断ず」とみえる。これが日本で最初の全国的な戸籍で「庚午年籍」とされる。

馬も人と同様に重要視されていて、発見された最古の戸籍は大宰府の国分松本遺跡で発見されたもの。
使用されている地名から、701年よりも前であることが確か、7世紀の終り頃という。
その他4例と一緒に説明された。
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ここからの報告は、豊富な図像で説明がありました。帰ってから記憶を頼りにネットで探して手に入ったもので記事としています。なので、私がここで掲載している図像は報告されたものと違う場合があります。

【報告1.古代東アジアの馬】
国立歴史民俗博物館研究部考古研究系・准教授 上野祥史氏

日本に馬が入って来たのは古墳時代であり、さきたま古墳などの馬具の発掘調査研究を「さきたま講座」で受けました。
その記事は下記をクリック
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1334.html

この報告では、古代東アジア世界における馬の姿、日本列島に渡来する前後の様子を説明するものでした。
馬の利用は馬車とともに殷代に突如として始まる。
「干戈を交える」の戈は、戦車戦に使用した長柄の武器。
中国の王や貴族の墓には、馬と馬車を殉葬させた「車馬坑」が発掘されている。

約3000年前の、西周車馬坑遺跡の車馬坑。
発掘された車馬や装飾品を見ると、三千年前の金属工、木工、皮革などの手工業技術が十分に発達していたことがわかる。
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始皇帝陵に葬られた兵馬俑のうち、車馬、あるいは戦車を引く馬と御者など
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戦国時代・秦国の最古の騎兵俑
秦の都・咸陽東北郊の下級武士のものと思われる墓から出土。この頃は足をかける鐙はまだなく、裸馬や鞍を置いた馬に足をぶらさげてまたがる乗馬が行われていた。
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当初は、胡服を着て馬に乗り弓を射るのは、夷狄の習俗であった。こそれが戦国時代と時代が下がり、ただの騎馬ではなく、騎兵として遊牧民の新しい兵法が採用された。
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戦車ではなく、上層階級の乗り物としての馬車。
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三国志の時代である三世紀末ころに権力の象徴として「飾り馬」文化が起こり、それが朝鮮半島を経由して、馬の渡来と一緒に「飾り馬」文化が日本列島に入ってきて、現在各地の古墳から装飾的馬具が発掘されている。


【報告2.馬の造形】
国立歴史民俗博物館研究部情報資料研究系・教授 日高薫氏

最古の騎馬の造形「騎馬埴輪」
太田市高林西原古墳出土の埴輪
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法隆寺献納宝物で、「銅製竜頭水瓶」に有翼馬(ペガサス)を描いたものが説明されて、面白かったが図像はネットで探したが手に入らず。

「伴大納言絵巻」 平安時代
これは上巻の冒頭、詞書も無く、いきなり馬で駆ける検非違使(けびいし・現在の検察・警察官)や、それらの下部が走る姿が描かれている。
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「随身庭騎絵巻」 鎌倉時代
平安末期および鎌倉中期の随身の騎馬または徒歩の姿を描いたもの。「はね馬:後ろ足で立ち上がる馬」や「よせ馬:前脚二本でつんのめる馬」など。
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賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神事である競馬会神事を描いた一双屏風。江戸時代
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久隅守景作、「賀茂競馬・宇治茶摘図」(重文)の部分
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前九年合戦絵詞
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絵馬では、「北野天神絵馬」が説明された。
曳馬図絵馬(部分) 曽我直庵 筆、絹本著色装 豊臣秀頼公奉納 桃山時代。
画家は桃山時代の有力な画家で、記録によると豊臣秀頼が武運長久を祈願して奉納したもの。
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印籠
有名な「宇治川の先陣争い」を描いたもの。
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馬をデザインした刀の鍔
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【報告3.錦絵に見る幕末・明治の馬の興行】
国立歴史民俗博物館研究部情報資料研究系・教授 大久保純一氏

維新以前、開港地横浜での居留外国人の曲馬を描いたもの。
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開化絵で良く取り上げられたのが、不忍池の周りをコースとして行った競馬を描いたもの。
いまの不忍池の形は、この競馬のために整備された形がそのまま残っているそうだ。
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怪力で知られた近江のお兼を描いたもの。
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【報告4.馬の民俗-節供の馬を中心として】
国立歴史民俗博物館研究部民俗研究系・准教授 山田慎也氏

正月7日の「白馬節会」
宮廷の行事だが、現在賀茂別雷神社、鹿島神宮、住吉大社などで行われている。
鹿島大社の「白馬祭」。「鹿島立ち」で有名。
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団子馬
香川県西部の民俗。
男の子が生まれると、初めて迎える八朔の日に子供の母親の実家などから贈られる。
大形になると、米粉を15キロくらい使って作る。
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【報告5.ウマの伝承】
国立歴史民俗博物館研究部民俗研究系・教授 小池淳一氏

初午
稲荷神社の祭祀として、初午の縁日。

端午の節句
端午は本来月の初めの午の日だったが、いつの頃からか5月5日になってしまった。

山の神
東北地方の民俗信仰で、「遠野物語拾遺」では、出産に際して山の神がやってこないとこどもが生まれない、というので馬の背に荷鞍を置いて、迎えにいく。
淡島神社には、お産の時に来てもらうようにふだんから女性が木馬を奉納している。

馬頭観音
もともとの仏教上の位置づけとは別に、馬が生活の上で貴重で大切にされたので、馬の安全を祈り、供養で建てられたものがほとんど。

オシラサマ
馬と娘の婚姻悲話である。
東北地方には、おしら様の成立にまつわる悲恋譚が伝わっている。それによれば昔、ある農家に娘がおり、家の飼い馬と仲が良く、ついには夫婦になってしまった。娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、おしら様となったのだという[2][6]。『聴耳草紙』にはこの後日譚があり、天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったとある。以上の説話から、馬と娘は馬頭・姫頭2体の養蚕の神となったとも考えられている。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

そのような催しが毎年、開催されているのですか! ヤクルト・ホールは学会の聴講に何回か、行ったことがありますが、舞台1つに、部屋2つが合体と言うような感じの所ですよね。

ところで、「馬の戸籍」と言う話、初めて聞きましたが、目的はなんだったのでしょうか。戦争の時に馬が必要だから? それとも、農耕馬の数? ううん、やはり、戦争のためでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
このフォーラムは、なかなか面白いですよ。
一昨年の「龍」はとても面白かったですね。

馬の戸籍、仰るように戦争の際に徴発する、
というのは大いに考えられますよね。
また特徴も書いているので、馬の盗みなんかの
裁判でも役立ちますよね。
馬は非常に貴重だったですから。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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