久が原西部八幡神社(延喜式内論社)/大田区久が原
20140121
住所:東京都大田区久が原4-2-7
久が原東部八幡神社から、北西300mのところにある西の八幡さまに向かいました。
道から石段で上がります。

社号標
式内論社、武蔵國荏原郡・稗田神社

由緒:
神護元年九月(七六五年)豊前の国 宇佐八幡宮の御分霊を勧請。 武蔵の南端久が原台地(弥 生時代の集落地)の住民の鎮守として、尊崇せられ、徳川入国以来 久我原は二分され、当 社は六郷領鎮守となり 明治六年(一八七三)村社に指定された。旧社殿(銅萱葺権現造)五二、 八九平方米は、文化七年七月約百七十年(一八一〇)前の御造営にして、長年月を経しにより 、諸所に朽損の箇所多く 今度氏子の奉賛により 新しく社殿が御造営され 且つ篤志 家の奉納により 手水舎をはじめ境内工作物 殿内調度備品等一切が完備した。
-境内由緒石碑-
階段を登ると鳥居がある。昭和54年建立と新しい。


鳥居から見下ろすと、ずっと下りが続いている。この辺の最高地点。

鳥居からの参道正面に美しい朱塗りの社殿がある。

右手に手水舎。

昭和五十四年建立と、新しい炎尾型狛犬。


拝殿は入母屋造銅板葺き。本殿共に昭和五十四年に造営されたコンクリート造。

御祭神は譽田別之大神
各所、現代的なデザインです。



こちらの神紋も同じく「右三つ巴」だが、かなり流水系ですね。

拝殿の後ろに流れ造りの本殿。



本殿の右手に境内社の稲荷神社(宇迦之魂大神)があるが、社殿が昔の本殿だとのことです。

まずは新しい狛狐


落ち着いた感じの昔の狛狐


社殿


向拝正面蟇股(かえるまた)の龍

向背柱の獅子

社殿左右の小脇板。下部は波が、上部は雲が見え、登り竜と降り竜が社殿を護っています。


金網の隙間から覗き込むと、初期の流れ造り。

階段の上の柱と、回廊四方の擬宝珠柱の天辺に、なにかがいます。


わりとマトモなのを発見。獅子ですね。他は風化してしまっていたんですね。

稲荷社の前に、脇の入り口があります。

そこの門柱の上に、昔は本殿の前にあったであろう、流れ尾型狛犬が鎮座していました。
台座が無いため、年代はわかりませんが、明治あたりではないかと。


神楽殿

拝殿の左手にあった力石(歓喜石)。

その横には「三角点」
三等三角点「久我原」は明治35年(1902)に、境内で現在地より21m東北に設置された。

最後に、高台の境内からまわりを眺めて、当社を後にしました。

いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html
久が原東部八幡神社から、北西300mのところにある西の八幡さまに向かいました。
道から石段で上がります。

社号標
式内論社、武蔵國荏原郡・稗田神社

由緒:
神護元年九月(七六五年)豊前の国 宇佐八幡宮の御分霊を勧請。 武蔵の南端久が原台地(弥 生時代の集落地)の住民の鎮守として、尊崇せられ、徳川入国以来 久我原は二分され、当 社は六郷領鎮守となり 明治六年(一八七三)村社に指定された。旧社殿(銅萱葺権現造)五二、 八九平方米は、文化七年七月約百七十年(一八一〇)前の御造営にして、長年月を経しにより 、諸所に朽損の箇所多く 今度氏子の奉賛により 新しく社殿が御造営され 且つ篤志 家の奉納により 手水舎をはじめ境内工作物 殿内調度備品等一切が完備した。
-境内由緒石碑-
階段を登ると鳥居がある。昭和54年建立と新しい。


鳥居から見下ろすと、ずっと下りが続いている。この辺の最高地点。

鳥居からの参道正面に美しい朱塗りの社殿がある。

右手に手水舎。

昭和五十四年建立と、新しい炎尾型狛犬。


拝殿は入母屋造銅板葺き。本殿共に昭和五十四年に造営されたコンクリート造。

御祭神は譽田別之大神
各所、現代的なデザインです。



こちらの神紋も同じく「右三つ巴」だが、かなり流水系ですね。

拝殿の後ろに流れ造りの本殿。



本殿の右手に境内社の稲荷神社(宇迦之魂大神)があるが、社殿が昔の本殿だとのことです。

まずは新しい狛狐


落ち着いた感じの昔の狛狐


社殿


向拝正面蟇股(かえるまた)の龍

向背柱の獅子

社殿左右の小脇板。下部は波が、上部は雲が見え、登り竜と降り竜が社殿を護っています。


金網の隙間から覗き込むと、初期の流れ造り。

階段の上の柱と、回廊四方の擬宝珠柱の天辺に、なにかがいます。


わりとマトモなのを発見。獅子ですね。他は風化してしまっていたんですね。

稲荷社の前に、脇の入り口があります。

そこの門柱の上に、昔は本殿の前にあったであろう、流れ尾型狛犬が鎮座していました。
台座が無いため、年代はわかりませんが、明治あたりではないかと。


神楽殿

拝殿の左手にあった力石(歓喜石)。

その横には「三角点」
三等三角点「久我原」は明治35年(1902)に、境内で現在地より21m東北に設置された。

最後に、高台の境内からまわりを眺めて、当社を後にしました。

いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html
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コメント
No title
四季歩さん、こんにちは
最近は建設費が安いためか、あるいは、保ちがいいためなのかわかりませんが、コンクート製のお寺や神社が増えてきましたね。私の知っている神社も1年程前に銅板葺き屋根の鉄筋コンクリート製になってしまいましたし。ただし、色は朱色ではなく茶色ですが。以前の木造の頃は味があったので、桜の季節に撮影に行っていたのですが、建て替えの際、桜の木の一部も切られてしまったこともあり、残念ながら写真的にはほぼダメになってしまいました。
最近は建設費が安いためか、あるいは、保ちがいいためなのかわかりませんが、コンクート製のお寺や神社が増えてきましたね。私の知っている神社も1年程前に銅板葺き屋根の鉄筋コンクリート製になってしまいましたし。ただし、色は朱色ではなく茶色ですが。以前の木造の頃は味があったので、桜の季節に撮影に行っていたのですが、建て替えの際、桜の木の一部も切られてしまったこともあり、残念ながら写真的にはほぼダメになってしまいました。
matsumo さん
コメントありがとうございます。
たぶん難しいんじゃないかと思いますね。
「宮大工」になる人が少ないと思います。
伊勢神宮の遷宮の番組でも、人はさることながら、
道具の確保が大変だと云っていましたね。
写真的には、まったくそのとおりですよね。
たぶん難しいんじゃないかと思いますね。
「宮大工」になる人が少ないと思います。
伊勢神宮の遷宮の番組でも、人はさることながら、
道具の確保が大変だと云っていましたね。
写真的には、まったくそのとおりですよね。